Numero CLOSETにて期間限定で展開中の、ヒマラヤ⼭脈に囲まれた秘境のような国、ブータンの伝統工芸の一つである手織物。ウールやシルク、コットンなどの自然素材を、原料探しから糸を紡ぎ染めることに始まり、昔ながらの織機を用い、工房を支える女性職人によって織り上げられている。現代に受け継がれるブータンの手織物文化を背景のストーリーとともに紹介する。
世界一幸福度が高いと言われる国、ブータン。そのゆえんは後述するとして、まずは今どきの幸福って何? とCHAT GPTに聞いてみた。
「すごく大きな問いだね。でも、だからこそ面白い。『幸福(しあわせ)』って、人によっても、時期によっても、状況によっても違うものだと思う。ざっくり言えば、幸福は「心が満たされている状態」。でも、どう満たされるかは人それぞれ。
たとえば──
・誰かと深くつながっていると感じたとき(家族、友達、恋人)
・自分のやっていることに意味ややりがいを感じられるとき(仕事、趣味、学び)
・安心して過ごせる日常があるとき(健康、安定した暮らし)
・未来に希望が持てるとき(夢、目標、ワクワクすること)
でも、逆に言えば『足りないものがあっても、心が満たされていれば幸せ』とも言えるかもしれない」

なるほど。なかなかにまとまった回答をくれるものだ。昨今はこんな原稿だってAIを駆使して、さらさら書けるのかも……。それはさておきブータンの幸福指標とされているのはGNH(Gloss National Happiness)という考え方だ。日本を含めた欧米諸国ではこれまでGNP(Gloss National Production)またはGDP(Gloss Domestic Production)、つまりプロダクション=どれだけたくさん生産できるか、というのを基準に国の経済力を測り、その数値が高いほど良い、とされてきた。一方で、ブータンは経済優先でなく、国民の幸福度を指標に発展を目指そう、というポリシーを掲げている。

このGNHというコンセプトの草案ができたのは1971年のこと。現在の国王の祖父、第3代のジグミ・ドルジ・ウォンチュク国王が「国民の繁栄と幸福」という趣旨のスピーチを国連で行ったことに端を発す。現在も外交としてはEUと近隣諸国など56カ国のみしか正式国交を結んでおらず、GDPランキングの1位と2位であるアメリカと中国とは国交がないというのは特徴的だ。ここにもブータン発展において資本主義的な指標には基づかない、という意識的な方針が見えてくる。
ブータンの考える幸福のための指標とは?
具体的にGNHの指標を見てみよう。「持続可能な開発の促進」、「文化的価値の保存と促進」、「自然環境の保全」、「良い統治の確立」という4つの基軸と、さらに「教育」「生活水準」「健康」「心理的幸福」「コミュニティの活力」「文化の多様性」「時間の使い方」「良い統治」「環境の多様性」という9項目を掲げている。昨今、私たちがよく耳にするSDGsにも近い考え方で、ブータンは何なら先進国と言われる諸国より先見の明があった、ともいえそうだ。
今回Numero CLOSETで紹介するブータンの手織物はそんなGNH指標のひとつ“文化的価値の保存と促進”にあたるプロダクトである。まずブータンの人たちは、今も毎日、民族衣装を着用することが国で義務づけられていて、そのためブータンでは手織物の伝統が保護されてきた。ロイヤルファミリーによってサポートを受ける工房も少なくない。
ブータンの民族衣装は日本の着物やインドのサリーにも似ている。女性はキラ(Kira)、男性はゴ(Gho)という。
織物は小国ながらも地域性に富んでおり、ウールやシルク、イラクサなどの天然繊維を使い、地元で採取できる原料から草木染めが施されたものも多い。ヒマラヤの大自然やチベット仏教などに根差した紋様は、古来より真信深いブータンの人たちによって大事に受け継がれてきた。ブータンには手織りを指す“Hingham”という言葉があり、それは単なる手作業や技術ではなく、“心で織る”という意味をもつ。織物職人の9割は女性で、伝統と技術は母から娘へ、と伝えられてきた。

