さて、ひとしきり墨田区民の東京イーストサイド問題について事情聴取したところで浅草寺周辺の土産物屋が集まる通りに向かう。
というのも、私が「浅草寺の周りにある、昼間から外にテーブル出してる飲み屋で飲みたい」とリクエストしていたからだ。
浅草寺周辺は本当に「ここはいつの時代?」というような、タイムスリップしてる店が多い。
それはけして、「観光地ビジネス」のためにそういう雰囲気を醸し出しているわけではなかったりする。
その土地の人がそこにずっと居続けて日々を営んだ結果、その区画だけ時代ごと真空パック保存されているのだ。
そういう店の佇まいが興味深くも、そこに空恐ろしさを覚えたりもする。
「あの服、誰が買うんだろう?」
感想がそのまま思わず口をついて出てしまった。
「それ言っちゃおしまいでしょ」とお店をかばうように答える地元民のN。
すみません…。デリカシーに欠けていた。
でも、店があるってことは誰かが買うから維持できているということだ。
どういうところに住んでいてどういう暮らしをしている何歳くらいの人が、ここで買い物をするのかまったく想像がつかない。
仮にも同じ時代に同じ東京に住んでいるというのに。
自分自身とかけ離れた世界はすぐ近くにこそあるということ。
世間を俯瞰しているつもりでいながら普段自分に見えている世界はすごく限定的な範囲のものでしかないということ。
そういったことを、ローカルな街に行くといつも突き付けられる。
そしていよいよ念願の、真っ昼間の浅草・外テーブル飲み。
「こういうところで食べるおでんは美味しいのよ〜」と客引きをしてきた玄人感溢れるお姐さんのお店の席に座る。
お客さんたちもお客の玄人感満載。いかにも通い慣れてそうだ。
今日は競馬があるらしく、お客さんたちの目線は一様にTVの方を向いている。
案の定酔っ払いに絡まれたりしながら(「姉ちゃん、京美人って感じの顔やな」などと言われる…ここは東京だというのになぜか関西弁がやけにハマる現場だった)、景色に馴染まない異物のままで周りを観察しながらしばらく居座った。
ちなみにお店のトイレットペーパーはヒョウ柄だった。
ちょっとかわいい。芸が細かいな。
浅草アウトコースということでNに連れられ合羽橋(かっぱばし)方面へ歩いていく。
途中の道で、東本願寺を紹介してくれるN。
壮観。
だけど、閑散。
「浅草寺は土日でなくても毎日混んでるのに、ここはまったく人っ気がないんだよね。すぐ近くにこんなに立派なお寺があるのに何でみんな来ないんだろう。残念だよなぁ」とN。
「ほんとにそうだね。何でなんだろう…やっぱり今の時代、お寺もブランディングが大事なのかな?さっき行った今戸神社は『うちは縁結びだよ!』ってめっちゃアピールしてたよね。お寺とか神社もそういうことしないといけない時代なのかな」と呟く私。
でも穴場は穴場のままでいて欲しいとも思う。
東本願寺にはこの澄み切った空気を保っていて欲しい。
合羽橋をてくてく歩く。
合羽橋は飲食店に卸すプロ用の食器や調理器具などが売られている問屋街だ。
実は何度か来たことがあって、上京したての頃、枝豆型の箸置きを買った記憶がある。
「これ、どういう意味なんだろう?」とNに聞く。
「『安い』ってことなんじゃない?」
…………!!!
なるほど!!!
こんな簡単すぎるクイズに気付かなかった私も私だが、『ここは東京だ』という先入観が勘を鈍らせるのだ……だって、これは、いかにも関西ノリ!!
大阪にこういう店があったら『あ〜またこういうことやってるな〜』って思うだけだもんね。
浅草は東京の大阪なのか?
「さて、どうしよう?次どこに行ってみたい?……吉原、行ってみたい?」
「行きたい!!!」
即答。
Nは一切迷いのない足取りで浅草を歩きこなし、「吉原」と呼ばれた地点までナビゲートしてくれた。
吉原というワードはこれまでの人生で何度も耳にしてるけど、実際に「ここだよ」と言われる場所に行ったことはない。
当時吉原があった場所は今「千束(せんぞく)」という地名になっている。
この日は何となく写真を撮ることが憚られて1枚も撮らなかったが、後日仕事で浅草に行く機会があったので、そのついでに千束に赴いて写真を撮ってきた。
近くにこんな店が。
いえ、分かりません。
一体何の店なんだろう?
