ほかでは読めない!豊川悦司、木梨憲武、藤井フミヤの“寅年”対談(前編) | Numero TOKYO
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ほかでは読めない!
豊川悦司、木梨憲武、藤井フミヤの“寅年”対談(前編)

豊川悦司、木梨憲武、藤井フミヤの豪華な“同級生”対談が実現。無類のハワイ好きという共通点だけでなく、なんと全員寅年生まれという偶然! 俳優、お笑い、ミュージシャン。デビューから約30年、それぞれの分野で時代の寵児となった3人が、初めてじっくり濃厚に語ること。男同士だからこそ話せる、三者三様の生きざま、人生観、プライベートトークなど、いままで語られることのなかった内緒な話も盛りだくさん! ※タイトルの名前の順は撮影時、3人による“大人じゃんけん”によって決定しました。(「ヌメロ・トウキョウ(Numero TOKYO)」2017年10月号掲載

豊川悦司とは「はじめまして」
二人が思い描く、“悦ちゃん”とは?

木梨憲武(以下K)「だいたいフミヤのことは知ってるからね、今日は豊川くんのことを知りたいなと思って来たの(笑)」

藤井フミヤ(以下F)「僕もそうだよ。帰るまでには“悦ちゃん”って呼べるくらいになりたくて(笑)。まずは、デビューのきっかけは何だったの?」

豊川悦司(以下T)「大学で演劇部に入って、20歳の時に渡辺えりさんの『劇団3○○』という劇団に入ったのがきっかけで」

F「生まれはどこ?」

T「大阪市内で生まれて、大学も途中で辞めちゃって芝居をするために東京に出てきたんです。その時期はもう二人ともデビューされてましたよね」

F「僕がチェッカーズでデビューしたのが21歳」

T「とんねるずの最初は、10週勝ち抜きのオーディション番組ですよね。あれ、観てた記憶があって」

K「『お笑いスター誕生』ね。18歳のときだった。周りから出てみなよって誘われて──」

T「21歳の頃はもう劇団にいたんですけど、家にテレビがなくて──。劇団時代は貧乏で食うや食わずで、2年くらい自分の部屋すらなく、誰かの家に居候して回るっていう生活してたな(笑)」

K「そこに反発とかは?」

T「ないです。むしろ楽しくて、当時は携帯もない時代だから、親が何年もかけてやっと連絡のつかない俺の居所を探し当てたくらいで」

F「やっぱり下北近辺だった?」

T「いや、僕はずっと中央線を下ってましたね。最初は東中野で、阿佐ヶ谷、西荻、吉祥寺、三鷹と。10年近くかけて段々と。部屋もそれなりに大きくなっていって吉祥寺ぐらいでやっとユニットバスがついてる部屋に住めたというか、転がり込んだというか──」

K「グイッときたのは何歳ぐらいのとき?」

T「劇団を辞めて、今の事務所に入ったのが27歳で。そこからオーディションなどを受けるようになって、徐々にボチボチと。ちなみに、いちばん最初に受けたのが、桑田佳祐さんの『稲村ジェーン』で。結構、いいところまでいったんですけど負けちゃって(笑)。その後、29、30歳でドラマ『Night Head』に出演して、深夜ドラマの走りみたいな感じでブームになって──」

K「豊川さんって、今もそうだけどスタイルの守り方がカッコいいよね。バラエティとかも出ないじゃない?」

F「笑わないイメージだったよね、ずっと。無骨な役の印象がそのまま本人と通ずるような」

T「実際はそんなことないんですけどね(笑)」

F「でもさ『笑っていいとも』も『徹子の部屋』にも出たことないって逆にすごくない?」

K「ホントそう! これだけの人なら、絶対に通る道だもん。ちょっと話が変わるけど、実は今日、謝りに来たんですよ。20年前くらいに豊川くんとウチの奥さんの安田成美が共演したドラマの打ち上げがあって、当時は何もわからず、暇だったし一緒について行っちゃって──」

T「そうでしたっけ(笑)?」

K「あれ? 覚えてない?」

F「印象薄かったんだよ(笑)」

K「でね、今日この対談があることを成美さんに伝えたら、あの時『ホントいい加減にしてよ』と思っていたと。僕は楽しかったんだけど(笑)」

F「それを悦ちゃんが覚えてないってことは、すごく酔っぱらっていたか、ノリちゃんがあまり飛ばさなかったかのどっちかだよ。絶対に何かしらの印象を残して帰りたがる男だもん」

