ちょうどNumeroのこのブログで20年以上お世話になっている親方の事を書きました。
もうあのブログから3年半も経つんだなぁ、と感慨深い思いです。
去年のある時から、この『海味』という看板が灯らなくなりました。一枚の貼り紙が・・・
「しばらくお休みします。」
気になりすぎてわざわざ遠回りしてでも、いつか灯る日が来るかと首が曲がってしまうくらい外苑西のその前を車で通過するたび確認していました。
そんなある日、あ!!!看板に光が!と、喜び足で、お煎餅を持ち訪ねたら若いお弟子さんが親方はまだ復帰してない旨を教えてくれたのですが、胸騒ぎがして「親方は・・・?まだですか?」と意味もわからないことを言ったと記憶しています。
彼の「え、は、はい。」という困った顔に、なんか、もしかして、まさか、いいえ、という感情が高ぶるのを抑えながらも冷静に、春になったら絶対予約してから親方にお寿司を握ってもらおう、と勝手な期待。
灯りがともった『海味』の看板。
でも親方はいなく違う方が握ってる現実。つい最近まで、あの笑顔で復帰してくれると信じてやまない自分がいました。
ある日の何気ないSNSで亡くなったことを知るまでは。
目を疑い、信じられなく、関連記事を検索し、現実を理解するまでは時間がかかりました。
そういえば、いつも来る年賀状も今年はこなかった・・・。
このブログに書こうか書かまいか迷った上、そうか・・・2012年9月20日に書いたんだ、わたし、親方のこと・・・。
美味しい玉子焼。今日たまたま出し巻きを焼き、この柔らかく甘い玉子焼にかなわないなぁ・・・と思った瞬間、
思い出として何かに書き留めたく、やっと書ける勇気がでた気がします。
AMATAというヘアサロンを開業して15年目に向かってるのですが、その間、技術者がある目的を達成した記念に「海味」での食事を一緒にして御祝したことが何度かあります。
「海味」で食べるということは、とっても特別なことだったし、心が豊かでないと魚に負けてしまう、そんな粋なお寿司屋さんでもありました。
ライブパフォーマンスともいえる、親方のストーリーにまんま便乗する愉しさが心地よくってゲラゲラ笑ったものです。
カウンターの一枚板のぬくもりと共にあったかい人柄を味わうというか、お寿司の握りたてがツヤツヤしていて、その背景までがご馳走でした。
もちろんプライベートでも親しい人とでも、親方の愛情トークを浴びながら美味しいお寿司を食するのは至福。
最初に訪れた時の、ほどよい緊張感、威勢のいい親方の声が飛び交い、御客様もセレブリティで各界の著名人ばかりがカウンターをズラ~っと。圧倒的な空気感はお寿司の一貫、一貫の存在感を際立たせ、艶のある美しい魚たちはもはや芸術ね。
最初に出される、蛸の柔らか煮の美味しかったこと・・・。今でも忘れられない。塩と胡麻で食べるあの香ばしい旨み。
小娘な私にも、とても気を遣ってくれ色々な話で盛り上がり、ラストの客になることもしばしば。
何かの御礼にとAMATAに大きな大きなバラちらしを頂いたこともあります。びっくりするくらい高価な具に、スタッフ一同なんて幸せなんだろうね♡と。
そう、親方のお寿司は私に幸せを与えてくれました。
「美香さん、美香さん。」と、まだあの声が忘れられないでいます。
帰るときなんて、車が見えなくなるまでお辞儀してくれて・・・。思い出すだけで胸が締め付けられそうに。
病気を患ってるのも知っていました。
私より頻繁に親方のお寿司を味わってきた方もたくさんいらっしゃると思いますし、その方その方の親方への深い思いは消えることはないでしょう。
いつものささやかな御礼にと、彼の名前「長野充靖」の一文字「充」をアート書(キャレモジ)にしてプレゼントしたら、行くたびに
「美香さん、ずっとずっと寝室に飾ってるんです!」と何度も連呼して、とびっきりの笑顔。
お土産にいただく美味しい太巻き。
具がぎゅうっと入って、飛び出してしまうほどのズッシリした重さに、次の日に食べるのが待ち遠しくなるくらいのそれは美味しすぎる“おみや”。
丁寧に下ごしらえをした魚たちは、親方の手にかかると素晴らしいパフォーマンスとともに私たちを大いに喜ばせてくれる、まさにエンターテインメントな空間。
親方、幸せをほんとうににありがとうございました。
絶対に絶対に忘れませんから。
私の「長野劇場」はやっと終止符を打つことができます。
青山墓地の桜トンネル・・・抜けると親方の『海味』でした。
今年も美しく咲いてね。
合掌