戦前と戦後でエンターテインメントはこんなに違う[後編]/菊地成孔×伊藤俊治 対談連載 vol.12
K「敏感に見れば、何も描いてない体が未熟だという考え方に到達しつつあるのかもしれません。何も刻み込んでいない体でいることは、ある人たちにとってはすっぴんの顔で出歩いているのと同じなのかも。オリンピック選手もそうですが、格闘技家にも顕著に表れていて。昭和の格闘技家の体は真っ白でした。でも、平成はみんな体に入れ墨が入っている。00年代に入ると堰(せき)を切ったように、格闘技の世界は一気に入れ墨の品評会になっていきました。これと同じようなことが、あらゆるジャンルで徐々に起こっているのかも」
I「最近は、消すこともできるようになってきているらしいですね。完全にではないでしょうが、再生できる深さで切ったりと調整ができるらしいから、ますますメイクアップに近い概念になっていそうですね。特に女性たちの間では」
K「例えば、どの服を着てもかっこ良く機能するとわかれば、女性はどんどん入れちゃうのかもしれないですよね。安室奈美恵さんが、一般性が高く奇麗な女性で、入れ墨が入っている代表的なタレントさんだと思うんです。彼女は隠していないですからね。露出度の高い洋服でも格好よく、ドレスを着ても様になる。それを体現している有名人がいると、影響を受けそうですよね。入れ墨のおかげで服が台無しになってしまったら誰も入れないでしょうけど、どのファッションでも似合うことが分かったり、むしろ良くなるっていうふうになったら入れる人は増えるでしょうね」
I「そういったファッション的な要素にプラスして、入れる文字だったり絵柄だったり、意義も変わってきているんでしょうね。愛する男だけにしか見せないとか、共通の秘め事みたいなものも流行るかもしれないですね」
K「腐女子の人たちとの相性が良さそうですよね。さっき言っていた自傷の問題とかね。痛覚と変身願望を満たすための入れ墨は、通過儀礼になりうる。カラコンにグリーンのウィッグを付けて初音ミクのように自身をカスタマイズするのが今の腐女子だとして、その発展系としてタトゥーをやり始めるというのは想像できますね。一線超えたら歯止めが利かなくなるよう気がする。腐女子たちが体に印を刻み始めて、モードな人たちが一番、体が奇麗という状況になるかもしれないです」
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