黒柳徹子、好奇心の源はよく食べて、よく寝ること!?(後編)
チャーミングでユーモラス、そして最高にファッショナブル!私たちの永遠のポップアイコン、黒柳徹子さんが小誌に初登場。前編に続き、後編ではInstagramを始めたきっかけや美容法、そして今後の目標などを語ってくれた。(「ヌメロ・トウキョウ」2018年5月号掲載)
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──自分のイメージはこう作っていこうとか、イメージ戦略的なことを考えたことはありますか?
「そういうことは思ったことがないですね。仕事は全て自分で選んできましたから、自分がやりたいか、やりたくないか。それだけで決めてきたと思います」
──まったく仕事がない、どうしようという時期は?
「一生涯なかったですね。……一生涯って相当すごいけど(笑)、この仕事をやりたいのにやれないとか、あぁ、どうして仕事がないんだろうとか、考えてみたらそんなことは六十数年間、なかったです。一つの仕事が長いからじゃないかしら。『徹子の部屋』が43年、『世界ふしぎ発見!』も30年。今やっているお芝居も何十年。自分でも飽きない性格だなと思っていますけど、仕事でもきっとこの飽きない性格が影響して、続いているのかもしれないと思いますよね」
──ご自分の最大の武器はなんだと思いますか?
「そんなことは考えたことないけど、もしどうしてもって言われたら……やっぱり人とコミュニケーションが取れること。そこだと思いますね」
──そのコミュニケーションの力で、紅白など、司会者としても数々の“女性初”を成し遂げてきました。でも、肩書は常に「女優」一筋です。そこにはこだわりがありますか?
「いちばんお金を使ったのが女優だからじゃないかしら。アメリカに行って勉強したり、文学座に行ったり、教育を受けるのに、何にお金を使ったかというと、やっぱり女優の仕事なのね。だから肩書は一応『女優』というふうにしています」
1989年「海外コメディシリーズ」として、飯沢匡・演出による海外喜劇を紹介する形で毎年上演。第1作は『レティスとラベッジ』。撮影:谷古宇正彦 写真提供:セゾン文化財団
──現在インスタには90万人のフォロワーがいます。面白いものに飛びつくセンスが素晴らしいです。
「福山(雅治)さんに、『Instagramやればいのに』、と勧められて。「それは何?」って聞いたら「自分が見たもの、面白いものの写真を撮って、それに文章を付ける」っていうから、そんなのだったら面白そうと思ってすぐやったんですよ」
──TVの密着で、徹子さんが本当にインスタ用の撮影していました。
「昔、写真家になろうと思っていたぐらいなので、撮るのは好きなんです。文章も、時々長いって言われるんだけど、全部自分で書いています」
よく寝て、よく食べて…
──糸井重里さんが「尊い好奇心」と称していましたが、徹子さんのその飽くなき好奇心は、鍛えてなんとかなるものではないですね。
「そうね。でも、よく寝て、休息をしっかり取っていること、そういうのが意外と重要なんじゃないかしら。若い頃は、明け方に寝てお昼まで寝ていたりしたけど、それだとたぶん細胞がくたびれちゃうなと思ったので、今はなるたけ11時半ぐらいには寝るようにしています。12時から深夜2時までは寝ていると何かいいというのでね。そのほうがいいかなと」
──成長ホルモンが出ると言われている時間帯ですね。肌がとってもおキレイなのは、睡眠のおかげですか?それとも日々のお手入れ?
「何にもしてないのよ。エステとかには、一度も行ったことがないです」
──美肌の方に限って、必ず「何もしてない」とおっしゃいます(笑)。
「でも、夜寝るときにはどんなときにもちゃんとメイクは落として、クリームぐらいつけて、時にはマッサージして寝ますよ。お化粧したまま寝るなんてことは絶対ないですよね。そういうのがいちばん怖いですもんね、肌の中へ入っちゃうから。それは悪いだろうと思って。あとは、ある程度栄養のあるものをちゃんと食べています。80いくつでこのぐらいなら大丈夫だって、みんなが思ってくださればいいじゃない?」
人を惹きつける自分でいたい
──食べることはお好きなようで、今でも食欲は旺盛だと伺っています。以前は、小さい餃子を50個食べたとか、三笠山のどら焼きを5個連続で食べていらしたようですが…。
「さすがに三笠山5個連続はいくらなんでもダメですね。でも3つ…2つぐらいなら軽くいけちゃうわね」
──すごいですね(笑)。食べること、寝ること以外に……スクワットは今もまだ継続していますか?