K「いやいや、いま思うとね、よくノコノコとドラマの打ち上げに行ったなと」

T「でも、ノリさんもお芝居してましたよね。奥さんとも映画『そろばんずく』で知り合って」

K「そうなんですけど、役を演ずることは、いまだにそうかもしれないけど恐れ多いというか──」

F「ノリちゃんは何でもなれちゃうから」

T「でも、個展をやられたり絵を描いていたりもしますよね」

K「ようやくそのリズムがいま気持ち良く──。だから生活のリズムも飽きなくなってきた」

F「時々『クレイジーすぎない?』ってくらい細かいことしたりするよね」

K「若い頃はグッと入っちゃったら、細いペンでミクロの世界に──ってこともあったけど、今はもう目が疲れちゃって(笑)」

F「でもさ、この間の段ボールのキャラクターだって何個作った?」

T「なんですか? それ?」

K「妖精というテーマでアドリブで手のひらサイズのキャラクターを作ったら面白くなっちゃってね。最初は100個くらいのつもりだったけど、フミヤが家に来て『100じゃ迫力ないよ。1000だな』っていうわけ。そこからノイローゼ(笑)。海外ロケで時差ボケ中でもずーっと作り続けて。その合間に仕事してさ。でも、1000個超えた時は嬉しかったなぁ」

T「作ったんだ! すごい! 仕事しながらだと大変ですよね。僕も、年齢とともに働いてる時間と自分の時間を住み分けられるようになってきたのか、住み分けようとしてるのかっていうのはあって──。若い時は仕事がすべてだったから」

F「変わったきっかけって?」

T「湘南に移住したのが大きかったかな。東京には仕事をしに行く──とはっきり分けちゃったから」

K「俳優仲間とかで信頼のおける友っている?」

T「う~ん、いないですね」

F「意外! 役者さんって1クール長いから仲良くなりそうなのに」

T「俳優さんって体育会系のノリの人が多くて、わりとつるむのが好きというか夜中に呼び出しかけたり──。そういうのすごく苦手で(笑)」

K「僕も若い頃は呼び出ししてたね。『何やってんの、フミヤ?』とか」

T「飲みの席で仕事の話をしたりします?」

K「イヤ──。でも、してないようでしてるのかな?」

T「飲むのは好きだったけど、飲んで演技論とかを語り合うのが嫌なんですよ。若い頃、必ずそういう話になって『アイツの芝居のここがどうこう』とか。あの欠席裁判みたいな感じがしてすごく好きじゃなくて」

F「わかる。ノリちゃんとは、呼び出しとかじゃなく普通に電話しながら『暇なら飲もうか』って、毎日一緒に飲んじゃってる感じだよね」

誰がいちばん、モテた?
モテ事情と家族について

K「特に最近は、奥さん同士も仲良しだからね。フミヤがあの店美味しいよって予約入れてくれて4人で行くことも多くなった。子どもも大きくなったから。それが今の僕らの関係」

F「ノリちゃんはバラエティやってるからなのか、タモリさんと同じで、好き嫌い関係なく、いろんな人が連絡してくるじゃん。ジャニーズの若い子からも電話が来たり」

K「問い合わせ所になっちゃってたからね。都合のいい男なんですよ、たぶん(笑)」

F「お笑いって二種類あって、テレビに出ているとすごく面白いけどプライベートになるとまったく面白くない人と、どっちも面白い人がいるけど、ノリちゃんは常に人を笑わせてないと嫌なタイプだから」

K「そんなたいしたもんじゃないんだけど、盛り上がってないと気が済まないからさ」

F「そういうタイプだから人が懐いていくんだろうね」

K「最近はさ、下の世代に何か言いすぎて途中で嫌われちゃうんじゃないかとか。だけど、仕事のことに関しては、時代こそ違えど自分の想いを伝えないと──って思ったり。そういうのない?」

F「おれは意外とそういうのないかも」

K「20、30代ってみんな頑張りたいじゃない? そういう話を聞いてるとすごくいいな~って思うの。これからなんだなって。特に、20代って自分の子どもの世代だし。でも、やっぱり売れるヤツは勢いがいいね。なんか、いいズカズカ感がある。逆に、引いてばかりじゃタイミングもなくなるじゃない? だから、ズカズカこられるほど可愛いなって思っちゃって、言いたくなっちゃう」

F「職種的に若い子と出会う機会ってほぼないからな。役者はどう?」

T「役者は集団作業だからいろんな人と絡むけど、ミュージシャンは孤独ですよね」

F「まったく接点ない。フェスぐらいだけど、挨拶に来られて終わりだもん。女優さんとか会ってみたいよ。キレイな人、多そうだし(笑)。俳優さんが羨ましいよ。派手なプライベートの時期もあったんじゃない?」

T「僕はないですよ。ずっと地味です」

F「でも、どう見てもモテるじゃん」

T「いや、ミュージシャンのほうがモテるでしょ」

F「そういえば、チェッカーズとか俺に会いたくて業界に入ったっていう子が結構いるの。昨日の現場にもいて、エンジニアとしてテレビ局に入社して、以前、オレの音を録って『夢が叶った』って言ってた子が、今やディレクターになって、昨日とうとう映像を撮ったんだよ」

