松山ケンイチ インタビュー「役者が本物志向になると、面白くない」
──森田芳光監督の『の・ようなもの』の続編が作られると知ったときは、どう思われました?
「企画の存在は知っていたんですが、なんとなく普通に原作ものなのかなと思っていて、『の・ようなもの』の続編になるとは、まったく予想してなかったです。とにかくびっくりしましたけど、もう一回またみんなと集まって映画をやりたいという気持ちがあったので、やらせていただきました」
──志ん田という落語家の役をやる上で、難しい点はありました?
「『の・ようなもの』自体も落語をメインにしているわけじゃなく、落語家の青春映画でしたし、今回もやっぱり落語がメインの話ではないので、なんとかなるんじゃないかと高を括っていたんです。でも、実際やってみると、簡単になんとかなるもんじゃないなと思い知らされました(笑)」
──どこがなんとかならなかったんでしょうか?
「普通に役者をやっていると、自分に近い年齢の、もちろん男性を演じるわけですけど、落語は年齢も性別も超えて色んな人を一人でやるわけですから、そういう難しさもありました。それに、たとえば落語の中で子どもを演じるにしても、本当の子どもに近づけようとやり過ぎてしまうと何かが違うんです。プロの噺家さんの噺を聞いてると、みなさんそこまでなりきってるわけではないんですよね。僕は二ツ目の役で、真打ちみたいな話し方をしろと要求されてるわけじゃなかったので、そこだけは救われましたけど」
──新作落語の『出目金』を披露するシーンは印象的でした。
「『出目金』は、苦しかったですね。あれは古今亭志ん八さんが作った新作落語なんです。だから、YouTubeにも転がってないし、お手本がないというかコピーしようがなかった。まぁ、僕が演じた志ん田のオリジナリティーを出すにはうってつけの演目だったんですけど。もうひとつ映画の中でやった『初天神』は、柳家小三治さんの映像を資料で観ていて、下手なりに小三治さんのやり方をなぞったんです。でも、志ん田が二ツ目に昇進するというときに、殻を破って自分を落語で表現するシーンで披露するのが、『出目金』だと思った。だから、どういうふうにオリジナリティーを出していくかを考えたときに、青森弁のままでいいんじゃないかという話になったんです」