米原康正主宰! 原宿発信のトークイベント「スナックよね。」開店
米原康正によるトークイベント「スナックよね。」が東京ファッションテクノロジーラボにてスタートした。記念すべき第1回目は、スタイリストの中村のんをゲストに迎え、70年代の原宿やファッションの話題で盛り上がった。
研ナオコ 表参道「レオン」側。Naoko Ken (actress)/1974/Goro Some
「サーファー」「ローラー族」…ファッションが生き方だった時代
米原「その頃、YMOが流行していて、ゲイっぽい雰囲気がカッコいいと言われた時期だったんですよ。僕も女言葉を使ってました(笑)。椿ハウスが終わったら、朝まで新宿二丁目で遊んで。『原宿のローラー族に対抗してオカマ族ってのを作ろうぜ』って、口紅を塗ったりしてたんですけど、1週間後に『これは違う』と気がついて(笑)」
中村「口紅塗ってたんだ(笑)」
米原「熊本から上京して、肩に力が入ってたから。地元の熊本でパンクに憧れて、Tシャツを破ったりしても、翌日、お母さんが『縫っておいたわよ』って(笑)。上京して学習院大学にパンクの服装で通ったら、全くモテなくて。不思議に思っていたら、1978、9年あたりは一大サーフィンブームだったんですよね」
中村「私もサーファーガールだった! サーキュラースカートにポニーテールでローラー族、次の日はファラ・フォーセットみたいなヘアスタイルにゴローズのアクセサリーでサーファーと、コロコロスタイルを変えてました」
40年以上変わらない「ゴローズ」の窓。Young folks in Harajuku/1974/Goro Some
米原「僕も、テクノや、モッズや、サーファーのカッコもした。色々着たけれど、無理なものは無理なんだと気づいて、現在のスタイルに落ち着いたのは、80年代後半あたり」
中村「若い時にしていたファッションが何かと聞かれると、『サーファー』や『モッズ』など、カテゴリーで語れてましたよね。70年代は『ヒッピー』『フラワーチルドレン』『グラムロック』『50年代リバイバル』『サーファー』『パンク』。90年代なら『ギャル』『ヒップホップ』など、それぞれにカテゴリーがあった。今の時代はそんなふうに語れるファッションはあるのかしら?」
米原「今はバラバラですね。原宿系ファッションも、ここ2、3年はカワイイという言葉も使われなくなりました」
中村「ストリートから生まれたファッションは、グループから生まれるんですよね。ファッションに共感してた友達が増えて流行になる。いつの時代も自然発生したけれど、今はどうなんでしょう」
米原「1995年に『egg』というコギャル雑誌を編集したんだけど、その頃、安室奈美恵ちゃんがデビューして、メディアから『コギャルの神様』として崇められていて。でも、彼女は『私はコギャルのリーダーじゃなくて、彼女たちに影響されて今のスタイルになったんです』と言ってたのはカッコよかったな。面白い子たちが出現すると、メディアはそれを消費するからカルチャーになる前に、終わってしまう」
Text:Miho Matsuda
Edit:Masumi Sasaki