マルチな才能でジャンルを横断しながら、スタイルを築くクリエイターの存在感が増している。絶え間なく挑戦を続ける3名に、自身を突き動かす原動力やその先に見据える未来を聞いた。vol.2は料理家・長谷川あかり。(『Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)』2026年9月号掲載)
セオリーを超えて、驚きを生み出す
料理家・長谷川あかりのレシピは、なぜここまで人の心を動かすのか。その問いを解く鍵は、彼女自身がレシピに救われた経験にある。ただおいしさを追うのではなく、料理に悩む心に寄り添う、その哲学に触れる。

──10代で子役タレントとして芸能活動をスタートするも、高校生になってからはオーディションに落ち続ける苦しい時期が続いたとか。
「オーディションに落ちるたびに、自分には価値がない、何もできない人間なんだと、存在ごと否定されているような気持ちになっていました。ごはんも食べられなくなるほど落ち込んでいた頃、ふと立ち寄ったのが、古本屋のレシピ本コーナーでした。美しい料理の写真や異国の食材を眺めているうちに、久しぶりに食欲が湧いてきて。それから目に留まったレシピを片っ端から作り始めました。料理をしている間は頭を占領していた不安が消えて楽になれた。歌や絵のような特別な才能がなくても、レシピに沿って作ればおいしいものができて、人に喜んでもらえる。その一連の工程が当時の自分の救いになっていたんです」
──その後22歳で結婚し、芸能活動を引退。料理家を志したきっかけは何だったのでしょうか。
「夫の『大学に行ってみたら?』という一言は大きかったですね。料理は好きだったし、せっかくなら資格取得も目指そうと、栄養学を学べる大学へ入学しました。ただ、勉強に励むうちに、教科書の中で理想とされる家庭料理と今の時代の感覚にギャップを感じて。例えば、基本のハンバーグのレシピに『ボウルを氷水に当てて冷やしなが練る』とあったんですが、今の時代みんながみんなそこまで料理にかけるリソースがあるわけじゃない。授業を受けながらだんだんと腹が立ってきて(笑)。私も結婚したことで、料理への意識が大きく変わりました。それまでは趣味で料理をしていたので、時間をかければかけるほどに楽しく、それが癒やしにもなっていたけれど、生活の料理になった途端ときめかなくなってしまった。そこでわかったのが、趣味の料理と生活の料理はまったく別物なのだということ。『料理が面倒』『料理がつらい』と追い詰められてしまう人の気持ちが初めて理解できました」
ちゃんとやったと実感できれば、丁寧な生活風で十分
──その気づきが、現在の長谷川さんの“ご自愛”や“自分を救う”ことを意識したレシピにつながっているのですね。
「合理性と趣味的なときめき、どちらもバランスよく取れたレシピがあったらいいなと思っていたんです。やっぱり合理性だけにしてしまうと、料理はつまらないものになってしまう。だからといって外食やお惣菜ばかりでは舌もおなかも疲れるから、できれば作りたい。その微妙な気持ちがすごく大切で、作りたい気持ちが0%の人には『作らなくていいよ』が救いになるけれど、2%でも作りたい気持ちがある人に『お惣菜でいいよ』『冷凍食品でいいじゃん』は、解決にならないんですよね。必要なのは、その2%に寄り添えるレシピ。『作りたいから作っている』と思えたら、料理は苦行じゃなくなるし、自信にもつながると思うんです。一番しんどいのが、0にも100にもなれない、こうありたいのになれない気持ちなんですよね」
──今を生きる多くの人は、そのモヤモヤを抱えながら、日々の料理に悩んでるような気がします。
「ただ、ご自愛とかセルフケアって、とっつきにくさもあると感じていて。『丁寧な生活疲れ』なんてことも言われていますが、私はもっとライトでいいと思っているんです。完璧にやろうとするほど追い詰められてしまうけれど、トータルで『私、ちゃんとやってる』と感じられたら、丁寧な生活風で十分じゃないですか。だから、一番意味のある手間だけかけて、あとは潔く捨ててしまう。最低限の手間で『ちゃんとやった』と実感できることが、きっと自分を救ってくれると思うんです」
「うちの味」へと移ろいながら、100年後も残るレシピを
