「二人が写真をはじめたルーツとは?」写真家・操上和美×永瀬正敏 スペシャル対談 vol.1 | Numero TOKYO - Part 4
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「二人が写真をはじめたルーツとは?」写真家・操上和美×永瀬正敏 スペシャル対談 vol.1

K:永瀬さんにはおじいさんのDNAが入っているから、ぜひやってほしいなと思いましたよ。写真を撮っている姿も写っていましたが、俺なんかよりも全然執着して撮っているなと思って。そこにも凄みを感じました。最近、個展もされたとか。
N:青森県立美術館でやらせていただきました。青森朝日放送開局20周年記念プロジェクトのひとつとしてはじまった企画がきっかけです。テレビ関連ということで、僕はテレビに映して頂く機会があまりないので悩んだんですけど、ちょうどじいちゃんの撮影した古い写真を見たすぐ後のタイミングだったこともあって、お引き受けしました。
K:どのくらいのスケールだったんですか?
N:点数だと500点くらいですかね。小さく出力して、手作りのような感覚で飾りました。撮影にはSX-70も使いましたし、他にもいろいろ。シノゴ(スピード・グラフィック4×5)でも撮りましたし、操上さんに相談して悩みに悩んで買ったライカも使いました。
K:そういえば悩んでいましたね。旅先でシノゴを使うというのは相当勇気がいりますよ。僕は旅でシノゴを使う勇気はない。
N:決めカットもあったので、その決めカットの時に。じつはシノゴは持ち歩いたのではなくて、地元のカメラ店のおじさんに借りたんです。こうやって、地元の人に協力してもらうのっていいなと思って。実は、この個展が青森だったということもあって、ひとつ目標ができました。青森の”A”はアルファベットの最初の文字。そこを出発点にして47都道府県をめぐり、その地元の人や風景、僕がその土地からインスパイアされたイメージ写真を撮影して、各都道府県内の出版社から写真集を発売して、その土地で写真展をやる。夢ですね。せっかく日本人として生まれてきたわけだから、生きている間に自分の生まれた国ぐらいはすべてをまわらないともったいないなって。47都道府県まわったら、最後に東京でやりたいですね。構想ですが、ジャパンの記憶という意味を込めて「Jの記憶」というテーマをこっそり考えているんです。そして、写真で残していきたいものがある。僕たちって激動の時代に生きていますよね。世紀もまたぎましたし、震災も2回経験していて、戦争を体験した人達もまだ身近にいる。カメラのデジタル化とか、固定電話が携帯、スマートフォンになったり、手塚治虫氏の世界の中だけだと思っていたハイブリットカー等が登場し… と、どんどん進化していて、今の子どもたちやこれから生まれてくる子たちはそれが当たり前のごとく生きていくのでしょうけど、その変わり目の時代を生きているんだから、これは残しておきたいなと。
K:天使のようなことをしていますね、おもしろい。おじいさんの意志を十分次いでいるんじゃないですか。
N:あと46も残っているので、1年に1回ペースだと46年…。もしも僕が息絶えたらこのアイデアを次いでくれる人がいたらいいな、なんてのも考えますね。仕事柄ロケで各地をまわることもあるのできっかけを色々作っていこうと思っていますが、観光名所を回って行くわけでもないから色々な人に教えてもらわないと。各地のみなさま、ぜひ力を貸して下さい。
Photo:IMPOSSIBLE Styling:Yasuhiro Watanabe(FEMME) Interview: Hisako Motoo Edit:Maki Saito Text:Yukiko Ito

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