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People Interview

舘鼻則孝インタビュー
日本を“再考”するアートの行方

「ヒールレスシューズ」でレディー・ガガの足元を飾ったデザイナー、舘鼻則孝。“リ・シンク”を掲げた展覧会で、彼は自らの原点をどう再考したのか。ファッションへの思い、アートへの挑戦……舘鼻則孝が拓く新境地とは。(ヌメロ・トウキョウ(Numero TOKYO)」2017年11月号

Portrait : Tadayuki Uemura
Interview & Text : Itoi Kuriyama
Edit : Keita Fukasawa

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『舘鼻則孝 リ・シンク展』会場にて。背後の作品は花魁のかんざしをモチーフとする『Hairpin Series“The Language of art”』(Ed.3/2014年)

ファッションデザイナーから
アーティストへ

──8月に表参道ヒルズ「スペースオー」で開催された『舘鼻則孝 リ・シンク展』には代表的な『ヒールレスシューズ』以外の作品も数多く展示されていました。舘鼻さんは靴で一躍有名になりましたが、その後どのような展開があったのでしょうか。

「2010年に東京藝術大学を卒業後、2年くらいはほとんどレディー・ガガのために靴を作る仕事ばかりで、どっぷり“ファッション”の世界でした。それが落ち着いた頃、自分にとってどういうやり方が一番いいのかを考える時間ができて。顧客であるダフネ・ギネスさんの推薦で美術館に作品を展示する機会にも恵まれるようになり、靴という領域に限定することなく活動の幅を広げたいと思うようになりました。当初はファッションブランドとして展開することを考えていたのですが、自分が生きた時代を克明に残すような活動のほうが、文化的にも日本にとっても意味があるような気がしたんです」

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『舘鼻則孝 リ・シンク展』展示風景より。 アクリル製の靴『Cinderella』(2014年)

──普通は成功に酔いしれて、このまま人気の靴を作り続けていこうと思ってしまいそうですが…。

「なぜ自分がうまくいったのか、いろいろ考えてみたんです。日本人で世界的に活躍しているファッションデザイナーやアーティストを研究したところ、自らのアイデンティティに基づいて創作をしているという共通点があった。自分にしかないバックグラウンドから生まれた作品は現代における存在理由がしっかりと証明されているだけに、誰にも敵わないものになる。『ヒールレスシューズ』でなぜ自分が認められたのかというと、自分が学んだ花魁の文化的な側面を現代日本のファッションとして作品化したからだと思うんです。見た目のデザインだけだと誰でも真似ができますが、模倣が難しいような文脈をも構築できていたわけですね。

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『舘鼻則孝 リ・シンク展』展示風景より。レディー・ガガへのプレゼントとして制作された『Heel-less Shoes Series“ Lady Pointe”』(2014年) 

それで『ヒールレスシューズ』は自分の作品のシリーズの一つとして位置付けて、ほかにも歴史に裏打ちされた作品を作っていきたいと思ったんです。そのときに、靴は『ヒールレスシューズ』しか作らないと決めました。そうでなければ“シューズデザイナー”になってしまうので。こう決意することで、自分のなかではファッションデザイナーからアーティストになった、といえるかもしれません。こうした経緯で、領域に限らず活動をするということが自分の作家スタイルともいえるようになりました」

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『舘鼻則孝 リ・シンク展』展示風景より。壁に掛けられた円形の作品『Embossed Painting Series』(2017年)と、花魁の高下駄がモチーフの『Floating World Series“ Raven”』(2014年)

花魁文化の作品化で
自らを前衛に定義する

──具体的にどのようなことを作品に込めていこうと思っていますか?

「出身地や性別、家族など、自分が選択をしていない要素に必然性を感じられるような自分でいたい、という気持ちがあります。自分は日本人で、日本はどういう歴史で……というように、変遷をたどっていく作業を形にするのが僕にとっての創作活動なんです。作品は、いわば自分を定義するための装置だといえますね」

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『舘鼻則孝 リ・シンク展』展示風景より。舘鼻作品と江戸〜明治期の花魁の資料が対比展示された。写真上の左側は花魁の煙管に想を得た作品『Theory of the Elements』(2015年)

──日本の文化の中でも花魁に焦点を当てているのはなぜでしょうか?

