2010年代、写真はどこへ行く?[前編]/菊地成孔×伊藤俊治 対談連載 vol.13 | Numero TOKYO - Part 4
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2010年代、写真はどこへ行く?[前編]/菊地成孔×伊藤俊治 対談連載 vol.13

K「言葉は低きに流れ、写真はデジタライズされたこともあってクオリティが高くなったのがシンメトリックだと言いましたが、それは機材の向上によるのであって。確かに、僕が知っているInstagramって、写真の中でも非常にバーバルな状態というか。おしゃれな女の子が行った場所や食べたものなど、自分の日常を撮っているイメージですね。雑誌におけるタレントさんのページのような感じで、いい意味で幼稚でやりっぱなしなものをきれいに撮るテクノロジーが与えられている気がしますね」   I「それに今はみんな、写真をプリントしないですよね。ケータイの画面の発光現象で小さな写真を知覚しているでしょう。これは反射光で写真を見るのとはまったく違う体験です。その中でジェフ・ウォールのように、巨大な電光板を作って写真をトランスペアレントにして、発光現象の中で展示するという形式も現れていますよね。それから、ビッグ・ピクチャーを作り始めたのはウォールやグルスキーですが、彼らの作品のサイズは小さくても2.5m、大きいもので10m、それこそウォールの作品には数十mになるものもあります。ひょっとすると、こうした巨大化やスケール感がプロフェッショナルのアイデンティティの表れ方の一つなのかもしれません。そのサイズだと、人間が作品の中に没入するんですよね。この体験はケータイでは味わえず、また効果も大きい。スーパーカミオカンデの写真にしても、遠くから見るとパノラミックだけれど、近くで見ると実は中で作業している人がいるのがわかったり、二重の視覚効果を考慮して作られているんですよね。そのために、高解像度で写真を撮って継ぎ接ぎしているんです」  

 

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伊藤俊治(いとう・としはる) 1953年秋田県生まれ。美術史家。東京芸術大学先端芸術表現科教授。東京大学大学院修士課程修了(西洋美術史)。美術史、写真史、美術評論、メディア論などを中軸にしつつ、建築デザインから身体表現まで、19世紀~20世紀文化全般にわたって評論活動を展開。展覧会のディレクション、美術館構想、都市計画なども行う。主な著書に、『裸体の森へ』『20世紀写真史』(筑摩書房)、『20世紀イメージ考古学』(朝日新聞社)、『バリ島芸術をつくった男』(平凡社)、『唐草抄』(牛若丸)などがある。
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菊地成孔(きくち・なるよし) 1963年千葉県生まれ。音楽家、文筆家、音楽講師。85年音楽家としてデビュー以来、ジャズを基本に、ジャンル横断的な音楽活動、執筆活動を幅広く展開。批評家としての主な対象は、映画、音楽、料理、服飾、格闘技。代表的な音楽作品に『デギュスタシオン・ア・ジャズ』『南米のエリザベス・テイラー』『CURE JAZZ』、『ニューヨーク・ヘルソニック・バレエ』(ewe)などがある。著書に、『スペインの宇宙食』(小学館)、共著『アフロ・ディズニー』(文藝春秋)、『ユングのサウンドトラック』(イーストプレス)など。映画美学校・音楽美学講座、国立音楽大学非常勤講師として教鞭もとる。PELISSE www.kikuchinaruyoshi.net/ Text:Misho Matsue

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