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People Interview

永遠のポップアイコン 黒柳徹子の生き方(前編)

チャーミングでユーモラス、そして最高にファッショナブル!私たちの永遠のポップアイコン、黒柳徹子さんが小誌に初登場。ご自身も大好きという「コム デ ギャルソン(Comme des Garçons)」を纏って"徹子スマイル"を披露してくれた。スペシャルインタビューを前編、後編に分けてお届け。(「ヌメロ・トウキョウ」2018年5月号掲載


ジャケット¥290,000 スカート ¥111,000 シューズ¥35,000/ すべてComme des Garçons(コム デ ギャルソン 03-3486-7611)ネックレス ピアス/共に本人私物

誰に出会うかで人生は変わるの

──『徹子の部屋』も今年で43年目を迎え、その功績はギネスにも登録済み。インタビューした人数は1万人を超えています。今日は幅広い年齢層に愛される徹子さんの魅力をぜひ伺いたいと思います。

「愛されているかどうか、ちょっとわからないけど(笑)。でも20歳からずっとやってきたので、もう64年になるんですよね」

──アンドロイドの「totto」ちゃんまで登場して、まさに日本のポップアイコンです。

「そうおっしゃっていただけるのはすごいなと思います。さっきもね、スタッフに『ポップアイコンだなんていわれてますよ』と言われて。『私はラッキーだわ』って言ってたの」

──この仕事に就いていなかったら…と考えたことはありますか?

「そうねぇ…。でも、どんな仕事でもやってきただろうと思います。きちっとした仕事はもしかしたらできないかもしれないけど、でも、それなりに(笑)。学生のときだってちゃんとやっていたわけだから。でも、この仕事でよかったとは思います」


1953年 テレビ女優第一号としてNHKに入社。入社後、エキストラ役を演じるにも個性が発揮されてしまい、降板させられることが続いた。

──疎開先でのリンゴの袋貼り。飽きずにやっていたんですよね。

「そうそう。袋貼りなんて普通、子どもはすぐに飽きちゃうけど、私は飽きずにずっとやっていました。ただ、どうしたら楽しいだろうか?という風には、あまり考えたことないような気がしますね。自然にやっていたら長く続いていたのであって」

──徹子さんの想像力とか創造性は見習おうと思っても無理ですね(笑)。環境に恵まれていたのでしょうか。

「そうね。人間は誰と、どういう人たちと出会うかでずいぶん人生が変わってくると思うの。私の親もよかったですけれど、トットちゃんの学校、トモエ学園の小林校長先生をはじめ、先生たちがよかったと言える。戦争もあったけど、そこでも出会いがあってね。出会った大人が、私はラッキーだったと思います」

──空襲も経験されたんですよね。

「ええ。東京大空襲のとき、東京にいましたから。空襲で向こうの空が焼けて、当時大田区にあった家の庭で本が読めるくらい明るくなった。私びっくりして、近くの大岡山が焼けているのかもしれないと言ったら、母が、夜の火事は近くに見えるからこれは目黒に違いないと言ったんですよ。実際はずっと下町のほうだったんですけどね。東京から出たほうがいいということで疎開。青森の知らない人の家に行って暮らしました」

──知らない人の家(笑)?

「夏休みに北海道に遊びに行った帰りに、青森から乗った汽車の中で出会ったおじさんがいたんです。窓から見える景色を見て『あれはなんの木?あれは?』と母に聞いていたら、おじさんが『あれはリンゴの木』とか答えてくれて。『お嬢ちゃん、リンゴ好き?』って言うから『大好き!』って言ったら、『じゃあ、送ってやるべ』って、おリンゴを送ってくださったんです。東京にはもうそんなものがないときでしたから、嬉しくてね。うちは疎開する先がなかったので、最終的にそのおじさんのところで生活が始まりました」

──それも徹子さんが引き寄せたことなのですね。

「本当にそうですね。そのあと青森からも出たほうがいいと思ったんです。駅にいたとき、なんだか知らないけど出るって私が大騒ぎしてね。その晩、青森の空襲があって、駅から焼けていったと知りました。1日遅かったら、今はもう生きていないと思います。なんで離れたいと思ったのかわからないけど、ゆえなき…ゆえなきでもないのよね。ゆえがあったから、ラッキーだったんでしょうね」

──戦争体験を乗り越えた世代の方々の「有名になったって、明日になれば消えてしまうかもしれない」という、刹那的ともいえる覚悟をどこかで読んで、圧倒されました。

「もう亡くなっちゃったけど、池内淳子さんや渥美清さん、皆さん有名になったけど、名声はうたかたのものであるというね。有名になったからって、大したもんだと思ったり、そんなことは全然なかったですね」

──60年以上のキャリアがあると、若い世代のそんな勘違いとかも見てきたのではないですか?

