J「その感覚が私には、馴染めなかったんだろうな」
K「ロンドンでは銀行員がドレッドヘアだったり、決まりに縛られないでみんなが自分らしいスタイルを持っていますよね。街中そんな感じだったから、あの頃って毎日の服を決めるのが大変だったな」
J「今思い返すと、18とか19歳の頃の格好はもう今ではできないし、日本でもアウトですよね。ベアトップどころではないチューブトップに超タイトなスカートで、両方チューブトップか!?みたいな組み合わせにハイヒール。今考えたら、娼婦です(笑)」
H「分かります。当時はTシャツも切ってないとお洒落じゃないとか思ってました。コレクションの写真を見たらTシャツは裾を切ってるんだもの。ただでさえ外国人より小柄な体型を気にしているから、さらに着丈を短くしたくて。切ったTシャツからお腹出して、真っ白のハイヒールとか履いてました(笑)」
J「林田さんは元々、学生の頃からファッションをやりたかったんですか?」
H「元々は建築家になりたくて、建築の勉強をしてたの。でも建築家になるには大学に6年間行かなくちゃいけない。2年生になったときに、6年は長いな…働きたいな…と思って。親に相談したら、あなたの道だからと応援してくれたので、ファッションへ進もうと決めたんです。建築にも触れられて、衣装という意味でファッションも学べる劇場デザイン科に行きました。仕事はフリーランスでスタイリストからスタートしたんです。あるタイミングで、衣装を探すだけじゃなくて特集から企画したい!それができるのは雑誌の編集だと思ったのと、文章を書きたかったから雑誌の道に入りました。岸本さんは?」
K「私は実は何も考えていなくて(笑)。 ただ、vivienne westwoodが大好きだったので、留学だったらロンドンかなって。学生での留学だから親に支援してもらったんだけど、親からしたらNYはなんかちょっと危険な気がしたみたいで、イギリスだったらちゃんと勉強するだろうとOKが出たの。で、行ってみたら、元々私もクラブが大好きだったから、遊ぶのがものすごく楽しくなっちゃって。音楽とファッションって繋がってますよね。だから、クラブで遊びながらファッションと触れることでファッションへの熱が高まりました。私も最初、雑誌で仕事したいと思ったんです。けど、どうやって編集者になったらいいか知らなかったんです。どうしようと考えて、雑誌作るってことだからグラフィック系かな?って勝手に考えて、グラフィックの勉強をスタート。なぜか平面デザインの授業を受けたりしてて、途中から、これファッションと遠ざかってない?って気づいて(笑)。 カメラとスタイリングが学べるコースに移って勉強しなおし。それでやっと、スタイリストとしてお仕事するようになりました」