若き6代目アルフレッドが情熱を注ぐ
「コアントロー」の魅力とは?
オレンジリキュール「コアントロー(COINTREAU)」を継承する家元の6代目であり、ヘリテージ・マネージャーとして世界中のバーテンダーや愛好家に最高のカクテルを伝え広める若きホープ、アルフレッド・コアントローにインタビュー。
「世界中の女性に愛されるリキュール」。それが、フランス生まれのオレンジリキュール「コアントロー」の生みの親であるエドゥアール・コアントローの理想だった。1875年誕生して以来、彼の仕事への情熱は代々引き継がれ、現在6代目を務めるアルフレッド氏にとってもその思いは一緒だ。コアントローという苗字が意味するものの偉大な価値を胸に刻みながら幼少期を過ごしてきた同氏。1986年生まれの30歳という若き6代目が、今の時代に改めて伝えたい「コアントロー」の魅力とは。
家族や友人が集まる「幸せの家」で育った幼少期
——祖母であるエリザベスさんからカクテルの手ほどきを受けていたとのことですが、そのカクテルとはどんなものだったのでしょうか?
私はフランスのアンジェという小さな街で生まれ、少年時代を過ごしました。夏休みはいつも海辺にある祖父母の家に2週間滞在していました。祖母は訪れる人々をもてなすことが非常に得意で、そこで私はカクテルの作り方を教えてもらったのです。小規模なパーティでは、ドライマティーニやマルガリータなど、洗練されたカクテルを教えてもらいましたが、皆でシェアするカクテルもよく作っていました。それは大きなパンチボウルにコアントローとレモンとスパークリングワイン、もしくはシャンパンを注ぎ入れたものですが、大人数でのパーティでは非常に好評でした。
——アルフレッドさんが今のキャリアを築く上で重要な体験であったとは思いますが、それはごく自然に家族の行事として行われていたのですね。
フランス人は家族で集うとき、キッチンやリビングに皆が揃い、あれこれおしゃべりをするのです。祖父母の家のリビングには大きなグランドピアノがあったのですが、実は開けるとそれはバーになっていたのです。その家に皆で集まる時はいつもそのリビングで過ごしましたし、私たちの住む家にもバーがありました。ここも皆が集まるところで、親戚や友人がいつも訪れてくれました。「幸せの家」というのが、周りの人たちが付けた我が家のニックネームでした。
——素敵なニックネームですね。そんな体験を通して一番学んだこととは何ですか?
心の底から人生を楽しむということ。そして、ゲストがたくさんいらっしゃるので、その一人ひとりをどうやってもてなすべきかを学びました。例えば皆さんに気持ちよく楽しんでもらうために、お一人でポツンといらっしゃる人のところに行ってお話をするとか、いろんな状況でいかにおもてなしするかを考えるようになりました。やはりいらしていただいたからにはみんながハッピーでみんなが心地よい時間を過ごしていただきたいので。
伝統を引き継ぐことを決意