藤原竜也インタビュー「ジジイの特権を行使するダメ俳優が理想」
旬な俳優、女優、アーティストやクリエイターが登場し、「ONとOFF」をテーマに自身のクリエイションについて語る連載「Talks」。 vol.34は俳優、藤原竜也にインタビュー。
死者の言葉が生きている人間を通して「再生」される。そんな狂気の物語『プレイヤー』に藤原竜也が挑む。俳優として成熟を増すオンの姿、家庭を持ち父親になったオフの顔。35歳の俳優が芝居への思いや年輪を重ねること、死生観について率直に語ってくれた。
蜷川幸雄さんを失った、これからの自分
──家族ができて、役者として変わったところは?
「ありますよ。市村(正親)さんや(中村)勘九郎さんがたまに子供番組に出ていると、子どものためだよなって思います。ただ、出演作品については特になくて、結婚しても子どもが生まれても変わらずに、鋭い感覚で作品選びをしていたい。 一番大きいのは、やはり蜷川さんが亡くなったこと。次、どこに自分は行くのか。僕は秤を失って、ジャッジをするのは自分自身。これまで間違ったジャッジをするほど、怖いものはないという教育を受けてきて。ただ、偏ったものばかりやるのもよくないと思う。ある意味、今まで囲われているような部分があったわけだから、演出家の栗山(民也)さんとやってみたい、岩松(了)さんも面白いなぁとか、もっと世界を見て、いろんな人の演出を受けて吸収していきたいと思っているんです。そう考えると、今回『プレイヤー』を、長塚圭史さんの演出、前川知大さんの脚本でやらせてもらえるのは、いいタイミング。自分の中の視野が広がればいいなと」
──長塚圭史さんの印象は?
「初めて演出を受けるのですが、作品は昔から観ていますし、飲みの場などでお会いすることも。ただ、ある時三谷幸喜さんから「僕にも書いてって言っておきながら、長塚圭史にも書いてって言っているらしいじゃないか」と言われて、あれ?そんなこと言ったかなぁと思いながら(笑)。
長塚さんはみんなが知ってる通り、優れた演出家ですし、僕が仲良くしている俳優さんが“圭史”と親しみを込めて呼び、一緒に芝居を作っているのを目の当たりにして、自分も早いうちにやらせていただきたかった」
──前川知大の脚本も、初めてですね。
「前川さんの作品は蜷川さんが演出した『太陽2068』、入江悠さんが監督した映画を観ました。若く才能のある方に、以前に前川さんが主宰するイキウメで上演した土台がありながら、当て書きのように書き下ろしていただくのも貴重な経験だと思います。前川さんの本って、ストレートには到底太刀打ちできない魅力、とんでもない世界観が広がっていて、感覚的に捉えていかないとついていけない。お客さんに「何?」って考えさせるホンになるんじゃないかな」
オンもオフも人生の経験値が稽古に生きる
──藤原さんのオンとオフはどんな感じ?そもそもオフはあるのでしょうか。
「この前、1週間休んでハワイに行ったんです。昼間からビールを飲んだり、ハンバーガー食べたり、俺こんな人だったっけ?と。なぜあんな罪悪感が生まれるんだろう?
役者は特に、芝居していたほうがいいですね。この間、古田新太さんの舞台を観て、終演5分後に挨拶に行ったら、もうビールを飲んでいた(笑)。フルチンさん、やっぱり芝居してなきゃダメだね!って。特に演劇人は。とにかくやり続けなきゃ、ダメ。僕もまだ35歳ですから、表現し続けることがみなさんとのコミュニケーションだと思うし、やり続けているから発信できる、言えることがあると思う。とにかく立ち止まらず、休まず稽古する。家族には迷惑をかけますけど、やり続けることが大事かと」
──その時演じている役を、オフでも引きずるタイプですか。
「僕、割と適当な性格なので、稽古終わったら即、遊びに行っちゃいます。翌日、稽古場に入って、また役と向き合う。もちろん、1日中、役のことばかり考えている時期もありました。その時間は決して無駄でないと自分に言い聞かせていましたけど、1日中考えて結果が出ないこともある。なので、今日は違う捉え方をしよう、違うアクションで稽古に臨もうとか、オフの時間をとることで頭を切り替えられたり」
── オフをいかに過ごすかが、役に戻ってくる?
