Numero TOKYOおすすめの2021年9月の本 | Numero TOKYO
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Numero TOKYOおすすめの2021年9月の本

あまたある新刊本の中からヌメロ・トウキョウがとっておきをご紹介。今月は、本谷有希子による現代の闇を描いた新作、英・人気ミステリ作家の初邦訳、そしてコロナ禍だからこそ読みたい「旅」をテーマにした短編集。

『あなたにオススメの』

著者/本谷有希子 価格/¥1870(税込) 発行/講談社

強烈なキャラクターたちが織りなす、現代社会の“闇”

2018年に発表した短編『本当の旅』(『静かに、ねぇ、静かに』所収)で、写真・動画共有SNSに没頭するあまり、編集や加工された情報にしか“本当”を感じられなくなった3人の男女を描いて話題を呼んだ本谷有希子。彼女の最新作品集となる本書に収録された2編でも、情報などに依存しきった人々の姿を通して、現代における“闇”をさらに濃く描き出している。 『推子のデフォルト』は、ある社会的混乱を境に価値観が激変した近未来が舞台となっている。子どもをインターネットに24時間つながった状態で生活させることが推奨される社会で、「等質」に子どもを教育するメソッドで人気の保育園に娘を通わせる主人公の凡事推子(ぼんじ・おしこ)。体内に電子デバイスをいくつも埋め込み、動画や音楽を同時再生させながら日常生活を送る推子は、コンテンツ依存症ともいえる体質となっている。 あらゆるエンタメ系サービスを貪り尽くし「配信される人工的な制作物だけでは満足できなく」なった推子が夢中になっているのが、社会の新しい価値基準を受け入れられず子育てに悩むママ友、こぴんくんママだ。息子に“オフライン依存外来”を受診させるよう保育士に促された悩みを打ち明けるママ友の様子を——最新の通信機器「須磨後奔(すまあとふぉん)」でコンテンツを再生させながら——リアリティ番組でも見るかのように楽しみ、「やっぱり食材もコンテンツも、自然由来がいちばんよねぇ」と独りごちる推子。お気に入りのコンテンツをより充実させることを目論み、ある教育メソッドを実践する学園の説明会にこぴんくんママを誘う推子だが、事態は思わぬ方向へと動き出す。 他者の人生を“コンテンツ”として享受する推子に嫌悪感を抱いてしまう読者は、たぶん多いだろう。しかし物語後半で「私、早く楽になりたい」と吐露するこぴんくんママのように、さまざまな選択肢から“正解”を間違えずに選びながら生きることに疲弊している人にしてみれば、“コンテンツとして楽しめるかどうか”という価値基準のもと、余分な感情を削ぎ落としていく推子の突き抜けた生きざまを羨ましく思うかもしれない。ありとあらゆる問題が噴出し、現実社会がディストピアめいている昨今において、推子のエクストリームな生き方は現実を生き延びる手段のひとつのようにも思えてくるのが恐ろしい。 同じく本書に収録されている『マイイベント』では、自然災害が起きるたびに写真を撮り、「マイイベント」と名前をつけたフォルダに保存することを趣味とした田代渇幸が主人公となっている。大規模な台風が迫るなか、タワーマンションの最上階にある田代家に、最下層に暮らす家族が避難してくることで生じる事件を描いた短編なのだが、この渇幸がとにかく強烈だ。推子以上に胸糞が悪くなるキャラクターとなっており、著者の人間観察能力の高さに感服させられる。なんともいえない読後感を残す物語ではあるが、現代における寓話として、ぜひご一読を。

『見知らぬ人』

著者/エリー・グリフィス
訳/上條ひろみ
価格/¥1210(税込)
発行/東京創元社

物語も読み心地も極上な、ベテラン作家の初邦訳ミステリ

イギリスの人気ミステリ作家であるエリー・グリフィスの初邦訳作品となる本書。アメリカ探偵作家クラブのエドガー賞最優秀長編賞受賞作というお墨付きのミステリ作品ではあるが、ヴィクトリア朝小説やゴシック小説を愛読する方々にもおすすめしたい作品となっている。

物語はウェスト・サセックスにあるセカンダリー・スクール(中等学校)のタルガース校で幕を開ける。同校にはヴィクトリア朝時代の作家ローランド・モンゴメリー・ホランドの邸宅だった建物が旧館として使われており、幽霊が出るという逸話すらある。10月の中間休み期間、タルガース校で英語教師をしながらホランドの研究をしているクレアのもとに、親友である同僚のエラが殺害されたと連絡が入る。遺体のそばにはホランドの怪奇作品『見知らぬ人』に繰り返し出てくる文章が記された手書きのメモが残されていた。エラの死を巡って学内が混乱するなか、クレアの日記にメモと同じ筆跡でつづられた書き込みが見つかり、さらに第二の被害者が旧館で発見される。