「毎日50回ぐらいやっています。日々の積み重ねですよね。もう良くなりましたけど、この前、足をちょっとケガしたので余計に気をつけています。人とぶつかって転んだりすると嫌なので……って、そんなこと若い頃はまったく気にしていなかったことなので、ぶつかって転ぶとか自分でもちょっと驚いちゃいますよね」
──過去を振り返って印象的だったことは何ですか?
「30代の終わりにニューヨークで暮らしたことですね。有名なアーティストとか俳優に呼ばれて、その家のパーティに行ったり、食事をしたり。チャップリンと握手したり、アンディ・ウォーホルと知り合ったり。いい時代に行きましたよね。振り袖なんか着ていると、みんなが褒めてくれる時代でしたから」
ニューヨーク留学時代。
──知り合えることがすごいです。
「でもそれはね、知り合いになったアーティストがみんなから尊敬されていたり、著名な人と仲が良かったりしたら、一緒にいる時にどんどん紹介されるんですよ」
──でも自分自身に魅力がないと、人は集まって来ないですよね。
「そうね。人が面白いと思うような自分でいないとね。なるたけなら、人が集まってくるような自分だといいですよね。そんなふうに生きていきましょうね」
──はい!(笑)今振り返って、この仕事を選んだことで、失ったことはありますか?
「失ったもの……結婚かしらね。この仕事をしていなかったら、たぶん結婚していたと思います。たぶんね。幸せだったかどうかわかりませんけど、結婚して、子どもを産んだりなんかして、今頃は孫のいるおばあさんになっていたと思いますよ」
──今では芸能人の女性も結婚して、子どもを産んで、復帰して、離婚して、再婚して…という時代ですが、昔は本当に結婚かキャリアかという選択肢しかありませんでしたよね。
「そうですね。今のような自由さはとても考えられなかったですよね。でも、若い方たちが、私のようにしていても仕事をやっていけるんだというふうに思ってくださったとしたら、それはよかったなと思います」
──ここまで話を伺ってきましたが、徹子さんの生き方はとてもじゃないけど、他人がまねできるものではないとわかりました(笑)。どこをまねしていいかわからないぐらい、本質的なところが違うのだと思います」
「私が誰かのことを見て、あんなふうにはなれないなって思うのと、同じことなんだと思いますよ(笑)。
──神様がプレゼントをあげると言ったら、今、何が欲しいですか?
「そうね、何がいいかな。それこそロッキーなんかに会えるものならちょっと会ってみたいわね。どのぐらいかわいかったんだろうと思ってね。ちっちゃい頃は、かわいいと思っていたけど、本当にそのくらいかわいかったのか知りたいと思う」
──てっきり、テレビが華やかだった時代に戻りたいかと。
「もう一回あれをやるのはね、もういいです(笑)。でも……渥美清さんとか森繁久彌さんとかとみんなで前進していった、あの時代に戻ってみたいような気もしないではないですね。ちょっと面白かったもの」
──徹子さんと共に始まった「テレビ」に今、変革期が訪れています。
「そうね。100歳になったら、どんな未来になっているのかな。そんな風に考えることもありますよね]
──では、当面の目標は『徹子の部屋』50周年ですね。
「まあね、そこまでやってみましょう。あと7年だと、私も90歳ぐらいにはなるでしょ。91歳? そのくらいになってもまだテレビに出られて、同じように質問して、司会をやれていたら面白いなと思いますね」
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Photo:Kazuyoshi Shimomura Styling:Michiko Ono Hair:Koichi Matsuda Make: Mahiro Interview:Atsuko Udo Edit:Etsuko Soeda