古市憲寿×鈴木康広が読み解く「フォンダシオン ルイ・ヴィトン」アートの定義とは? | Numero TOKYO - Part 3
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古市憲寿×鈴木康広が読み解く「フォンダシオン ルイ・ヴィトン」アートの定義とは?

手作業の中での葛藤が見える展示
S「建物を実際作るとなったら、時間もお金もかかるし資源も必要。しかも、当然その土地の特性や使う人のための機能と、作りやすさという面も取り入れると、定形が出来てくる。似たモノでもいい。でもそれだと、フランク・ゲーリーはいてもたってもいられなくなると思うんですね。彼の眼鏡を借りれば、自分だったらこうするというあるラインが見えているのかもしれない。ある種の独特の信頼性を持っているんです」
F「すごく面白いなと思ったのが、はじめはデッサンの中で『ぐちゃ』とした線で建物を表現していたのものが、次は模型の中で木や紙が『ぐちゃ』としていて中々イメージが固定されない。そしてその建築模型が、試行錯誤を繰り返して、汚れているというのもすごく興味が沸きました」
S「そうですね。下書きとかボンドの跡とか周りにいっぱい残っています。見る人によっては、美術館のようなきれいな場所で、なぜこんな汚いものを出しているの?と思う人もいるかもしれません。建築家が作っていた模型を出すというのはすごく勇気がいることなのに、例えばガラスの部品を付けようと思ってボンドを塗って、でもそのまま乾いちゃったような部分もそのままの状態。僕はこういうモノを見ると、作り手の姿が見えて来て、頭の中でがしゃがしゃと作業をはじめるんです」
F「手作業の中での葛藤までも見える」
S「今回のこのエスパス ルイ・ヴィトン東京で開催されている展覧会の趣旨は、まさにそこを見せたいっていうのがあるんじゃないかな。そして、これからはもっと見せられるようになる。例えば3Dの映像で作業している人の手の動きを記録して、完成したものの周りにそれを投影しながら展示するとか。まるでアシスタントのアシスタントになったような感覚で、そのプロセスを体感できますよね。そうなればなるほど、見る側もそれだけ、自分で考えて見る目を持っていないと楽しめないですけどね。古市さんはパリで実物を見て、どうでしたか?」
F「360度どこからも見れるものなんだなってことに驚いたかな。実際にパリに行ったときに感じたし、模型を見ていても感じました。これまで建築って、大概は表通りに面している部分こそが主役で、あまり裏側ってないものだと思っていました。建物の半分、いや7割は裏にも関わらず、みんな表を気にするなって。でも『フォンダシオン ルイ・ヴィトン』には裏表がない。『フォンダシオン ルイ・ヴィトン』が面白かったのって、表がどこかわからないところかも」
S「内側と外側もない。建築ってそもそも、実はその存在を感じるのにすごく訓練が必要だったりするんです。何気なく歩いていても、見逃します。中でもフランク・ゲーリーが作るものはつかみ所がない。何百回、何千回まわりを歩いても飽きないし、二度と同じところに立てない。さらに思い出そうとして頭の中で描いてみても明確にイメージができない。実際に季節も変わりますから。感覚的な建築ですよね。それは同時に、今の建築技術の最高峰というか、ありえないことをデジタル技術含め全てを集約して完成させているので、これ以上のものはある意味無理というのを、フランク・ゲーリーという人は実現している。ものすごくアメリカ的で、人間がモノを作るために突進しているというパワーを感じます」
F「すごく印象に残ったなと思って帰ってきたんですけど、今言われて、はっとしました。1回行っただけでは、思い出そうとしてもやっぱり頭の中ではっきりとはイメージできないですね。それでいて、想像に反して使いやすそうなんです。外観を見ると迷路っぽいのに、屋内は歩きやすかった」
S「内部空間はシンプル。条件を満たしながらも、流れる時間と対峙している。建築家として、そういうことに挑戦できる段階に入った人なのでしょうね」

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