2010年代、写真はどこへ行く?[前編]/菊地成孔×伊藤俊治 対談連載 vol.13
K「言葉は低きに流れ、写真はデジタライズされたこともあってクオリティが高くなったのがシンメトリックだと言いましたが、それは機材の向上によるのであって。確かに、僕が知っているInstagramって、写真の中でも非常にバーバルな状態というか。おしゃれな女の子が行った場所や食べたものなど、自分の日常を撮っているイメージですね。雑誌におけるタレントさんのページのような感じで、いい意味で幼稚でやりっぱなしなものをきれいに撮るテクノロジーが与えられている気がしますね」
I「それに今はみんな、写真をプリントしないですよね。ケータイの画面の発光現象で小さな写真を知覚しているでしょう。これは反射光で写真を見るのとはまったく違う体験です。その中でジェフ・ウォールのように、巨大な電光板を作って写真をトランスペアレントにして、発光現象の中で展示するという形式も現れていますよね。それから、ビッグ・ピクチャーを作り始めたのはウォールやグルスキーですが、彼らの作品のサイズは小さくても2.5m、大きいもので10m、それこそウォールの作品には数十mになるものもあります。ひょっとすると、こうした巨大化やスケール感がプロフェッショナルのアイデンティティの表れ方の一つなのかもしれません。そのサイズだと、人間が作品の中に没入するんですよね。この体験はケータイでは味わえず、また効果も大きい。スーパーカミオカンデの写真にしても、遠くから見るとパノラミックだけれど、近くで見ると実は中で作業している人がいるのがわかったり、二重の視覚効果を考慮して作られているんですよね。そのために、高解像度で写真を撮って継ぎ接ぎしているんです」
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