「まあね。でも、自分も含めてですけど、謙虚にしている人は長続きするのね。有名になって、自分は大したもんだとやってもいいけど、芸能界にはあまり長くいないわね。謙虚だったり、自分らしくいる人が長続きしているように思います。私たちの仕事は人から愛されてこそですから」

嫌なことも食べると消えちゃう!


1976-89年『ザ・ベストテン』(TBS)の司会を務める。最高視聴率41.9%を記録した伝説の歌番組。写真提供:TBS『ザ・ベストテン』

──これまでの仕事の中で、けんかや揉め事が一度もないと聞きました。

「そうね。芸能界に入って一度もけんかをしたことないって、珍しいかもしれませんよね。もちろん、どうしても言わなきゃならないときは、『そういうのはできません』とか『やらないほうがいいと思います』とかは言ってきたと思います。ただ、相手を否定するようなことはまず言わない。今、思い出したけど、生放送で私がせりふを言っているときに、なんだかんだ言ってきた人もいましたよ。でも、生放送という難関をどう乗り切るかのほうが大事だったので、誰かがぐちゃぐちゃ言うことにいちいち構ったりしませんでした。それに、人に噛みつくみたいなことを言って『ああ、せいせいした』とか『言ってやった』とか、人生で思ったことがないの。自分が楽しくいられれば、それでいいじゃないという感じなので、たとえ変な人がいても、この人は変な人だなと思って、なるたけ離れていようと思っていました」

──生放送で絡んでくるなんて、タチが悪いですね。

「そうね。でも、何か言い返して自分が嫌な思いをするよりも、言わないほうがいい。けんかしたりするのが好きじゃないっていうこともありますよね。そもそも、うちの母という人が人と揉めない人でしたから」

──親子げんかもなかった?

「一回もしたことないです。親とけんかするとみんな『クソババア』とか言うっていうじゃない? 親に対して『うるさい』なんて一度も言ったことないですよ、私。うちの母はそもそも私が嫌だなと思うようなことをしたり、言ったり、人に押し付けることもしなかったの」


1971年 単身、ニューヨークに演劇留学。母・朝さんが持たせてくれた振り袖を着て毎晩のように招かれるパーティに参加していた。

──エッセイも執筆されていた素敵なお母さまでしたよね。

「ええ。おかしかったのはね、原因は忘れましたけど嫌なことでもあったんでしょう。私、家に帰って母にこぼしながらワーワー泣いていたの。ふと気づくと、机の上にお煎餅があったので食べていると、しばらくして母が『ちょっと聞いていいかしら』って。『あなたさ、さっきすごく泣いていたけど、今すごい音立ててお煎餅食べているじゃない? あなたの頭の中にはさっきの泣いたことがちょっとは残っているの? それとも残ってないの?』。考えてみたら何も残っていなかったの。『お煎餅がおいしいなぐらいしかないと思う』と答えたら、『そうでしょうね。じゃなきゃそんなに音立ててお煎餅食べられないもんね』って。そういうことを娘に聞いてみたいと思う母も、相当面白いと思いますよね(笑)」

──食べると消化されるんですね。

「ラッキーな性格だなと思います。いつまでも泣いて、人のことを恨んだりしないんです。ごはんを食べたら忘れちゃうみたいな感じよね」

ロボット犬に命が宿った!?

──徹子さんといえば、動物と意思の疎通が図れることで有名です。

「動物との会話は、ものすごくうまくいきます。昨日は私も驚きました。千昌夫さんって鳥をいっぱい飼っているんですけど、スタジオに烏骨鶏を連れてきたんです。その烏骨鶏がまた猫みたいに毛がフサフサしていて、30~40分間、私の膝の上でおとなしく座っていたの。バサバサなんて全然やらなくてね。撫でていたら、もう毛がね、猫の毛みたいにやわらかくて。そのうちふと『これ鳥よね?猫じゃないわよね?』って言ったら、千さんが『鳥です、鳥です』って。鳥ってうるさいのかと思ったら、全然。こんなにかわいいなら、飼ってもいいかもしれないと思いました」

──それはなんなんでしょう。ハートでしゃべっているから、とか?

