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戦前と戦後でエンターテインメントはこんなに違う[後編]/菊地成孔×伊藤俊治 対談連載 vol.12

伊藤俊治(以下I)「肉体を使わない表現方法が日常化しているけど、そろそろ、肉体的な体験を再び求める時期にも来ている気がします。今また、フィジカルを試そうという方向に転換している人も増えているでしょう」
 
K「肉体は何のためにあるのか、という目的の再開発ですね」
 
I「そういえば今年、オリンピックを見ていたら、競技者の多くがタトゥーを入れていますよね。以前からタトゥーって流行していたけど、ここまで世界的に広がるとは思っていなかったので意外だったんです。この現象って実はアスリートだけじゃなくて、一般的にも広まっていて。今回の出張で行ってきたドイツ、オーストリア、イタリアでも、普通の主婦からの駅員のおじさんまで入れ墨をしている。これまでは「ただのファッションだろう」と思って見ていたんだけど、これだけ広範囲に浸透して流行している背景には、もしかしたら痛覚や記憶という面が関わって来ているのかもしれないと考え始めていて。痛みの感覚、バランスシステム、自傷行為とかそういうものとのつながりがあるのかもしれない。電子情報化した生態系の中で体や性が大きく揺らいでいるということもあるし、心は別のところにあるから、体はもういいんだっていう思考の表れとか」
 
K「自傷行為をする人たちというのは一定数いて、スタンダードな病ですから減ってはいないし、増えてもいないという状況だと思うんです。ただ、最近はそれを隠さない。そんなこともあるじゃんっていう。タトゥーだって、今は隠している人はほとんどいませんよね。専用プールやジムまで出現してきている。僕もまさか、ボディペインティングなるものがここまで広まるとは思っていなかったので驚いています。流行を通り越して定着にまで至ったのはどうしてか、先生に伺いたいと思っていたくらいです」
 
I「入れ墨って、日本では江戸時代からアートとして確立していて、最高のクオリティーを持っていますよね。これがもっと身近になってファッションやコミュニケーションとしての役割も浮上してきた。これだけ一般化していくと、時代的な衝動というのがあるのかなと。江戸時代の入れ墨は、長時間かけて腫れ上がる体を受け入れながら、痛覚がセクシュアルな感覚に変換することを楽しんでいました。そういう意味では今の入れ墨はシステムが違っていて、そこまでの痛みを伴わなくとも入れることができるでしょう。痛みを愛でるというようなことではない。となると、仮面的な要素とか。自分に傷をつけることで、修復願望を満たしていくのかもしれない。美術の世界でもこういう方法はあって、パウル・クレーの天使の絵とかがそうですよね。完成したものをぶった切って、一回すべて傷つけて、もう一度再創造するというアーティスティックな技法です。今のタトゥーを入れる人たちの行動って、それに近いものも感じたりするんですよね。クローネンバーグ『イースタン・プロミス』のヴィゴ・モーテンセンの全身タトゥーは犯罪歴や趣味嗜好まで表現するグラフィカルなものでしたが、傷つけて、体の存在感やアイデンティティーを回復させていくという意味合いもあるんじゃないかな。特に女の子は、何かしらの自分の刻印として、存在を確認するためにタトゥーを利用している気がする。とりあえずAVに出る、みたいな限界領域をくぐり抜ける行為でもあるのかもしれない」
 
▶続きを読む/モードな人たちが一番、体が奇麗という状況に…

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