米倉涼子が選んだ道「モデルから女優になった時ターニングポイント」 | Numero TOKYO - Part 4
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米倉涼子が選んだ道「モデルから女優になった時ターニングポイント」

Numero TOKYO 79号 きっかけは“コレ”でした vol.52 米倉涼子
Numero TOKYO 79号 きっかけは“コレ”でした vol.52 米倉涼子

──お話ししていると、米倉さんが今、第一線で活躍なさっているのは、まず努力ありきなんだと感じます。

「努力するのはあたり前のことです。ただ、自分の希望を口にすることも大事だなと『CHICAGO』のブロードウェイ公演の時に強く感じました。私がブロードウェイで公演できたのは、ヴェルマ役として有名な女優のアムラ=フェイ・ライトの存在が大きいんです。2010年、彼女が来日して私と一緒に日本版『CHICAGO』をやらなかったら、ブロードウェイは見えてこなかった。日本語でヴェルマを演じることにトライした彼女の勇気が、ありえないって皆に鼻で笑われようと、ブロードウェイでやりたいという気持ちを奮い立たせてくれました」

──彼女の何に触発されたんですか?

「当時50歳近かったアムラが日本語で苦労しているのを隣で見ていて。すでにブロードウェイに立っている彼女が、新しい自分を見つけようと努力している姿にすごく刺激を受けました。私、アムラのことが元々ものすごく好きだったんです。たまたま強行でロンドンに行ったとき、どうしても『CHICAGO』が観たくてひとりで劇場に行ったことがあったんです。その時のヴェルマ役がアムラ。カッコよくて感動して! その彼女が来日して一緒の舞台に立てたことにも縁を感じました。冗談だととられてもいいから『ブロードウェイでやりたい』って言ってみようと思って、そうしたら実現した。本気で思いを口にすれば叶うものだなと思いましたね」

Photo:Yuji Zendou Interview & Text:Maki Miura
Edit:Saori Asaka

米倉涼子(よねくら・りょうこ)

1975年生まれ。92年「第6回全日本国民的美少女コンテスト」審査員特別賞を受賞し、キャンペーンや雑誌『CanCam』の専属などモデルとして活躍。99年に「女優宣言」。2004年にはドラマ『黒革の手帖』で演じた悪女が話題に。08年『CHICAGO』日本版でミュージカルに初出演し、12年に同作でブロードウェイ主演デビュー。8月9日放送の『アウトバーン マル暴の女刑事・八神瑛子』では、ファッショナブルで破天荒な女性刑事を演じる。

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