菊地凛子さんと巡る!『ヨコハマトリエンナーレ2014』の楽しみ方 | Numero TOKYO - Part 4
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菊地凛子さんと巡る!『ヨコハマトリエンナーレ2014』の楽しみ方

──そうやって感じたことの中で、今後の菊池さんの活動へつながっていくヒントがあれば、教えてください。 菊地「言葉で表現するのは難しいけれど、アート作品を見ることが自分の中のクリエイティブな部分につながっていくのは、間違いのないことなんです。 でもアート作品ってある意味、“理解できるもの” ではない。頭で理解はできないんだけど、でも私たちは作品から何かを感じることはできるわけで。その “感じる力” が、アートを見るたびに培われていって、やがて自分の生き方につながってくるんだと思います。 私の場合はエンターテインメントビジネスの世界で、はっきりと社会のために貢献できる仕事ではないけれど、どれだけそういうものが大事かということを、今回の体験を通して証明してもらった気がします。つまり、アートも映画も、基本的には一緒だと思うんですよ。『ああ、私たちって、こうやって延々、人と人の間にあるものをやっているんだなあ』って」
新港ピア会場、大竹伸朗『網膜屋/記憶濾過小屋』の前で。
新港ピア会場、大竹伸朗『網膜屋/記憶濾過小屋』の前で。
……と、ここまで菊地凛子さんに話を聞いてきて、ふと、あるイメージが頭の中に湧き上がってきた。 菊地さんのいう “感じる力” と、今回のヨコトリのテーマである “忘却” との接点── じつは、私たちの頭を時々刻々と通り過ぎていく “忘れられていくものたち” は、決して消えてなくなったわけではない。それらは私たちの記憶やこの世界の深淵で、息詰まるほどにおびただしい無意識の地層を形成しながら、単に “見えていない” 、いや、“見られていない” だけなのだ。 ひとたび意識のチューニングを “世界の中心” へと合わせれば、忘れられたものたちの無数のざわめきが、あらゆる帯域を埋め尽くして、圧倒的な強度とともに鳴り響いている。 それを、感じること。 見過ごされ、知らないふりをされ、なかったことにされて、忘却されていくものどもの声に、目を向け、耳を傾け、想いを馳せること。 それこそが、森村泰昌が用意したこの “忘却めぐりの旅” であり、彼の言う “芸術” の深層に触れ、その力を社会に向けて解き放つために、私たちができることではないだろうか……。 (感想文おわり) ……。 そんな想いを胸に、菊地凛子さんへ最後の質問をぶつけてみました。 ──最後に、Numero.jpの読者に向けて、ヨコトリを楽しむヒントをお願いします。 菊地「アートというと、理解や解釈の問題だと思う人が多いかもしれないけれど、そうじゃない。こうやって何かを感じることが大切だと思うんです。 その意味で、今回のヨコトリはすごく面白かった。ぜひ、またじっくりと見て回りたいと思っています……!」 『ヨコハマトリエンナーレ2014 「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある』 期間/2014年8月1日(金)〜11月3日(月・祝) 場所/横浜美術館、新港ピア(新港ふ頭展示施設) URL/http://yokohamatriennale.jp ※ほかにも、会期中の「創造界隈拠点連携プログラム」として、BankART Studio NYKで行われる『BankART Life IV―東アジアの夢』や、初黄・日ノ出町地区での『黄金町バザール2014』、障がい者×各分野のプロフェッショナルの協働プロジェクトの数々を象の鼻テラスに展示する『ヨコハマ・パラトリエンナーレ2014』など、横浜各地で連携企画が目白押し。 また、札幌で今年初開催されている『札幌国際芸術祭2014』との作品交換(参考記事:Numero.jp「札幌へ! 最新アートを巡る夏──『札幌国際芸術祭2014』」)など、地域を超えた連携プロジェクトも。 詳細はヨコトリ公式サイトをチェックしてみよう!

Text:Keita Fukasawa

Profile

深沢慶太(Keita Fukasawa) フリー編集者/ライター/『Numéro TOKYO』コントリビューティング・エディター。『STUDIO VOICE』編集部を経てフリーに。『Numéro TOKYO』創刊より編集に参加。雑誌や書籍、Webマガジンなどの編集・執筆、企業企画のコピーライティングやブランディングにも携わる。編集を手がけた書籍に、田名網敬一、篠原有司男ほかアーティストの作品集や、編集者9人のインタビュー集『記憶に残るブック&マガジン』(BNN)など。

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