年始はクタクタのまま国外逃亡。
目的はタイ・チェンマイの「バーンロムサイ」(エイズ孤児たちの生活施設です。詳細はリンクを参照ください)を見学に行く事でした。
最近では映画「プール」の撮影場所としても知られる存在に。
写真は尊敬する谷田一郎さんに撮って頂きました。
私は子供の頃、義母からの堪え難い虐待の日々を過ごし、今でも思い出しては眠れない夜があります。
父親を含むすべての大人たちは見てみぬふりをする中、命からがら家を飛び出したのは18歳の頃でした。
あれから幾つもの事がありましたが、家出をしてから今年で20年。
相変わらず心は家出娘のままなのですが、年相応の責任や言い訳もきかない立場に身を置きながら、人生を最後まで駆け抜けるのだとすれば、折り返し地点なのかなぁ?
それとも三分の二を過ぎた?
もはやどちらでもいいけれど、残された時間は自分の充足感や幸福探求と、周囲の友達や仲間の幸せ、そして作詞家やDJ、プロデューサーとして多くの人が喜んでくれて、人生が楽しくなるような事を作ってゆきたいと思うばかりです。
そう、親に虐待されていたことから始まってしまった、この人生。
まるで呪いのような、悪魔の黒い手が、いつも私を苦しめるのですが、バーンロムサイのプールの蒼さを目に映していたら、暗闇も少しづつ引いてゆくような感覚をおぼえました。
どんなことがあっても、生きてゆかなければならないのです。
そして人はやはり、弱いから、一人では生きてゆけない。
たったひとつの愛があれば、それは奇跡に近い。
そんな奇跡が掌にあることは、誰かが教えてくれるのを待つしかないんだよね。
運命の共鳴や、何かしらのきっかけで世界は変わる。
でもね、世界は自分たちが思うよりもずっと、意地悪だよ。
だから、諦めながら、求め続けるの。
諦めてしまったら、虚しいだけの時間が続く。
求め続けてばかりいたら、疲れてしまう。
両方をバランスよく綱渡りしてゆけば、少しは時間は稼げるんじゃないかな。
旅をすること、景色を変えることで、新しい情報で脳を支配する。
その時間だけは、虚しさや悲しさについて、考えている余裕はなくなるものね。
バックひとつでどこへでも行けるのは、この身軽な人生ならではの特徴。
人はそれをメリットとよぶかもしれないけれど、隣の芝生は青いとか、そういう類いの片付けられ方をするような事でしかない。
ひまつぶし?
何とでも言ってよ。
胸はって生きるしかないよ。
身一つで。
自分の音、言葉、行動で、探求するの。
解放しなくていい。
パパもママも出て行った。
みんないなくなった。
あの人も、いなくなったあの人も、遠い空のどこかで、友達くらいには思っておくからさ。
私なんて、これしかないもの。
掌に幾つある?
バーンロムサイから始まった、2016年の考え。
暗闇をカラフルに彩れたら、少しは心の隙間が埋まるのかしら?
安心できるのかな?
一日でいいから心から安心したいよ。
でも、安心できないのは、全部、自分のせい。
自分が持って産まれたものを含む、自分のせい。
最大限、人に迷惑をかけないように、私の居場所があったらいいな。
すこしでも誰かの役にたてますように。
2016年 カワムラユキ