──「あかり、信じてるからな」というミームが生まれるほど、長谷川さんのレシピは時に斬新だといわれます。そのアイデアはどこから来るのでしょうか。
「SNSでバズった『酒蒸しハンバーグ』も奇をてらったわけではなく、手間の中であまり意味がないと思った部分を全部落とした結果、あのようなレシピができただけなんです。ただそれがセオリーどおりではないから、『本当に大丈夫?』と驚かれもしますが、その驚きが『作ってみたい』に変わるとも思っていて。だから、レシピを作るとき、材料の組み合わせや調理法にちょっとした意外性を取り入れるように意識しています。ギリギリ味の想像はつくけど、2割くらいわからない『驚き』のバランスが理想です」
──ファンの間では「長谷川あかりっぽいレシピ」も独自に開発されています。その「長谷川あかりっぽさ」はどこにあると思われますか。
「味付けがわかりやすくシンプルなところかもしれません。余計な手間をなくすためにも、なぜ入れているかわからない材料が極力ないようにしているのもあるし、あえて決め切らない余白を残しているんです。そうすることで、皆さんのご家庭の冷蔵庫事情や好みに合わせてアレンジしやすくなるし、それがやがて『うちの味』になっていく。『長谷川あかり』という概念が、家庭に合わせて少しずつ変化して、それこそ100年後も残るようなレシピになっていってくれたら最高ですね」
──SNSに始まり、最近はポッドキャストやYouTubeにも活動の場を広げています。そこではレシピだけでなく、ライフスタイルについても積極的に発信されているのが印象的です。
「料理家のレシピをわざわざ選んでもらうには、『ブランド力』と『信用』の両方が必要だと思っています。『長谷川あかりのレシピを作っている自分』をちょっとでもかっこいいと感じてもらえれば、作りたい気持ちも自然と底上げされると思うんです。ただ、きれいに整えた書き言葉だけでは丁寧な生活を送っている人だと思われてしまって、届いてほしい層にレシピが届かない。より私自身を知って、この人は信用できると感じてもらいたいんです」

料理とメンタルヘルスをつなぐ懸け橋に
──料理家なのに手放しに手料理を礼賛しない視点は、長谷川さんの大きな特徴だと感じます。
「私自身もキッチンに立つこと自体がしんどい時期がありました。だから料理家が『作ることは素晴らしい』と言いすぎることで、料理が苦手な人がさらに追い詰められる可能性があることが、すごく気になってしまって。私が前提として伝えておきたいのは、作ることも作らないことも、どちらも立派な選択だということ。お惣菜でも外食でも、自分が『今日はこれがいい』と意図を持って選べることが大事。ただ、思考や選択の自由を失うほど追い詰められてしまったとき、自分の意志で食事を選び取ることはあまりに酷な作業になる。そんなときこそ、誰かの書いたレシピが思考を支える具体的な指針になってくれると思うんです。レシピに導かれて無心に手を動かす時間は、自分や誰かを養いながら知らないうちに心を癒やす自愛の手段へと変わる可能性を秘めている。『作ること』を選択肢の一つとして持てるだけで、暮らしはずっと自由になるはずです」
──これからどんなことを積み重ねていきたいですか。
「数カ月前にファンの方から『長谷川さんのレシピは作業療法的ですね』と言っていただいて、ハッとしたんです。そのとき初めて『作業療法』という言葉を知ったのですが、自分がレシピに救われた経験を振り返ったとき、まさにそれだったと気づいて。これまでずっと、自分がやっていることを表す言葉が見つかっていなかったのが、ようやく収まりのいい言葉に出合えた感じがしました。いま考えているのは、料理と作業療法を一つのジャンルとしてちゃんと確立すること。おいしいことと健康だけが料理の価値なら、これからの時代、わざわざ料理を作る理由は薄くなっていく一方だと思うんです。でも、作ること自体が心を癒やす新たな価値として認められたら、料理する意味がもっと出てくるはず。誰もが自分の幸せや豊かさを選び取れるように、それをメソッドとして残せたらいいですね」
Photo:Ayako Masunaga Interview & Text:Renna Hata Edit:Miyu Kadota
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