海外生活で学んだこと… JUJU×林田明子×岸本佳子 対談/JUJU’s closet vol.19 | Numero TOKYO - Part 3
Fashion / JUJU's Closet

海外生活で学んだこと… JUJU×林田明子×岸本佳子 対談/JUJU’s closet vol.19

──JUJUさんは、日本のレコード会社と一緒にやっていくと最初に決断した2003年、どういう気持ちだったんですか? J「NYで歌わせて頂く機会もあったのですが、だんだん現実を見るというか。例えばファッションって、その国出身のデザイナーじゃなくても、認められるチャンスってたくさんあると思うんです。でも、音楽の世界って国民的な絶対数がないと成り立たない。日本人が歌を届けるには、日本人の人口がその国である程度のパーセンテージでないと成功が難しいんです。ブラックミュージックが流行るのはブラックピープルがいる土地。スパニッシュが流行るのもスパニッシュがいるから。それを考えると、アメリカで歌手をやるのは相当難しい。現実を見ちゃったんですよね。ライブハウスで歌ったり、ジャズクラブで歌っていくという意味では、やっていけると思いましたが、もっと大きなステージを夢を見るとすると、それはアメリカではない。アメリカのレーベルからもレコードを出したりしていた時期もあって、ずっと葛藤はしていたんですが、私は日本人。だから、日本でのデビューというお話を頂いた時に決めたんです。私は日本人だし、アメリカ人じゃない魅力で日本の歌を歌える。日本語の歌は、誰よりもうまく歌おうって。でも、怖かったですよ。私、歌うのは好きだけど人に注目されるのは苦手だから」 H「あんなに、何万人も動員して歌っているのに!?」 J「ようやく慣れてきましたが、昔はライブでお客さんは完全に敵だと思っていました(笑)。 できることなら後ろで歌いたいってほど。ガラスのハートなので、自分の名前でデビューすると色んなことを言われるし、その度に薄いハートがくしゃくしゃになるんです。批判されるのも誉められるのも自分っていうのに、耐えられるのかむちゃくちゃ怖かったです。例えば、50人好きな人がいてくれたら、その倍嫌いな人がいないと成り立たないっていうのがだんだん分かって来たから、もう腹はくくれた気がします。悪口言われてなんぼ。無視されるのが一番よくないっていうのを昔マドンナが言っていたのが、今になって分かって来ましたね」 ──JUJUさんの帰国は、デビューがきっかけだったんですね。 J「そうですね。でも実は、2003年に契約して2004年にデビューしたんだけど、契約してからの6年間東京ではホテル住まいでした。厳密に言うと、ちゃんと帰国していない(笑)。 2週間おきにNYと東京を行ったり来たり。でも、なんだろう…それをやっているうちって自分の中で逃げがあって。JUJUとして、歌手として東京で売れなかったら、NYでまた洋服屋に戻ればいいって甘えがあったんですね。でも歌手になりたい気持ちは常にあったから、これはどうにかしないといけない。いろんなせめぎ合いしているうちに、事務所から契約を切られそうになったりとか、自分が疲れちゃった時期もありました。そんなこんなで“じゃあこれを最後のシングルにしましょう”って決めて出したのが「奇跡を望むなら…」。その時からだんだん自分が変わっていったんです。最後のシングルになるんだったら、後から後悔したくない。あの時ちゃんとやっておけばよかったなって思いたくない! 150%の力で歌おうと思って歌ったら、そこから徐々に聞いてくれる人が増えて行ったんです。全身全霊ささげないと、やっぱり伝わらないんだなって知りました。それで、東京に家を借りたのが、NYとの最初の別れです。東京でちゃんと家を借りてからもNYには荷物が残っていたりしたんですが、去年の春にようやく決別できました。今はもう、完全に引き払っています。けじめって大事ですね。お二人は?」
JUJU、スタイリスト岸本佳子、エディター林田明子のファッション談義
JUJU、スタイリスト岸本佳子、エディター林田明子のファッション談義
K「私は、本当は帰国する予定はなかったんです。イギリスのモード誌でファッションエディターとして働くんだ!と思っていましたから。でも28歳くらいになった時に、親や日本にいる友人たちから“もしも日本で就職をするのなら、20代のうちのほうが楽だよ”とアドバイスを受けていて…そんなことを言われると、確かに私は日本人だし、関西出身なので一度も訪れたことがなかった東京で、一からチャレンジしてみるのも素晴らしいかも!と思い始めました。本当にロンドンが自分に合っていたなら、また戻ってきたらいい!くらいのポジティブな気持ちで帰国。あと、実は日本人の男性が好みのタイプだからというのも理由のひとつ(笑)。そんな想いで帰国した結果、杏子さん(田中杏子編集長)にも出会えて今の自分があるのでよかったです」
J「林田さんはどうして帰国されたんですか?」
H「実は私も恋人で(笑)。 とは言っても、特定の好きな人がいた訳ではないのですが。海外にいても、中学生くらいからずっと、好きになる人がみんな日本人の男の子だったの。でも、日本人の男の子が自分のことを全然相手にしてくれなくて。ずっと、日本人って素敵だなと思いながら付き合う人はイギリス人っていうのが続いていました。それが26歳の時に急に、日本に来たら日本人の男性がいっぱいいるよ!って母親に言われて(笑)」
J「ごもっともですお母様(笑)」
H 「それで日本に来たらかっこいい人がいっぱい! 最初は会う人全員がすごくかっこよく見えて、どうしようかと思いました(笑)」
JUJU’S クローゼット、同世代対談のファッション編はここまで。次のテーマはペット。公開をお楽しみに!
Photos:Yuji Namba Edit:Maki Saito Text:Yukiko Ito
JUJU
JUJU
JUJU(ジュジュ)
18歳で単身渡米。04年8月「光の中へ」でデビュー。09年、「明日がくるなら」が映画『余命1ヶ月の花嫁』の主題歌に抜擢され、大ブレイクを果たす。「BEST STORY HALL TOUR 2013」に続き、5月25日から待望の初の全国アリーナツアーがスタート! 6月26日にはJAZZアルバム第2作「DELICIOUS ~JUJU's JAZZ 2nd Dish~」もリリース。HP/www.jujunyc.net/ Twitter/@JUJUsonymusic
林田明子(はやしだ・あきこ)
林田明子(はやしだ・あきこ)
林田明子(はやしだ・あきこ)
Numéro TOKYOエディター。高校時代までドイツで過ごし、大学入学とともにイギリスへ。セントラル・セント・マーチンス大学院卒業後、フリーランス・スタイリストとして雑誌、広告を手掛ける。26歳で日本へ。ヌメロ創刊時からエディターとして参加、ファッション担当でパリ、ミラノ、ニューヨークコレクションを取材。趣味はドライブ、ダイビング、スキーのアクティブ派。愛犬Q太郎のママ。
Blog/numero.jp/numeroeditor/author/akikohayashida/
岸本佳子(きしもと・よしこ)
岸本佳子(きしもと・よしこ)
岸本佳子(きしもと・よしこ)
Numéro TOKYOコントリビューティング・ファッションエディター、スタイリスト。ロンドン留学でファッションを学び、帰国後Numéro TOKYOに参加。編集長でスタイリストの田中杏子に師事。ファッションエディターとして活躍するほか、フリーランスのスタイリストとして雑誌や広告、そしてタレントの衣装なども手がける。ハイ&ローのMIXスタイリングが得意。
Blog/numero.jp/yoshikokishimoto/

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