進化する原宿「ジェンダレス男子」のこれから | Numero TOKYO
Culture / Yonethropology

進化する原宿「ジェンダレス男子」のこれから

編集者、フォトグラファーとして世界中で活躍する米原康正が、東京のガールズカルチャーを読み解く連載企画「tokyo girls ポップな東京文化人類学」。今回は「ジェンダーレス男子」創作者でもある丸本貴司と語り合う、原宿男子たちの未来。

原宿のWONDER PHOTO SHOPにて、チェキフォトグラファー米原康正が監修するフリーマガジン「CHEKI-SHA(チェキ写)」の写真展が開催されている。ここにモデルとして登場しているのが、アパレルショップ「WEGO」を中心に活動する「読モBOYS&GIRLS(以下 読モBG)」所属の10~20代の男子たちだ。常に街のリアルなガールズカルチャーを見つめてきた米原康正がここ数年、原宿渋谷を拠点にする女子だけではなく、男の子たちを撮り続けている。いま、若者文化を語るのに、男女を分けるのはナンセンス。ファッションの世界でも「ノージェンダー」というワードは注目されているが、東京で起きている現象は、海外のそれとは異なる特殊なカルチャー。いま、若者たちの間でどんな文化が産まれているのか? 米原康正と、「WEGO」PRでありながら「読モBG」を生み出し、「ジェンダーレス男子」創作者でもある丸本貴司が対談。

「ジェンダーレス男子」カルチャーの立役者
丸本貴司が見つけた「こんどうようぢ」「大倉士門」「とまん」

米原「丸本くんと出会ったのは2012年だよね。WEGOのPRになる前は何してたの?」

丸本「2012年は、僕が編集者を辞めた年なんです。『BiDaN』というヘアカタログの編集部で、ヘアカタログの世界だとちょうど、ビジュアル系人気からジャニーズ系に流れて行く時代を経験して、KAT-TUNとか水嶋ヒロさんがよく表紙を飾っていました。それが休刊になってしまって。SNSが強くなり、雑誌が淘汰された時期だったんだと思います」

米原「当時は僕が、渋谷系から派生した悪羅悪羅(オラオラ)系って呼ばれる雑誌『ソウルジャパン』を取り上げていた頃。そこは完全に男子だけの世界だったんだけど、彼らが付き合っている子とか女の子たちが美人で、『ソウルシスター』っていう女性版悪羅悪羅系雑誌が創刊されそれがすごい反響を得た時代でもあるんだよね。全国的にも主流はヤンキー。だからまだ、ジェンダーレス男子って少数派だったと思うんだよね。そもそも女子のカルチャーは細分化されていて、とくに「カワイイ」のジャンルって種類も色々あるし面白い子が分かりやすかったと思うんだけど、どうしてカワイイ男の子たちを集めることになったの?」

丸本「まさに『ソウルジャパン』もそうなんですけど、売れるティーン誌の傾向が、いわゆるメジャーではなくなっていたんですよね。誰でもマネできる平均値よりも、見たことない面白いやつを読者が見たがっているなって思って。だから、最初は男の子を集めようって思ってはじめた企画ではなく、SNSで人気の子を探してみたら、たまたま男子が多かった。象徴的だったのが、こんどうようぢです」

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写真/大倉士門(左)とこんどうようぢ(右)
『ヌメロ・トウキョウ』2014年11月号にて米原康正が撮影

米原「女の子って色んなタイプが許されてたけど、男の子ってそれがいままでは許されなかった。特に2012年はまだ、男らしくないことがマイノリティとされていたでしょう。ようぢくんはTwitterで見つけたの?」

丸本「Twitterです。すでにモデルとして活躍していた鈴木勤とやりとりしてる中で、ファッションが面白い奴がいるなと思って。リストバンドを買うお金がないからってケーブルコードで手首をぐるぐる巻きにしていたりとか、着こなしが自由すぎて。そういう子って、たとえば学校でも少数派だし、雑誌に出たりしたら一定数に叩かれるタイプですよね。マイノリティだと思われる子たちなんだけど、SNSの中では褒められていてファンを持っているんですよ。そんな子たちが集まってできたのが読モBGです」

米原「その当時、ようぢはどのくらいのフォロワー数だったの?」

丸本「2000人くらいですかね。それが今は27万人強。当初は2000人でもすごいなって僕は思っていたんですよ。だって、クラスにいたらちょっと変な奴って思われいるような一般人に2000人のフォロワーってすごくないですか」

