古市憲寿×鈴木康広が読み解く「フォンダシオン ルイ・ヴィトン」アートの定義とは? | Numero TOKYO - Part 7
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古市憲寿×鈴木康広が読み解く「フォンダシオン ルイ・ヴィトン」アートの定義とは?

アートであるという定義、境界線はどこ?
F「哲学者ってアリストテレスとかでさえ『本当にあいつら何もしないな』って馬鹿にされていたらしい。哲学者は社会にとって何になるのかって。アーティストも似ていて、時に崇められては時にバッシングを受ける」
S「僕、真顔で『それって何のためになるんですか?』って聞かれると、しゅんって消えたくなりますよ」
F「もう一つぼくが鈴木さんに聞きたいと思っていたのは、どこからどこまではアートなのか。例えば、100円ショップに売っている、たいやきの形をした消しゴムはどうでしょうか。機能としては消しゴムという役割だけ果たせばいいものを、ある種、見立てるという作業はしてる訳じゃないですか」
S「なるほど。そうですね、これアートっていうかな? たぶん、これがアートになるかならないかって、使い手次第。一意見ですが、商品という段階であれば、僕の中ではアートだとは言えない。これが売る目的で作られたものではなくて、誰かが自主的に『自分で消しゴムを彫ってたいやきにしてみよう』と思って作ったり、例えば結果が分からない状態で、その作ったたいやきの消しゴムを好きな子に『これ作ったんだけどどう?』って聞いて、『え?』とか言われた瞬間にはアートになっているかもしれないですね。でもその『え?』と思っていた子の気持ちが一週間後に変わって両想いになったりすると、それもアート。僕が考えるアートは、それで何かが変わったかどうかかな。『え?』って言われて、当の本人に気持ちがなくなっても、アート(笑)」
F「例えばこれを、日本文化を全く知らない外国人がたまたま見て出合って超感動したら、その人にとってはアートかもしれないですね」
S「そうですね。その瞬間アートになりうる」
F「そうか。作家性を信じるってことですかね。作品がただポツンと存在している訳なくて、作品に触れるオーディエンスが絶対にいて、その相互作用によってアートかどうか決まってくるという」
S「僕の中ではそれがかなり重要。アートを訳した『芸術』って日本語は、どこかすごく高級で価値が定まっていて、どちらかというと思考停止のようなニュアンスを含んでいるから、違う言葉があればいいんですけどね。普遍的な芸術を否定している訳ではなくて、それはそれで、ただ『アートの瞬間』ってありますよね。その再現の仕方というのは独自の技術だから、必ずしも絵画とか彫刻という手法には限らないんじゃないかなと」
F「ということは、誰でもアーティストになれる瞬間が?」
S「あるんじゃないですかね。たった一人の身近な人の心を動かすことも、アートと言いたいですよね」

古市憲寿(ふるいち・のりとし)

1985年東京都生まれ。社会学者。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した著書『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)などで注目される。最新刊の『保育園義務教育化』(小学館)では、女性が置かれた理不尽な状況を描き、その解決策を示す。

鈴木康広(すずき・やすひろ)

1979年静岡県生まれ。2010年、瀬戸内国際芸術祭にて全長11メートルの《ファスナーの船》を出展。2014年には水戸芸術館、金沢21世紀美術館にて個展を開催。武蔵野美術大学空間演出デザイン学科准教授、東京大学先端科学技術研究センター中邑研究室客員研究員。2014毎日デザイン賞受賞。作品集に 『まばたきとはばたき』、『近所の地球』(青幻舎)。
フランク・ゲーリー/パリ – フォンダシオン ルイ・ヴィトン 建築展 URL/www.espacelouisvuittontokyo.com/ja/   Edit:Yukiko Shinmura

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