ほかでは読めない!豊川悦司、木梨憲武、藤井フミヤの“寅年”対談(後編) | Numero TOKYO
Interview / Post

ほかでは読めない!
豊川悦司、木梨憲武、藤井フミヤの“寅年”対談(後編)

豊川悦司、木梨憲武、藤井フミヤの豪華な“同級生”対談が実現。無類のハワイ好きという共通点だけでなく、なんと全員寅年生まれという偶然! 俳優、お笑い、ミュージシャン。デビューから約30年、それぞれの分野で時代の寵児となった3人が、初めてじっくり濃厚に語ること。男同士だからこそ話せる、三者三様の生きざま、人生観、プライベートトークなど、いままで語られることのなかった内緒な話も盛りだくさん! ※タイトルの名前の順は撮影時、3人による“大人じゃんけん”によって決定しました。(「ヌメロ・トウキョウ(Numero TOKYO)」2017年10月号掲載

今までで最大にヤバかった瞬間と これからの未来予想図

木梨憲武(以下K)「若い頃に大失敗したことって何かある?」 豊川悦司(以下T)「ありますよ。前日に飲み過ぎて3時間くらい遅刻したことが。結局、その日の撮影を全部飛ばしちゃって。以来、大反省して遅刻は二度としないようになった(笑)」 藤井フミヤ(以下F)「ノリちゃんは若い頃は仕事でも、自分の家で寝ないで人の家を転々としてたよね。誰かがいないと寝られないタイプで、とにかく人のノイズとかテレビつけっぱなしじゃないと寝られないんだって」 K「テレビも明かりも点けっぱなし。豊川くんは?」 T「家では暗くして寝るけど、地方ロケとかに行くと点けっぱなしですね。お化けとか出そうで怖いから。部屋のシミが気になっちゃったり(笑)」 F「そうなんだ! 僕は真っ暗で無音じゃなきゃ寝られないタイプ。朝日のこと考えるとカーテンが数センチ開いてるのもダメだし、耳栓、アイマスクも必要。翌日がコンサートの時は眠剤飲んじゃうもん。高揚しててあれこれ考えちゃうから」

K「フミヤは最近、まじヤバかったってこととかある?」

F「この間、フルオーケストラで歌う本番前に風邪菌もらってさ。声の調子を探り探りリハをして、いざ本番になったら4曲目のサビの高音でダメになって──。最後の5曲目は合唱だったから助かったけど、まったく声が出なかった。あの時『本当に神様っているのかな?』って思ったよね。あれは結構、地獄だった。ノリちゃんは何十年も毎週収録あるけど、どうしてんの?」

K「30年やらせて頂いてるけど、やるだけは――。あまりきめ細かく考えていっても、その通りにならなかったり、それがゴールかもわからない。そういう意味で余白って大事だなと。そもそも、とんねるずは若い頃から何をやっても怒られないで育ってしまったから。普通にしてると『どうしたの? 体調悪い? 機嫌悪い?』って言われるくらいで。歌番組もバラエティも、ひっちゃかめっちゃかやればやるほど『ありがとうございます!』って言われたり。でも、それが今のご時世で受け入れられるのかそうじゃないのか分からないけど、かといってはしゃぎすぎてもバカみたいだし──」

F「完全なプロだもんね。ホントにすべてが見えてる」

K「まだまだここからだよ。豊川くんもそうじゃない?」

T「時々『あとどのくらい生きるんだろう?』って考えますけどね」

F「そうだよね! 最近、いつもそのテーマだよ。健康とかさ(笑)」

K「病気になったら何もできないからね。そう思うと、毎日楽しむしかないって思うよね」

F「『この先、どうなりたいとか』ってよく聞かれるんだけど、オレはもうそこないんだよね。健康だったら何でもやれるから、とりあえずそこが一番だなと」

K「豊川くんは? 自分で作品を撮りたいとかない?」

T「たまに、ちょっとしたものは演出したりはしてるので。欲を言えば、まったく違う人生を生きてみたいなって思ったり──」

F「え? 何それ、来世の話(笑)?」

T「違う、違う! 今世で、例えば職業を変えるとか。食べていくにしても、そこそこ蓄えもあるし。最もやりたいのは農業とか、商売でもいいんだけど、一人でやる仕事じゃなくて家でできるモノがいいなと。畑とビニールハウスを作ってとか。うどん屋でもいいんだけど、本当の意味での一国一城の主。誰にも干渉されない、すべて自分の人生を自分でコントロールできる生き方っていうのかな。誰にも何も言われないっていう」