「なんでしょうね。以前、『世界ふしぎ発見!』にイノシシが来たんです。初めて見たけど汚らしい色でね。臭いし、ガリガリやってうるさいし。連れてきたおじさんに名前を聞いたら、『そんなもんに名前つけてどうする』とか言うから『あら、かわいそう。あなたお名前もないんですってね』って言ったら、ガリガリをやめちゃって、私のほう向いておとなしくしちゃっているの。へえ。やっぱり優しい声で話しかけると、動物はわかるんだなと思ってね」

──ミラクルですね(笑)。

「私と一緒にいておとなしくなったり、面白いことする動物はずいぶんいますけど、きっとその動物が“感じがいい”と思う声で話しているんだと思いますよ。決して上から目線でものを言ったりしないとかね。だいたい人間って、動物にいちいち命令調で言っちゃったりするでしょう?」

──そうですね。初めて動物と通じ合ったという体験はいつですか?

「家で飼っていたシェパードのロッキーでしょうね。ロッキーとは本当に仲良しで、学校の通信簿をもらってくると最初に見せていました」

──確か、小学校にも一緒に行っていたんでしたよね。(注:放し飼いが主流だった昭和初期の話です)

「最初の学校は駅の近くだったのね。一緒に通っていたけど、その学校は退学になっちゃったもんだから(笑)。自由が丘のトットちゃんの学校は電車通学だったので、駅のところまで来て、あなたはもう来られないのよって言うと、犬は帰って行きました。かわいかったですよ。でも、ある日ロッキーは私が出かけている間にいなくなってしまったんです。母に『どこに行ったの?』と聞いたら、『いないのよ』って。私に何も言わずにいなくなるなんてあり得ないと思ったの。でも、この間、ドラマの『トットちゃん!』を観ていたら、母の本に書いてあったんでしょうね。戦時中、シェパードは軍隊に連れて行かれたって。想像もしていなかったからびっくりしちゃって。何十年もたっているのにウワーって泣いちゃった。またドラマのシェパードが大きさもロッキーにそっくりで…。すごいショックでしたね」

──それは聞いた私もショックです。初期AIBOのグレーちゃんはまだおうちにいるんですか?

「ええ。ちょっとしまっていたんですけど、この間久しぶりに出しました。今、充電器の上に乗っていますけど、すごくかわいいですよ。私のAIBOは、私が育てたからもあるでしょうけど、普通はリモコンで3とか4とか番号を押すと、耳の後ろを掻くとか、行動が決まっているの。ロボットだからね。番号を押すたびに何回でもやるのが普通なのに、あの子は2回ぐらいやると、次に同じ番号を押しても全く違う体操みたいのを始める。だから、ソニーに持って行って説明したんです。そしたら、『ロボットなんだから勝手にやるなんてあり得ません。黒柳さんの愛情が強いとそうなるのかもしれないけど、私たちにはわかりません』って」

──なんと非科学的な答え(笑)。

「科学の世界なのにね。神様がいるのかしらっておっしゃってました(笑)」

──猫AIBOがあったら、年配の方たちが飼育できて癒されますね。

「そうね。でも、毛が生えていないから、(目の前にあるポットを触って)触ってもこういうのと同じなのよね」

──あ、ニワトリとは違うんですね。

「そうそう(笑)。烏骨鶏は猫みたいにふわふわしているのよ」

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Profile

黒柳徹子(Tetsuko Kuroyanagi)東京都出身。1953年、テレビ放送開始とともにNHKのテレビ女優としてキャリアをスタート。60年以上に及ぶ芸能生活では、テレビ、舞台出演、800万部のベストセラーを記録した『窓ぎわのトットちゃん』や自伝エッセイ『トットチャンネル』ほか著作活動に加え、ユニセフ親善大使を務めるなど、幅広く活躍中。90万人のフォロワーを抱えるInstagramの投稿も話題。

Photo:Kazuyoshi Shimomura Styling:Michiko Ono Hair:Koichi Matsuda Makeup: Mahiro Interview:Atsuko Udo Edit:Etsuko Soeda

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