古市憲寿×鈴木康広が読み解く「フォンダシオン ルイ・ヴィトン」アートの定義とは?
F「言葉は程度固定されているけど、実際の感情ってすごくファジーなことが多い。好きか嫌いかに分けられる訳でもなくて、男と女もそうですよね。そんなのホルモンバランスだから、男女という2つにきっちり分けられるはずがないんだけど、その言葉しかないから分けようとする。建築もきっとそうなんでしょうね。本来もっとファジーなものばかりなのに、どこかで固定しなければいけない。建築とかデザインの世界ってそれが難しいんでしょうか。本の場合って、まさに引用がある。インスパイアを受けたものや参考文献があれば、注釈として出典元を明記して引用できる。デザインとか建築って引用元を示さないじゃないですか。例えばオリンピックのエンブレム問題も、脚注文化があったらあんなことにはならなかったのかな」
S「古市さんはその、本の世界の脚注文化をもう一段階深めましたよね。『かつてこういうことがあって、だから悔しい』みたいな感情の注釈があったりして。その一文に込められている感情を脚注に入れるって、必要なさそうで、必要。それは誰かへのメッセージかもしれないし、その向こうにいる人との関係性もあったりして、書き手と読み手の気持ちのバランスが取れる」
F「脚注があることによって、バランスを取りやすくなるというのはあります」
S「そうやって利用できるものなのに、使いこなせる人が少ないのかもしれません」
F「付けてもいいのに、みんな付けないってことか。だからつまらない本が多いんですかね(笑)」
S「例えばフランク・ゲーリーを自分なりに解釈することって、その注釈を自分で読み取れるかという視点なのかもしれませんよ。簡単には掴めない曖昧な部分に、書かれていない注釈を感じることで、彼が見ている世界に近づける」
F「ということは、今日の座談会みたいなことって意味があるのかも知れないですね。注釈を付けて行くような作業」
S「今日話しているのはそれぞれ自己流な見方なので、そんなの違うよという人もいるかもしれないけど、僕自身、作品を作ることが、フランク・ゲーリーの建築を感じるためだったり、古市さんの伝えたいことを理解するための手段であって、練習なんです」
F「鈴木さんの作品には、船でファスナーを作ったものもありますね」
S「2002年に飛行機から海を見たときに、海上を進む船がファスナーに見えて。2010年に、実際にファスナーを模した船を完成させました」
F「船が作る泡の跡が線のように開いていく様子が、ファスナーが開いているように見えると」
S「航海は未知の大陸を開く作業でもあるので“開く”の意味としては掴んでいる。人がそう考えるためのスイッチを分かりやすく作ろうかと。いつかこれを丘の上から見つけちゃった人がいて、目をこすってもファスナーという状況を作りたくて」
F「この作品を知ってしまうと、もう船を見る度にファスナーに見えてしまうんじゃないですかね。いつかこれが普通になるというか。船が世界を開いているという言葉が、普通になる日が来るかもしれないというね」
S「僕がこの船を浮かばせなくてもみんながその視点を持つようになれば役割を終えたというか。作家としてこのモノを作ることが着地点ではなくて、植え付ける。そう見えてしまうという状況を作ることを目指していたりしますね。視点を与えるというのは古市さんもしていますよね。アカデミックなところにいつつもメディアを使った発信力もともなっている。研究だけでは世の中は変わらない」