東京こそが外国だ | Marina Oku
Marina Oku

東京こそが外国だ

 

原宿から阿佐ヶ谷に引っ越して3か月が経った。すぐに一人暮らしに馴染んだ。淋しいかというと、そうでもない。「悠々自適」という言葉が一番しっくりくる。一人になって、ある種の解放感もあった。18歳のときに上京してから居場所は豊島区→新宿区→世田谷区→品川区→渋谷区→杉並区と移り住んで6つめ。変化することを厭わないというか、むしろ自ら変化めがけてダイブすることに快感すら覚えていた。だから私は、環境に合わせて自分をチューニングするのが得意な方だと思う。

 

 

阿佐ヶ谷に住み始めてから、阿佐ヶ谷を発端にして「東京のローカルな街」というものの存在に急に目を向けるようになった。原宿を出ようと物件探しをしていたとき、都内や近郊のいろんな地を踏んだのがきっかけだ。図書館の近くを探していたので、ネットで調べて区の中央図書館がある街に赴いた。最初は都立大や桜新町といった、渋谷から1本で行ける東急線の、私にとって馴染みのある渋谷文化圏内へ。それから、十条、金町といった、東京の北側や東側の街にも行ってみた。

 

私は上京してから節目節目で23区内の西側エリアで移動を繰り返し、徐々に南下した。だから、北側や東側といったエリアは未知の世界。大学時代の友達もいなければ、社会人になってから出会った仕事関係の人もいない。向こう岸の東京は、ブラックホールのようなところに思えた。

 

とくに美容業界誌の編集をしていた20代は、青山・原宿・代官山といった渋谷文化圏だけで私の世界は完結していた。それ以外のエリアは同じ東京と言ってもあまりに接点がなさすぎて、同じ時間軸を共有しながら生活している人がいるということのリアリティが欠如していた。東京の西と南以外は得体が知れず、「怖い」という感覚すらあった。「台東区とかの東京の東側と私の人生とが交わる日が来ることがこの先あるんだろうか…」と山手線の対岸に思いを馳せたりしていた。

 

しかし、葛飾区の金町駅に降り立ったとき、旅先でよく感じるような知らない土地に降り立つときの心もとなさを一瞬忘れた。「ん!? 思ってたよりきれいだな」という印象が恐れを和らげた。「広いし駅前はおっきいスーパーもあるしいろんな店があって便利そう。改札に人がいっぱい出入りしてるところを見ると、ここはベッドタウンなんだな。案外住みやすそうじゃないか…」のちに建築関係の知り合いから聞いたところによると、金町の駅前は数年前に彼らの手によって再開発されたらしい。このとき私は『東京にある、よその街』で生きる人々の息づかいを初めて見出したのだった。

 

 

これまで、自分の住んでいる街に目を向けるということがなかった。見ているようで、全然見ていなかった。池袋に住んでいても、早稲田に住んでいても、下北に住んでいても、目黒に住んでいても、原宿に住んでいても、その場所に体を置いているというだけ。その地域の文化に関わろうという気がなかった。「目黒のさんま祭り、今年もすごい行列だな〜こんな炎天下の中で並ぶ気が知れないわ…」と横目で見ながら仕事に向かった。原宿でも地元のお祭りはあって、地元の人が神輿を担いで表参道をわっしょいわっしょいと練り歩いているのをたまに見かけたが、私の関心はつねにシェアハウスの内部にしか向いておらず、本来的な意味で私と原宿という土地とが交わることはなかった。

 

私が関与する世界は一人暮らしの部屋と大学、あるいは、職場や仕事で出歩く表参道界隈のみ。目線はいつも、大学時代は大学という場、社会人のときは業界やシェアハウスのコミュニティといった、土地から切り離されて宙に浮いている人間の集団だけに向いており、けして地域社会に向くことはなかった。

 

まるで「東京を代表しています」と言わんばかりに都市型生活を送っていた“リア充”な私は、東京のあちこちに根を張って生きている人の生活というものがあることを、知っているようで知らなかった。認めているようで認めていなかった。「自分とは無関係な世界」と決めてかかり、線引きをしていたのだ。

 

 

そのわりには、もっと遠いはずの海の向こうの国に目線を投げかけがちだった。旅行するとなれば、「どうせ行くなら」と海外にばかり行き、やたら世界と繋がりたがった。

 

だけど、その前に、もっと身近なところに外国はあったのだ。

 

そんなに遠くを見ずとも、「自分とは関係のない存在だ」と思い込んでいた外国は、すでにすぐそばにあった。

 

土地も人種も言語も文化もまったくかけ離れた世界と自分が結ばれることにロマンを感じていた私は、「違っても同じ人間だ」ということを言いたがる、コスモポリタン気取りの偽善者だった。

 

 

私が住む東京こそ、外国だらけだ。

 

「灯台下暗し」とは、「青い鳥」とは、まさにこのこと。

 

これが、私が阿佐ヶ谷に引っ越してから1か月ほどの間に気付いたことだった。

 

Profile

marina oku

“家帰ってからも、リア充”な、原宿のシェアハウスTHE SHAREの住人。 ヘアビューティ業界誌の編集者。『フツーの人』を主役にするコラム&プロジェクト「個性美の解放」ブログを更新中。

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