シェア生活によって私の自立がようやく完成しました | Marina Oku
Marina Oku

シェア生活によって私の自立がようやく完成しました

 

シェアハウスで私がしていたのは「自立の総仕上げ」であったように思います。

 

それは、シェアを出ていこうという段になって自覚したこと。

 

社会人になってからずっと仕事漬けの毎日を過ごしてきた私は、「独立する」という仕事上の目的を持って原宿THE SHAREに越してきたわけですが、図らずもここでは今までショートカットしてきた「生活」を学ぶことになりました。

 

 

たとえば、料理をして、食べて、食器を洗って片付ける、という一連の流れをノンストップでやるにはものすごい労力がかかるなあ…ということに気付いたのもシェアハウスに来てから。

 

一人暮らしの部屋では食べたあと洗い物を放置することができたけど、キッチンは共有スペースだから食器はすぐに洗って元の場所に返さないといけなくて、「食べる」という行為を果たすだけでも「食べる」だけでは済まなくて、その前後に結構な時間と労力を払わなくてはいけないんだなということに、親元を離れて上京して10年経ってからはっきり気付きました。

 

「自炊」が日常に組み込まれるようになったのもシェアハウスに来てから。それまでは、ときどきはするけど、生活に定着している行為とは言えませんでした。

 

それに、私にとって自炊は「生きるための行為」という感覚だったので、普通につくればまずくはなるはずがないし、最低限美味しければいいや、というスタンスだったため、料理に対する熱意がまったくなかったのですが、一緒にキッチンに立つシェアメイトから日々影響を受け、料理に対する興味が湧いてきて向上心を持つようになりました。

 

 

「仕事」に没入する日々は、「生活」をほっぽり出してる日々でもあった。

 

自分で稼いで一人前にやっているぞとドヤ顔してたけど、単にどうにか毎日やり過ごしているだけで、放置しっぱなしにしてきた日々の残骸がたくさんありました。

 

今は、単に生活費を稼いで何とか過ごしている、というだけでは「自立できてる」とは言えなかったなと思います。

 

お金を稼ぐことは結局、食事をつくること、掃除をすること、洗濯をすること、ベッドのシーツを整えること…などと同等の営み。

 

ある種、車輪に乗って回ってるハムスターみたいなものだけど、生活とはそういうものだ、と。

 

そういう面倒なことをしたくなくて、「したくないことを避けて生きていきたい」ってどこかで思ってました。

 

だけど、自分のおとしまえは自分でつけるもの。

 

自分のことは後始末まで全部引き受けて初めて「自立」と言えるのだと。

 

そういった日々の残骸にようやく着手してやっと自立が完成することができたのが、シェアハウス生活を通じてでした。

 

道のりは長かったなあ…なんせ、10年以上…30過ぎて、ようやく自立。かあ…。ほんと子どもだったな。

 

引っ越しをした日の夜は、シェアメイトから教えてもらって覚えた、私にとってのシェア生活の象徴の1つであるブイヤベースをつくりました。

 

おーちゃん、

 

やまもこさんと一緒に。

 

私も人から教わった身ながら、2人につくり方を指南しました。これは普段からよく起こるシェア連鎖ですね。

 

3人で食べたあと、みんなへの置き土産として置いていったのですが、あっという間になくなり、食べられなかったという住人が続出…無念!

 

 

今は、一人暮らしの部屋で「生活」を楽しんでます…一人で勝手に。

 

そこに「手応え」という感触があるところが、前までの一人暮らしとは違うところ。

 

仕事面だけでなく生活面でも独り立ちできて、やっとシェアハウスを出られる自分になれたのだなあ、私がシェアハウスに来た意味はそこにあったのだなあ、と振り返って思います。

 

Profile

marina oku

“家帰ってからも、リア充”な、原宿のシェアハウスTHE SHAREの住人。 ヘアビューティ業界誌の編集者。『フツーの人』を主役にするコラム&プロジェクト「個性美の解放」ブログを更新中。

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