米倉涼子が選んだ道「モデルから女優になった時ターニングポイント」 | Numero TOKYO - Part 3
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米倉涼子が選んだ道「モデルから女優になった時ターニングポイント」

Numero TOKYO 79号 きっかけは“コレ”でした vol.52 米倉涼子
Numero TOKYO 79号 きっかけは“コレ”でした vol.52 米倉涼子
──自分らしく。簡単なようで難しいことですね。 「以前、ミュージカル『CHICAGO』をブロードウェイで演じた時も、英語だからといって、その時の気持ちを全部型で決めてしまっては本当につまらなくなる、どうにか自分らしくありたいと試行錯誤しました。周りのキャストの英語がちゃんと聞き取れず自由がきかないなか、普段から積極的にコミュニケーションをとることで、舞台上でも私らしくいられたかなと」
──主役級の方々なら“私が主演よ!”と女優然としていることも許されるのでは? 「私、女優だからこうあるべき、というのがよくわからなくて。たとえば、『あなたに何があるの?』と問われた時、『私に一体何があるのだろう?』と思うんです。技術的、学力的に何があるわけではない。資格があるわけでもないから手に職とは違う。見初めていただき、出演させていただかない限り、女優だとは言えない。儚はかない仕事ですよね。一体、自分の何を磨いておけば認められるのか、今でもわかりません」
──そこで日々闘っている? 「うーん、闘っているという感じではないです。ただ、ある程度大人になってから女優業を始めたことは、よかったなと思います。普通の少女として学校に通い、いろんな人たちと出会い、バレエを習い、そんなに高価でないご飯を食べて(笑)。普通の子として生きてこられたから」
──女優じゃなかったら、何になっていましたか? 「学生の時はトリマーになりたいと思っていました。バレリーナにもなりたかったけど、途中で無理だろうなと思ったし。留学もしたかったです」
──ではもし今、もうひとつ好きな人生を歩めるとしたら? 「もう少し若い頃に戻って、アメリカかイギリスの学校に行きます。とりあえず英語を喋れるようになっておきたいから。いま英語で苦労しているので、物心がつく頃までに肌で英語を吸収させておきたいです」

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