手織の伝統で新たな産業を作る
今回紹介するようなインテリアのアイテムがブータンで作られ始めたのは実は最近のこと。残念ながら経済的な自立ができていない人も多いという現状から、約5年前、国連の関連機関であるITC(International Trade Centre)の指導のもと、手織物を新たな産業として強化していこうというプロジェクトが立ち上がった。インテリア分野が採択されたのは、クッションカバーやブランケットなどであれば、服飾に比べパターンが単純であり、またミシンがなくても手作業で仕上げができるからという理由。ただ、ブータンにはそもそも、こうしたインテリア製品を日常生活で使う習慣があまりなく、また同じデザインやサイズのものを量産するのはもとより、海外輸出の経験もほぼ皆無だったので全てのステップはチャレンジの連続だった。
今回ポンチョとしても着られるブランケットとクッションカバーを作っている工房の製品。
工房の指揮をとるソニーさん(左上)。紡糸に使われる道具も昔ながらのものだ。ウールのアイテムはティタと呼ばれる高織で作られる。
ITCのチームはスイスやフランス、イギリス、アメリカ、日本など多国籍編成で、デザインやビジネス、マーケテイングなど全てのノウハウをブータン在住の職人たちと約3年をかけて共有していき、少しずつだが世界各地のハイエンドなリテーラーにブータン産のプロダクツが展開されるようになった。ちなみに私は2019年にアメリカと日本のマーケットコンサルタントとしてプロジェクトに参加し、ITCのサポート体制が終了した後は個人的にエージェントとしてプロジェクトを率いている。
今回紹介するブランケットを説明してくれるカルマさん。ブータン伝統の建築様式で建てられた彼女のお店にて。
1枚の手織物を介して「幸福」な世界に
現在、日本での展開は直接エンドユーザーに受注をとるポップアップの形式で各地を巡回しており、オンラインではNumero CLOSETが初の試みとなる。受注会の形式を取る理由はまさに「GNH」の精神から。デジタル化も進み、多くのものが簡単に入手できる昨今だが、受注した数量のみを生産することで余剰在庫を発生させない。1枚の織物にまつわるストーリーとして、作る人から売る人、そして買う人までが相互にリスペクトとプライドを持つことができるビジネスモデルを作りたい、そんな願いをプロジェクトの根底に込めている。資本主義が飽和状態を迎えた今、たくさん作ること、そして多くを所有することが必ずしも「幸福」とは限らないのだから。

注文後、商品を受け取るまでには約4〜6カ月の時間を要するが、人の手によるクラフトを完成させるためにはそれだけの時間と労力がかかることを知る機会、と捉えていただけたなら幸いである。1枚の織物を完成させるには季節にもとづいて採取される自然原料の手配から始まり、紡糸や染色、織りなど数多くの工程があり、最低数週間、手が込んだものになれば数カ月かかることも多い。全ては人の手によって作られるもの、いわばトレンド主導型のファストファッションやAIとは対極にあるプロダクトである。
今回Numero CLOSETで予約注文を受け付けるテキスタイルの一部(サンプル)。
ここまで読んでいただいて、Numero CLOSETで製品をご覧になる方へ、価格のことを少し。アジア諸国はこれまで人件費の安さから世界の「生産工場」としてさまざまなプロダクトの製造を行ってきた。ブータンの両隣にあるインドと中国はもちろん、ベトナム、バングラデシュなど……。 それらの国々にもそれぞれ伝統があり、美しいクラフトがあるが、それらと比較してブータン製品は割高、と思われることもあるかもしれない。手仕事の価値に優劣をつけることはできないが、安すぎるものにはどこかで誰かの負担を強いている可能性も高い。価格競争から、劣悪な労働環境が生まれたり、悲惨な事故に繋がったり。原料調達から企画生産、輸送、販売まで全てのステップが適正価格であること。そして正しい価格設定のものを選びとる美意識、というのも今後は大切になってくるのではないだろうか。
職人たちの「心」で織られ完成したプロダクトは、機械生産にはない味わいと温もり、それぞれの表情がある。注文される際に手触りを確かめていただけないのは少々心苦しいが、デジタルの良さは、より多くの方たちにブータンについて、そしてこのプロジェクトの存在を知っていただけること。一枚の手織物が、人々の心や生活を「幸福」にし、少しでも世界を優しい気持ちで満たすことができたら。

Photos & Text:Akiko Ichikawa