しかも「?」を単語の途中に挿入したのは何故?
もはや関西ノリからも逸脱している気がする…。
吉原があるのはこの通りだ。
そしてこんな喫茶店がところどころに出現する。
もちろん、通常の喫茶店ではない。
紹介所というのか、斡旋所というのか…。
こういうところに入ってお店を見繕って決めるのだ、とNは解説してくれた。
おおっ何だか吉原っぽい和風な雰囲気を醸し出している店が見えるぞ。
そして、「この通りが吉原の中心だよ」とNは通りの入り口まで連れていってくれた。
そういうお店が立ち並ぶ一角だそうだ。
「ここ、通りたい?」
「通りたい」
「ちょっとそれは無理だな……お前ら何しに来たんだっていう目で見られるよ」
ということで、このときは通りを遠巻きに見るしかなかったが、後日真っ昼間にこの通りを歩いた。
驚いたのが、真っ昼間(たしか13時くらい)だというのに、1軒1軒の前に黒服の人たちがずらっと並んでいたことだ。
そして時折、窓が見えない黒塗りの高級車がお店の前に停車する。
見たのは1台だけじゃない。私がいた数分の間にもちょくちょく停まっていた。
真っ昼間からそういう需要があるなんて…そして、お得意様らしき人たちはそんな風にして顔姿を誰にも見られることなくサービスを享受するのだ。
また、私の与り知らぬところで執り行われている世界の一端を垣間見た。
写真を撮っていると、黒服の方に声を掛けられた。
「あのー、カメラマンなんですか?」
「あ、いえ…」
「趣味で撮ってるんですか?」
「はい、雰囲気が独特で面白いなと思って」
「へえ…そうなんですか。どうぞどうぞ、撮ってください」
そう言って撮影の続きを促された。
彼の「へえ…」には「写真に撮るほどこの風景が珍しいのかぁ、へえ〜」というニュアンスが込められていた。
「独特」と言われることに意外性があったようだ。
そうか、彼らにとったらこれが日常なのだ。「独特」も何もない。
これが「普通」なんだな。
そりゃ、そうだよね。
やはり、「普通」という言葉はとても危うい。
私が意外だったことは、「吉原」と言っても外観が現代風だったことだ。
もっと和風なのかと思っていた……着物を着た遊女もこの感じだといなさそうだな…ブツブツ。
よく考えると当たり前なことなのに、イメージが先行していた。
それこそ、外国人が未だに日本に忍者がいると思っている状況とまったく変わらないじゃないか。
「でも、この辺りの建物は、建て替えたらこういう営業ができなくなることが法律で定められているから、ずっと建て替えられないままやってるんだよ」とNは言った。
そしてこの日の夜は鮨で〆。
「金太楼鮨」という江戸前鮨にNは連れて行ってくれた。
地元民と一緒じゃないと浅草のお鮨屋さんにはとてもじゃないけど入れなかっただろう。
でもそんなにビクビクすることはない、結構手頃な値段設定だった。
この日の置き土産が今うちにある。
お祭り用品を販売している土産物屋にNに連れられていったとき、「これ買ったらいいんじゃない?」と促されて買ったものだ。
「ヘルメットに貼ったり、ファイルに貼ったりしてるよ」とN。
へえ…じゃあ、私もどこかに貼ろうかな、とNが勧める気持ちを汲み汲みレジに並んだのだ。
だけど、私にはまだ貼り先が見つからない。
そういう自分がいて、逆に、Nの地元愛というか「自分はこの土地の人間だ」というアイデンティティの強さを感じた。
私にはこの文字がまだよそよそしく感じられる。
これを自分の印として私物に貼るには、このシール自体が私のものになっていないのだ。
たかが1枚のシール、たかが1つのフォント。
だけど、こういうところに魂は宿っている。
このシールが貼れるようになるときはきっと、浅草という外国を私の内側に取り込んで、自分の世界の一部にしたときだと思う。
東京という至近距離の外国は、まだまだ遠いようだ。