2020年12月29日、代々木VILLAGEの閉館に伴い、代々木カリーは閉店となります。
そんな訳で今回はざっくりとですが、代々木カリーが出来るまでを振り返ってみたいと思います。
私世代としては懐かしい、代々木ゼミナールの跡地に作られた商業施設「代々木VILLAGE」さんから、エントランスから入って右のコンテナゾーンでの店舗展開の依頼が、私が音楽の仕事以外で働いている会社(DGZP,LLC – 2010年に遊び仲間と起業)に届いたのは確か、2013年春先あたりでしょうか。
(渋谷花魁八周年の記念撮影写真・2018年)
あまりこのDGZP,LLCについては書いたり発信したりしてこなかったのですが、折角こんなタイミングなので先ずはそこから綴りたいと思います。
昔からの遊び友達の密林不動産のアカシ君が、リーマンショックの影響で空いていた道玄坂入ってすぐの古民家物件の運用に困っていた頃、同時に昔の遊び友達でスペースデザイナーの佐藤が、何か自分が軸でこの古民家をリノベーションして、自分のデザインの象徴となるようなアンテナショップをやることは出来ないだろうか?と悩んでいた時に、どうやら私の存在を思いついたそうで、久々に再会して何度か一緒に飲みながら色々と話したのですね。
それから運営面の組織が安定するまでは紆余曲折ありましたが、アカシ君や佐藤と出資者の家入一真さんも交えて、合同会社の名前を決めようという流れになり、道玄坂プロジェクトの略で「DGZP,LLC」に決めました。
DGZP,LLCでの初仕事は、当時は「近代日本的飲食音空間」と銘打った「しぶや花魁 shibuya OIRAN」を開店するということで、私はプロデュースを担当。内容に加えて、ウェブのディレクション、スタッフの面接からネットや雑誌での宣伝活動、その他の色々を勢いで経験させてもらいながら、半年がかりで業態の設定から探り探りで作っていった感じがあります。
2012年くらいから、料理を提供していたシェフが独立したこともあり、より音楽とバーに力を入れた「ウォームアップ・バー」という業態で継続することに。
この時の切り替えは我ながら、期が熟したなと感じました。
スペインのIBIZA島で体験した夜遊び前に皆が集まるウォームアップ・バーの感覚を、東京でも有数のクラブやライブハウス、映画館が集まる道玄坂なら表現できるかなと思ったからです。同時期より、m-floの⭐︎Takuさんからのお誘いで、ダンスミュージック専門インターネットラジオのblock.fmにて「shibuya OIRAN warmup Radio」が毎週金曜O.Aとして始まり、渋谷花魁周辺の旬の情報やアーティストとの交流を促せる番組として、親しみやすいメディアとして現在も続行中です。また、2014年からは「OIRAN MUSIC」というレーベル、ミュージック・ブランドも開設して、主に女性アーティストに特化した音楽作品の発表や、イベント制作も外部で行うようになりました。
「ウォームアップ・バー」というフレーズと様式はその後、わりとこの10年で浸透していったと感じております。
ふと思い出せば、オープンから半年は期間限定で二階のアートスペースに飾るために、横尾忠則さんのリトグラフをお借りしたり、その後は七尾旅人の「Rollin Rollin」のジャケットビジュアルでもお馴染みの菱沼彩子さんにお願いしたり、現在は3代目で視覚ディレクターの河野未彩さんが作品を常設展示してくれております。
(渋谷のラジオ体操の撮影でご一緒したハセベケン渋谷区長と)
1階はあくまでもフランクなスタンディング・バー、二階はDJブースとAOさんがサウンドデザインを担当してくれた心地よい音像に包まれながら、常設アートと飲める空間。割と要素が多いようで飾りっ気のない、「しぶや花魁」らしい淡々とした昭和の駄菓子屋さんと、何処か異国のバーが混在するかのような、、、知らぬ間にそんな着地点が現在形です。
代々木カリーの話に戻しましょう。
DGZP,LLCとして運営をすることになったコンテナゾーン、しかし調理スペースは狭く、排気や様々な問題もありながら、客席はカウンターとテラスなので、季節感にも左右されやすいという条件の中で、どんな風に魅力を引き出せる業態にするか、アカシくんと佐藤、新たな出資者のアリさんも交えながら、私たちは何度かブレストを重ねました。
そして編み出したのが「代々木カリー」でした。
先ずは名前から作りました。土地への尊敬は商売をする上で必ず取り入れたいポイントなので(渋谷花魁の時も同じ)そしてキャッチーでわかりやすく、語呂のハマりもよくて、割と満場一致でこれでいこう!となったと記憶しております。
(2013年7月7日のオープン日の写真)
そこからの商品開発ですが、有元さんの紹介で料理研究家の真鍋摩緒さんをご紹介いただき、当時の渋谷花魁の店長だったチョウさん(エコール辻出身)とタッグを組んでいただき、私が提案したコンセプトである和食材や出汁などを使った和風カリー、蕎麦屋のカレーとは違い、ライスには十六穀米を使いご飯の量は150〜200gが基本としてレシピ開発に取り掛かっていただきました。
そんな中で生まれた代々木カリーの代名詞とも言える代表作が「ホタテのバターレモンカリー」です。
サンデージャポン、王様のブランチ他多くの地上波TV番組、FIGAROやCanCanなど雑誌のカレー特集にもよくお声がけいただきました。
閉店後も何らかの形で復活できればと思っております。
そして代々木カリーは、空間や人の流れにおいては、渋谷花魁と違う文化圏にアプローチしたいという思惑もありました。
新宿や千駄ヶ谷も近く、総武線や山手線、大江戸線でもアクセスしやすいので、渋谷で遊んでいる感じとは違うお客様はとっても新鮮でした。BGMもシティポップや昭和歌謡などをチョイスしました。
私自身も年齢を重ねるにつれ、子供やペットを連れて昼間に会うことが増えた友達や、クライアントとのランチミーティングの機会も、自分のライフステージにも沿った空間でしたね。
あと、春夏は日本では珍しいテラス席、秋冬はグランピング気分でコタツ席にアップデートするというのも、必要は発明の母というかギリギリに思いついたアイディアでした。
カウンターの中には小さなショウケースをオープン当初より設置していて、小さなアートピースやアクセサリーなどの販売も行いました。ゲストでヴィヴィアン佐藤さんがポップアップをしてくださった時は、連日盛況でした。ちなみにクロージングのポップアップは、まこみなみんが担当してくれます。
ウェブや看板のロゴはGUTSON TG INC.、店内の写真はKenta Aminaka君、ウェブのキャッチコピーや文章はライターの醍醐ちゃんにお願いしました。
本当にたくさんの仲間たちの協力があって仕上がった空間、そして絶妙なバランスでなんとか継続できたこと、感謝の気持ちでいっぱいです。
形あるものはなくなるので、なくなってしまうのは悲しいですが、残り少ない期間は真っ直ぐに堪能したいと思います。
カワムラユキ