英国ミステリや見立て殺人ミステリとしての面白さはもちろん、読み心地の良さもこの作品の魅力だろう。物語はクレア、クレアの娘のジョージア、事件を捜査するハービンダー・カー刑事の3人の視点で語られ、合間にホランドの『見知らぬ人』やクレアの日記の一節が挟まれながら進むものの、それぞれのパートがしっかりと結びついているため、物語の筋道を見失うことがない。作品設定や時系列が複雑なため、一気に読み進めないと理解しづらい作品も世の中にはあるが、本作の場合はインターバルを挟んでもスッと物語に戻れるので、上質なお酒やお菓子のように少しずつ時間をかけて味わう読み方もできる。

また語り手の一人であるハービンダーも、本作の魅力を語るうえで欠かせない存在だ。同性同士の結婚が許されないシーク教徒の同性愛者で、身上を「実家で両親と暮らしている三十五歳の女です。批判は甘んじて受けます」とクレアに対して説明する、どこかドライな一面を感じさせるハービンダー。いわゆる名探偵のような卓越した推理能力を持っているキャラクターではないが、言動から誰に対してもフェアであろうとする姿勢が伺え、等身大の人間として憧れを抱いてしまう読者もいるだろう。なお巻末の解説によると、高評価を得た本作の続編がイギリス本国では既に出版されており、こちらにもハービンダーが登場しているそう。解説を担当した大矢博子氏も文末に記しているが、ハービンダーのファンとしても「ぜひとも邦訳をお願いしたい」。

『Voyage 想像見聞録』

著者/宮内悠介、藤井太洋、小川哲、深緑野分、森晶麿、石川宗生
価格/¥1705(税込)
発行/講談社

多様な“旅”のかたちを楽しめる、魅惑的なアンソロジー

ミステリやSFのジャンルで活躍する作家6名による短編が収録されたアンソロジーとなる本書。タイトルからもわかるように旅がテーマとなっているのだが、それぞれの作品の中で描かれる“旅”の形は実に多様だ。

自分や家族の生まれ故郷を訪れる“旅”を描いた作品としては宮内悠介の『国境の子』と、森晶麿の『グレーテルの帰還』の2編がある。『国境の子』の主人公は入院中の母を見舞うために長崎県対馬へと帰省するのだが、母からの予期せぬ質問をきっかけに韓国・釜山へと向かう。主人公の短い旅の物語は、人と人との隔たりを生み出すものは何かと静かに問いかけてくる。家族旅行と聞いたとき、つい幸せそうなイメージを抱きがちだが『グレーテルの帰還』で描かれる家族旅行の場合はそうではない。旅をきっかけに人生が一変する少女を主人公としたサスペンスは、夏の気配がかすかに残る時季に読むと、よりスリルを感じられるかもしれない。

旅先でのアクティビティだけが、何も“旅”の醍醐味ではない。藤井太洋の『月の高さ』では、舞台の大道具を積んだトラックを東京から青森へと走らせる旅公演のスタッフが主人公となっている。道中で巻き込まれるトラブルと主人公の追憶が並行して描かれる物語は、行動が制限される移動時間にも旅ならではの非日常性があることを思い出させてくれる。旅の基点となる宿に、想像力で新しいかたちを与えたのが、深緑野分による『水星号は移動する』。移動式の宿で働く少年と、彼が出会う人々が織りなす人間模様は、なぜ人は旅に出るのかを描き出す。

収録作のうち、ディストピアともいえる世界での旅を描いているのが石川宗生の『シャカシャカ』と、小川哲の『ちょっとした奇跡』の2編だ。地球上の場所が細切れに入れ替わるようになった世界を生きる姉弟のサバイバルSFとなっている『シャカシャカ』は、物語の時系列もシャッフルされている。節ごとにふられた番号順に再読したとき、時間の経過とともに人々の倫理観が蝕まれていく描写に、“緊急事態”が日常的なものとなった現実を重ねてしまう人も少なからずいるだろう。

『ちょっとした奇跡』は地球の自転が止まり、人口が400人弱まで減った人類が、昼夜の境目を移動しつづける2隻の船で生きる未来が舞台だ。船で生まれ育った見習い機関士の少年・マオには、地球半周分離れた船に暮らす「人類で唯一の同級生」のリリザがおり、永遠に会うことのない彼女と半年遅れで届く文通をしている。ある日、人員の男女比調整を目的とした船の移住をマオは船長から打診されるが…。英語圏最高の短編小説家とみなされてきたウィリアム・トレヴァーは生前のインタビューの中で、短編小説においては無意味なものを排除することが重要であるが、人生はほとんどの部分が無意味であると語っていたという。タイトルの通り、人生における「ちょっとした奇跡」を描いた物語は、つかの間の非日常を味わう旅と短編小説との相性の良さも実感させてくれる傑作となっている。気軽に旅へ出ることが難しい昨今、ぜひ本書を通じてまだ見ぬ世界へと思いを馳せてみてほしい。

ヌメロ・トウキョウおすすめのブックリスト

Text&Photo:Miki Hayashi Edit:Sayaka Ito

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JUNE 2024 N°177

2024.4.26 発売

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