「そうですね。確かにその人の人生の経験値が、稽古に生きる。でも、今この役をやるために、オフでこういう行動をしようと言うのでは、遅いかもしれない。そこは難しいですよね。プライベートの充実も大切だけど、やはり稽古場でできることが全てですから。稽古でできないことが本番でできるわけなく。結局、約1ヶ月半の稽古、つまりオンの時間が大切なんです」
怖くて近寄れなかった街、渋谷で芝居できる歓び
──印象的だった稽古場はありますか。
「それぞれ大変で印象的。稽古期間は一番大変かもしれない。もっと言えば、その前、台本をもらって稽古に入る前の時間は、より苦しいものかもしれない。セリフを入れて、読み解く作業。吉田鋼太郎さんがよく言うのは、『暗記パンがあったら俺は怖いものがない!』。どの稽古も大変です」
──最近、刺激を受けたことは?
「ミュージカル『ビリー・エリオット〜リトル・ダンサー〜』のレッスンを見学に行ったら、本当に良くて。ビリー役の子どもたちがとても清々しく、一つの目標に向かっている。「大丈夫?大変なことない?」と聞いたら、「何もありません。楽しみだけです」って。そんな子ども達を前に、自分は最近こんなに輝かしく目標に向かって、芝居に向き合っていなかったよなぁなんて思ったり」
──もしかしたら、藤原さんのデビュー作の舞台『身毒丸』の頃を思い出しました?
「もちろん。デビュー時は15歳。ビリー役の子と同じくらいの年齢でしたから。もともと『ビリー・エリオット』は好きなミュージカルでね。ロンドンで観て、出待ちをした思い出(笑)」
──『プレイヤー』は渋谷のBunkamuraシアターコクーンで上演されますが、デビュー時の『身毒丸』東京公演もコクーンでしたね。
「好きな劇場です。渋谷の雑踏、猥雑で危険なバランスの街に、ただ確実に演劇をやっている場所がある。 渋谷って危険な香りがするでしょ?中学の時、僕埼玉だったから、池袋から原宿へ行って、でも渋谷は怖くて行けなかった。竹下通りで十分、センター街は行かないほうがいいと思っていた。今、大人になってここ渋谷で芝居を打っている、その現実が嬉しい。そのコクーンで僕は蜷川さんにデビューさせてもらって。『身毒丸』のラストシーンは、舞台奥が開いて、白石加代子さんと二人渋谷の雑踏に消えていく。タクシー、カップルや若者、老人たちが通る街中に二人が彷徨いながら入って行く。そのイメージも残っていますね。コクーンはいいなぁ」
ジジイの特権を使って、典型的なダメ俳優でいたい
──『プレイヤー』は、ある芝居のリハーサルで、稽古する人々に死者の言葉が降りてくる話。死生観、人間にとって死とは何かを考えることはありますか。
「あります。今までは自分のことは二の次だったけど、子供が生まれて成長を見守りたいとか、両親のこととか。ただ、まだ早いけど、人は誰でも老いにも向き合わなければいけない。俳優は特にそうですよね。セリフが入らなくなった、体が動かなくなった、鋭くなくなったとおっしゃる先輩がたくさんいらっしゃいます。僕だって必ずその状況になるわけだから。でも、老いは恥ずかしいことでもみっともないことでもなく、誰にでもくること。30代半ばって、ちょうど考え始める歳かもしれない」
──老いというか、年輪への憧れは?
「あります。ジジイの特権を使ってみたいというのはある。ジジイの特権という名の下、何やってもいいわけだから。芝居だって「これでいいだろ?」と言えば、周りは「いいですね!いいですね!」(笑)。誰だって、大先輩に「これ、どうだった?」と聞かれたら「よかったです」と言うしかない。逆に、寂しさもありますけど。40、50、60代になったら、一度は年齢がここで止まってくれと願うでしょう。こればかりは仕方なくて。よくご一緒させてもらうカメラマンの操上和美さん。彼は「老いることは仕方なくて、山があって下りが必ずある。その下りをいかにスローにするか、上手く向き合っていくかだ」と言うんです。まあ、操上さんは80歳過ぎても、バリバリですから(笑)」
──藤原さんは80歳過ぎてもバリバリでしょうか?
「演劇界の大先輩が、最後までセリフと向き合いながらシェイクスピアみたいに逝ったと聞いて、僕はそこまでの度量、覚悟はないと思う。もうちょっと典型的なダメ俳優でいたい。呼ばれたからこの仕事だけ行こう、みたいな。それが僕のいうジジイの特権。ただし、今はみなさんやり続けるでしょ?立ち止まらずに。それもカッコいいと思う。僕はまだ35歳ですから、表現し続けることがみなさんとのコミュニケーションだと思うし、やり続けているから発信できる、言えることがあると思う。とにかく稽古。立ち止まらず、休まずに」
Photo:Yuji Nanba Interview&Text:Maki Miura Edit:Masumi Sasaki