「花魁の前衛性は、当時のファッションをリードした存在で、自分がこれからつくり上げたい新しい価値観につながるものだと思いました。そのような要素を取り入れて現代における日本のファッションを定義することは、自分にしかできないことだと感じました。多様性のある日本文化のなかでも自分だけにしか担えないような、特化した部分だとも感じています」

──―ご自身の活動を冷静に分析し、自らをディレクションしていく姿に新しいアーティスト像を感じます。

「アーティストとしては決して特別なことではありません。ユーチューバーではありませんが、今後はさらに自己演出的な時代になっていくのではないでしょうか」

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自身の骨格をCTスキャンし真鍮で鋳造した作品『Traces of a Continuing History Series』(2015年/Photo : GION)

“傍観者”の日本人に向けて
源流の文化を訴求する

──さまざまな企業と組んで活動されていますが、ビジネス的な戦略のセンスもお持ちですね。

「表現が経済活動になるということはすごく重要です。アーティストや作品は社会の一部にならなくてはいけない。わかる人だけわかればいいという日陰の世界だと、社会から切り離されてしまいます。作品は情報をシェアするための装置、つまりコミュニケーションツールです。作品が売れるということは自意識を持って社会に出ることと同じ。人の手に渡って、どんどん伝わっていくのが望ましいんです。それに、日本では特にアートとコマーシャルのバランスが必要です。世界のアートマーケットと異なる部分もあれば、そうでない独自の価値観も存在し、どのようなアーティストなのかを認知してもらうためには、企業と組んで活動するということも自己表現の一つとなります」

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個展『舘鼻則孝:呪力の美学』(岡本太郎記念館/2016年)発表作品『Homage to Taro Series: Aesthetics of Magic #1』(2016年/Photo : GION)

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個展『舘鼻則孝:面目と続行』(旧細川侯爵邸和敬塾/2015年)展示風景(Photo: GION)

──すでに世界で活躍されていますが、日本での反応も重要なのですね。

「僕は日本のために活動してきたつもりです。作品はすべて海外に出回って日本人が見る機会がないのではあまり意味がない。世界で話題になっているからこそ、自分の国の人たちが注目してくれる状態にはなったと思いますが、まだ傍観されているにすぎない。日本で活動して、日本の職人さんと一緒にものづくりをしているのに、海外に住んでいる人と思われていたり…。それに、日本の伝統的な工芸技術を現代的に表現し広めたいという思いもあります。工芸が雑貨化し、職人たちの腕が鳴るような仕事が少なくなり、技術も伝承されず、いつの間にか誰もいなくなるケースはたくさんあると思う。だから職人さんたちにやりがいのある仕事を提供したいとも考えています」

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『舘鼻則孝 リ・シンク展』展示風景より。会場に設えられた茶屋。TORAYA CAFÉ・AN STANDとのコラボレーションによる展覧会限定メニューが提供された。

──新たにオープンする、ミュージアムとレストランが融合した試み「COURTESY」をディレクションされていますが、これも日本人へのアピールと啓蒙活動の一環なのですね。

「欧米では一般的なことですが、アートが生活の一部だということを日本でも体現したかった。僕の作品や山本篤史シェフの料理、陶芸家の桑田卓郎さんの器など、響き合うさまざまな表現要素を五感で感じてもらいたい。そう願っています」

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Profile

舘鼻則孝(Noritaka Tatehana) 1985年、東京都生まれ。歌舞伎町で銭湯「歌舞伎湯」を営む家系に生まれ、鎌倉で育つ。東京藝術大学では染織を専攻し、卒業制作の『ヒールレスシューズ』で脚光を浴びる。近年はアーティストとして展覧会を開催、伝統工芸士との創作活動にも力を注ぐ。ニューヨークのメトロポリタン美術館など、美術館に永久収蔵された作品も多数。

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