【前回のあらすじ】
谷中、それは古くからある家屋や商店が点在する下町。
これはそれを維持する台東区の涙ぐましい努力、まちのひとたちの愛を感じる旅である。
はい。カヤバ珈琲という目的を果たし、
違う道から日暮里へ帰ります。
谷中には”谷中霊園”という有名かつ巨大な墓地があるのでそこの近くを通って帰ることにしました。
通りすがるだけの予定だったけど、
知ってるおなまえをみつけて中に入ってみることに。
少し歩くと立派なお墓が現れる。
まぁ、なんて立派なお墓なのかしら。ここに慶喜さん眠ってるのかしらと思っていたら
どこかから声が・・・
???「そこは慶喜の墓じゃないよ!」
というわけでおじちゃんのご好意で谷中霊園を案内していただけることになりました。
これがほんとうの慶喜のお墓です。
ここ一帯は徳川家のお墓となり、この門の奥に慶喜や妻・美賀子さん、慶喜の子らなどたくさんのひとが眠っています。
「慶喜の子」としたのは奥さんとの子はひとりだけで、他は側室との子だからです。その数、全部で24人います。
でもそのうちの半数は、2歳になる前に亡くなってしまったといいます。そういう時代でした。
このお墓を作るとき(明治時代)、記念かおふざけかうっかりか、職人さんが道に小銭を埋め込みました。
とってもわかりにくいのでズームします。
これです。
写真じゃとても分かりにくいですが、生で見ると結構興奮します。
でも、ひとりじゃ絶対に見つけられないと思うのでぜひおじちゃんに聞いてみてください。
この職人さんに「な、なに粋なことしてんすか!」って言いたくなっちゃう、この人間らしさ。
これは実際谷中霊園に来てじゃないと感じられないことです。
他にも家紋のはなし、地方の大名は江戸と地元両方にお墓を作るはなし、歌人のはなし、
一緒にお散歩しながらたくさんのはなしを聞かせてもらいました。
おじちゃんと一緒に見るこの「谷中霊園」は、
わたしが元々抱いていたお墓の「怖い」や「ひんやりした感じ」というマイナスイメージを打ち砕く、
そこにひとびとがいた証としてのしるしが集まるあたたかい場所でした。
そのお墓から、そのひとが生きていた時代を感じることができる。そのひとが生きていたことを感じることができる。
だからおじちゃんを「お墓の案内人」というと変なふうに思うひとがいるかもしれないけど、
それは全然イメージが違って、いうならおじちゃんは現代から過去を見つける「過去への案内人」です。
最後におじちゃんが「丈六仏」と呼ばれる大仏さまのところに案内してくれました。
おじちゃん「この位置からみて、大仏さまどういう顔に見える?」
わたし「うーん・・・ちょっと不機嫌そうかなー」
おじちゃん「それはいま、きっと不満に思ってることがあるんだね。
大仏さまは、いまの気持ちによって見える表情が違うんだよ。」
そうして「春になったら桜がきれいだから、また桜が咲くころにおいで。」といって
おじちゃんは去っていきました。
帰りに、お坊さんたちが歩いていくのをみました。
むかしの建物。商店。そして、生きていたひとたちのたましい。
そういったものを大切にして、このまちのひとたちは生きているんだね。
おしまい。