2010年代、写真はどこへ行く?[後編]/菊地成孔×伊藤俊治 対談連載 vol.14
──今ではInstagramだけでなく、Pinterestのようにネット上にあるイメージの中からお気に入りのものを集めていくアプリもあるじゃないですか。イメージをかき集めると自分を表現しやすいのかな、という気がしますよね。
I「トーマス・ルフのように、ストリートビューや監視カメラ映像など、世界のすみずみの映像を素材にして自分の作品にしているアーティストもいます。グルスキーも最近、衛星画像を使って南極のシリーズを発表しているけれど、自分が撮った写真ではなく、NASAが撮影した画像を一枚一枚加工しているんですよね。デジタルイメージを使った人間の視覚を遥かに超えた作品で、時間性が希薄で、崇高性をたたえ、作家性の概念すらなかなか見つけにくい。発見したり、収集したり、編集する能力にかかっている。最近はそんな写真が急に出てきている気がします」
K「そして、みんな一貫してパノラマなんですよね」
I「もともと写真ってパノラマから派生してきていますからね。イメージの中に没入させたいとか、世界を俯瞰したいとか、そうした強い欲望が潜在的にはあるんでしょうね」
K「宗教画や曼荼羅も一種のパノラマですが、細かいところまで描き込まれていて、素人にはおいそれと真似できない。大変な執念とプロの技術が要るんですよね。またそこに戻ってきているんじゃないでしょうか」
I「ここにマドンナのコンサートをモチーフにしたグルスキーの写真もありますが、マドンナは何千万もする彼の作品を買っているんですよ。彼は色々なところを渡り歩き、21世紀においてパノラマ感と崇高性がどこにあるのかを徹底的にリサーチし、意識的に場所を選んで撮影している。点描画のように一枚ずつのカットを加工し構成していて、もはや写真を撮るという行為を遥かに超えていますから。もしかすると、写真という言葉はもう使えないのかもしれませんね。撮影者がカメラを通して被写体を写すという一方向の世界だったのが、今はもうそういう感じではない。「写真ではない」といえば、目を何倍もの大きさにする加工についてはどうなんですか?」
K「プリクラをはじめ、目は大きいほうがいい、という風潮を推進するツールですよね。これはもう化粧というか、自分をどう見せたいかのほうに意識が行っている。それから最近感じるのは、男女の顔面の性差がなくなってきたことですね。ホストやキャバクラのマガジンを買うと、首から上が同じ。カラコンを付けて、髪の毛を飛ばして、表情筋の使い方やメンタリティまで。ジェンダーがあるのは首から下なんです。千葉雅也さんというトランスジェンダーの研究家の方による有名な「ギャル男論」というのがあるのですが、B-BOY系の雑誌と『nuts』があまり変わらなくなってきている、とも言われています」
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