米原「でも、ここまで成長するって思って仕掛けてたの? というのも、僕が1992年に『egg』を考えた時に似てるんだよね。まだギャルとかコギャルって言葉が生まれてなくて、雑誌は別の女性像を扱っていた頃。街では、普通のメディアが扱ってない女子の方が圧倒的な人気を持っていた。渋谷に出現したチーマーの彼女たちがすごいかわいくて、メンズの服をサイズダウンした着こなしがお洒落で。制服だとミニスカートにルーズソックスで、私服だとアメカジ。僕の場合はまずは雑誌の中にその子たちを入れるという形をとった。丸本くんの場合は、SNSのリアルな人気者をWEGOとかけ合わせたよね」

丸本「僕の時代の雑誌はカタログ化が進みすぎていて、誰にでも当てはまる人が好まれていたんですよ。例えばヘアカタログでいうと、黒髪じゃないとモデルに呼ばれないとか、ある種すごく保守的。街に色んな髪色の人がいても少数派だと雑誌では扱いにくい図式になっていました。そこから漏れててもったいないと思って声をかけたのが、ようぢです」

米原「あと、読モBGの面白さがSNSとマッチしたのって、トークって部分もあると思う」

丸本「大倉士門がまさにそうです。ファッションは普通だけど、しゃべりを含めたキャラクターが面白い奴。そういう誌面では伝えられないようなキャラクターをあえて集めて、ウェブを使った伝え方を考えました。WEGOの店頭とか、ブランドとかけ合わせたらどうなるんだろうって。ジェンダーレス男子って言葉を広めてたから勘違いされることがあったんですけど、WEGOの服は「ジェンダーレス男子」の服ではないんですよ。ようぢとかとまんとか、当時お金がなかった若い子たちが勝手にレディースとかメンズとか関係なくWEGOの服を選んでただけなんです。そのレディース化している様子から、ジェンダーレス男子だなと感じただけで」

米原「集めてきたときはみんな、ニートみたいな感じだったんだ?」

丸本「そうです。でも1年くらいで、こんどうようぢ、大倉士門、藤田富がツイキャスで人気になりました。それでも雑誌からは一切呼ばれないから、仕事がないって言い続けていたら当時の『CUTiE』編集長から、読モだけの雑誌作らない?ってお話をいただいて。でも僕としては『HR(高校生カルチャー雑誌)』に興味があって、そこに勝てるものにするのは難しいかなって思っていたから雑誌は作りたくなかったんです。その代わりに、こんどうようぢっていう面白いやつがいるから、そいつの本作ってみませんか?って言ったことが発端で『ようぢワールド』っていう本ができました。僕たちが連れてきた読モの初めての本」

米原「ようぢくんの本の後に『N』っていうネオギャルの本を作ったんだよ。ネオギャルくると思ったんだけど、こなかったね(笑)。思い出した! ネオギャルに対向する男子ってようぢくんだと思うよって伝えたときに『僕、ジェンダーレス男子って言葉考えたんで、絶対流行らせます!』って言ってたよね。言い続けないとだめだよ。誰かが勝手に作ったって思われるから(笑)」

丸本「初期のジェンダーレス男子は、ようぢ、とまん、Yapp!、ほりえりく、かじゅ魔でしたね」

米原「僕も『女性自身』でジャニーズJrの連載をスタートしたのが同じくらいの時期。なんかあの頃から男子ばっかり見ちゃうんだよね。『女性自身』で求められたのも、身近な距離感。アイドル的男子たちがいままで作ってきた手の届かない王子様じゃなくて、友達くらいの距離の表情。街で出会えるリアルな男の子たちっていうワードが結構重要だと思ってるよ」

K-POPと原宿カルチャーの違いは?

Intervier&Edit:Yukiko Shinmura

Profile

米原康正(Yasumasa Yonehara)編集者、クリエイティブディレクター、フォトグラファー、DJ。世界で唯一チェキをメイン機材とするアーティストとして、雑誌、CD ジャケット、ファッションカタログ等で幅広く活躍。中華圏での人気が高く、中国版 Twitter である「新浪微博(weibo)」でも膨大な数のフォロワーを有し、シューティングと DJ をセットにしたイベントでアジアを賑わせている。世界のストリート・シーンで注目される、ジャパニーズ・カルチャーを作品だけでなく自身の言葉で語れる日本人アーティストの一人。
丸本貴司(Takashi Marumoto)読モBOYS&GIRLS(通称 読モBG)代表(@dokumoboysgirls)、WEGO PR。編集アルバイトを経て『BiDaN』『B-st.』の編集者としてスタート。『男のモテ髪カタログ』編集長を務めた後、ウェブマガジン「読モマガジン」を立ち上げる。2011年11月からWEGO所属。「ジェンダーレス男子」をひとつの現象として捉え、一冊にまとめた書籍『ジェンダーレス男子』発売中。ファッションチームFLASH、イベント『LOOP』プロデュースも手がける。

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