古市憲寿×鈴木康広が読み解く「フォンダシオン ルイ・ヴィトン」アートの定義とは?
F「哲学者ってアリストテレスとかでさえ『本当にあいつら何もしないな』って馬鹿にされていたらしい。哲学者は社会にとって何になるのかって。アーティストも似ていて、時に崇められては時にバッシングを受ける」
S「僕、真顔で『それって何のためになるんですか?』って聞かれると、しゅんって消えたくなりますよ」
F「もう一つぼくが鈴木さんに聞きたいと思っていたのは、どこからどこまではアートなのか。例えば、100円ショップに売っている、たいやきの形をした消しゴムはどうでしょうか。機能としては消しゴムという役割だけ果たせばいいものを、ある種、見立てるという作業はしてる訳じゃないですか」
S「なるほど。そうですね、これアートっていうかな? たぶん、これがアートになるかならないかって、使い手次第。一意見ですが、商品という段階であれば、僕の中ではアートだとは言えない。これが売る目的で作られたものではなくて、誰かが自主的に『自分で消しゴムを彫ってたいやきにしてみよう』と思って作ったり、例えば結果が分からない状態で、その作ったたいやきの消しゴムを好きな子に『これ作ったんだけどどう?』って聞いて、『え?』とか言われた瞬間にはアートになっているかもしれないですね。でもその『え?』と思っていた子の気持ちが一週間後に変わって両想いになったりすると、それもアート。僕が考えるアートは、それで何かが変わったかどうかかな。『え?』って言われて、当の本人に気持ちがなくなっても、アート(笑)」
F「例えばこれを、日本文化を全く知らない外国人がたまたま見て出合って超感動したら、その人にとってはアートかもしれないですね」
S「そうですね。その瞬間アートになりうる」
F「そうか。作家性を信じるってことですかね。作品がただポツンと存在している訳なくて、作品に触れるオーディエンスが絶対にいて、その相互作用によってアートかどうか決まってくるという」
S「僕の中ではそれがかなり重要。アートを訳した『芸術』って日本語は、どこかすごく高級で価値が定まっていて、どちらかというと思考停止のようなニュアンスを含んでいるから、違う言葉があればいいんですけどね。普遍的な芸術を否定している訳ではなくて、それはそれで、ただ『アートの瞬間』ってありますよね。その再現の仕方というのは独自の技術だから、必ずしも絵画とか彫刻という手法には限らないんじゃないかなと」
F「ということは、誰でもアーティストになれる瞬間が?」
S「あるんじゃないですかね。たった一人の身近な人の心を動かすことも、アートと言いたいですよね」