松尾貴史が選ぶ今月の映画『エジソンズ・ゲーム』
19世紀、電気の誕生による新時代を迎えようとするアメリカ。天才発明家と崇められるトーマス・エジソンと、実業家ジョージ・ウェスティングハウス。世紀の“電流戦争”を制するのははたしてどちらか。映画『エジソンズ・ゲーム』の見どころを松尾貴史が語る。(『ヌメロ・トウキョウ(Numero TOKYO)』2020年5月号掲載)
天才を巻き込んだパワーゲーム
トーマス・アルバ・エジソンと言われて、まず思い浮かぶのが、やはり「電球を発明した人物」のイメージです。当初は10分で切れてしまった電球も、長持ちするフィラメントの開発で試行錯誤の末、日本の京都の竹を使って長時間の点灯に成功したという逸話を、子どものころに彼の電気、いや伝記で知ってから、なぜか誇らしい思いもしたものです。そんな竹を育てたこともないのに。 電気による人工の光を、「空の星をガラス瓶に閉じ込める」というメルヘン的な表現が、つい100年少し前には電灯など存在しなかったのだということを感じさせてくれます。 「録音」という画期的な発明も、その後の社会に大きな変革をもたらしました。彼とその会社は、四桁にものぼる特許を有していたといいますから、どれほどのアイデアが湧いたのか想像を絶します。作品の中のエジソンは、天才にありがちな偏屈さ、神経質さ、家庭を顧みずに没頭する気質など、ステレオタイプともいえるキャラクターですが、彼の周辺で起きた電力の事業におけるパワーゲームは実際に起きたことなのであろうと想像します。
理科に疎い私には難しいかもしれないという当初の懸念はまったくの杞憂で、人間ドラマとしてのストーリーは、『半沢直樹』や『ハゲタカ』などのビジネスものを観ている感情移入の雰囲気があります。冒頭「人を殺す道具は作りたくない」などと言っているエジソンに肩入れしていたつもりが、気がつくと二転三転している自分に気がつくという面白さも飽きさせません。
実際、エジソンがビジネス展開をしていた時代というのは結構荒っぽい妨害などもあったようで、自分が発明したと自負心の強い「映画」についても、ユダヤ人たちがキスシーンなど情熱的な描写をしていると、反社会的勢力に命じて映画館に放火させたなどという物騒な話もまことしやかに語り継
がれているようです。
東海岸ニューヨークの、エジソンらの勢力から逃げようとして、「Go west」というスローガンのもと、映画人たちが西海岸に集まり、映画の都ハリウッドを生む下地となったともいわれています。もちろん、晴天が多いなど撮影に適した天候とロケーションも幸いしたのでしょうけれど。
主演のベネディクト・カンバーバッチはベストなキャスティングではないかと思います。冒頭からあっという間にエジソンにしか見えませんでした。
Text:Takashi Matsuo Edit:Sayaka Ito