K「自分でカット割りから照明まで決めて、好きだった人を撮るってスゴイわ。それね、付き合ってあげたほうがいい。お礼としてね(笑)」

F「でも、そんな感じでスタイリスト、ライターなど結構いた時期があった。『いつか会えるんじゃないかって頑張ってきました』って、泣いちゃったりね」

T「まさにスターならではのエピソード!」

K「豊川くんもそういう話あるんだろうけど、語らなそうだよね。でも、そろそろよくない? 年齢的にも」

T「隠すとかじゃないんですけど、若い頃に自分が誇示していたことが、最近になって俯瞰で見ると、すごくバカらしいことってたくさんありますからね。なぜもっと頭が柔らかくなかったんだろうあの頃──って思うことはいっぱいありますね」

K「そういう意味では、フミヤは最近、言い過ぎで俺が止めるくらいだから。飲んでる時にあけっぴろげ過ぎる(笑)」

F「でもさ、この年になると丸くなったって言われるよね」

T「すごく言われる(笑)。自分でもそう思うし」

K「僕は今でもせっかち爺としてね、車のブレーキを踏むタイミングだけでもイライラしちゃう」

F「ほんと、せっかちだよね」

K「ロケの段取りも撮影の段取りもすべて見えちゃうからね。何回かやるなら、さっきのでいいんじゃないの? 気持ち一回しかできないでしょって」

T「分かります。ノリさんは特にそうなると思うな。今日の対談にしても全部の状況を見通してるのが分かるし」

F「でもね、超ワガママでもあるから。つまらないとすぐいなくなる(笑)。『あれ? 帰ったの?』って」

K「あ、それは体調なの。自分がアゲられない時だから。帰りたくて帰ってるんじゃなくて」

F「僕はわりと責任持って最後までいるからね。とはいえ、最近は朝までとかキツくなってきたけど(笑)」

T「僕もホント無理。だいたい普段は10時に寝て5時に起きてますから」

K「一緒! 昼寝も必須になってきた(笑)」

F「サーフィンやる人は早起きだよね。ハワイではずっとサーフィンしてるって聞いたよ」

K「いいな~。でも、真っ黒にならない? 仕事的に大丈夫なの?」

T「ダメなんですよ(笑)。オフは次にどんな役のオファーが来るかわからないから、髪も髭も伸ばしっぱなしにしてたり──。フミヤさんは、ハワイでは山登り派なんですよね?」

F「そうそう。どちらかといえば山だね」

K「僕もそういう環境が欲しくてたまらないのに、結局はただハワイに居られればいいっていう感じかな。絵も特に描かないし」

T「引退したらまた違うかもしれないけど、仕事の合間にのんびりしたいと思ったらハワイしかない。なので、帰国する時に必ず次の予約を入れてくるんですよ」

F「ワイキキの端に好きなホテルがあって、いつも同じ部屋なんだってね」

T「そうなんですよ。とりあえず1カ月予約して、キャンセルぎりぎりまで調整して日にちを決める感じで」

豊川悦司(Etsushi Toyokawa)
1962年3月18日生まれ、大阪府出身。俳優。92年から放映されたドラマ『NIGHT HEAD』で注目を浴び、以来立て続けにドラマに出演。同年の映画『きらきらひかる』で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。95年に主演したドラマ『愛していると言ってくれ』、97年『青い鳥』がに大ヒットし、名実ともに日本を代表する俳優へ。テレビドラマの演出や脚本も手がけ、活躍の幅を広げる。

木梨憲武(Noritake Kinashi)
1962年3月9日生まれ、東京都出身。80年『お笑いスター誕生!!』に石橋貴明とのコンビで出場。82年に同番組にて10週勝ち抜きグランプリを獲得。以降、『オールナイトフジ』『夕やけニャンニャン』に出演し、若者のカリスマ的存在に。2014 〜16年、創作活動20周年を記念した個展『木梨憲武展×20years INSPIRATION-瞬間の好奇心』を全国8カ所で開催し、40万人以上を動員した。

藤井フミヤ(Fumiya Fujii)
1962年7月11日生まれ、福岡県出身。83年にチェッカーズとしてデビュー、数多くのヒットを飛ばす。93年以降はソロアーティストとして活動。「TRUE LOVE」や「Another Orion」などミリオンヒットを世に送り出す。歌手活動のほか個展を開催したり、 愛・地球博の名古屋パビリオン「大地の塔」をプロデュースしたりと、幅広く活躍。今年はF-BLOOD結成20周年を記念し、全国ライブツアーを決行。

 

Photos : Sasu Tei Text : Takako Tsuriya Produce : Maki Konikson Edit : Hisako Yamazaki

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