F「俺はそれをもうやってきちゃったからそこにはいかないんだな。ミュージシャンってそんなもんだから。それなりにしがらみはあるけど『一生歌って生きていく』っていうことは、45歳くらいでようやく決めたの。それまでは何しようかなって考えてたけど、やっぱり歌手だなと──。一生歌えれば、箱が大きくなろうが小さくなろうが構わない。50人だろうが1万人だろうが歌う。それが今回の人生という結論に、もう行き着いちゃった」

T「何かきっかけってあったんですか?」

F「いろいろと挑戦したり楽しんできたけど、自分にいちばんテクニックがあることを考えたら、音楽だったっていうことかな」

K「フミヤは自分発信で、いま思ってることを詞にしてメロディに乗せて、そして人に響かせるというお仕事。例えば、『前から僕のこと懇意にしてくれてたんでしょ。その時から僕も好きだったんだ』って妄想しながら。でもそれがすごくいい曲だったりする(笑)」

F「なんだよ、それ(笑)。今は小さい個人事務所で、自分のツアーグッズも1回に30個くらい全部自分でデザインするし、パンフだって最近は作っちゃう。そのデザインができるのもずっとアートをやっていたからできるし、結局いろいろやってきたことが今に生きてるんだよね。結果、小さい商店みたいな感じになってるから──」

K「なかなか全部できるアーティスト、ミュージシャンはそういないよ。とうとうインディーズになったしね」

F「そうそう。とうとうレコード屋さんにもなっちゃった(笑)」

K「豊川くんの場合は、自分発信のものを演じるってことはあるの?」

T「フミヤさんといちばん違うのは、僕はお座敷に呼ばれて初めて仕事になるところ。自分でこういうものをやりたいっていう仕事ではない。誰かがこういう作品を作りたいとなった時に呼ばれてパフォーマンスする。そういう意味では、タイミングも自分ではなく相手次第で、僕はやるかやらないかっていう判断の自由だけを持ってる。だけどYESと言ったら、そこからは相手に合わせてやっていく──っていう」

K「その待つ間って、どういうふうに自分をコントロールするの?」

T「それが最近、待たなくなってきたというか、一生仕事がなくてもいいやってどこかで思ってる自分が。そうしたら遊んでいられるのにって(笑)」

父親としてのそれぞれの顔
家族への想い

F「ウチはもう子どもが巣立っていく年頃に。だから自由になれたっていうか」

K「ウチの14、18、21歳の子どもたちは、成美さんに育ててもらった感じ」

F「木梨家はノリちゃん含めて子ども4人って感じだもんね!」

K「しかも、男2人の三男が自分っていうね。犬もママの言うことしか聞かないから。ある時期、『父親として本当にその感じでいいの? まだ間に合うよ』って言われたことがあって(笑)。でも『こうしかできないから、よろしくお願いします』と」

F「ノリちゃんはね、子どもたちに江戸っ子の口癖で『てめぇ、このやろう、ばかやろう』の連続なの(笑)」

K「そのリアクションを楽しんでるんだけど『返さないねぇ~』ってことが多々(笑)。言葉じゃ近寄ってくれないから『オラオラ~』って体当たりで行くと『痛いからやめてくれる?』って冷めてたり。でも、この間、珍しくバンドを背負ってライブを3日やった時は成美さんと一緒に来てくれて──」

F「子どもたちがノリちゃんを好きなのは見てて分かるよ。だけど本当に面倒くさいの、言葉と絡みが(笑)」

K「学校にはいまだに送っていて、その朝のコミュニケーションしかないから、ちょいちょい絡むんだけど(笑)。でも、ある程度の年齢になってくると『木梨の子どもだ』っていうようなのを間違いなく食らってるでしょ。そういう苦労をかけてたりもするんでね」

F「それは俺らの子どもは仕方ないよね」

K「フミヤのアナウンサーになった長男は生まれる前から知ってるから、俺の言うことはよく聞くの。ハワイでフミヤの30周年のサプライズをしようって企画した時も『おまえ、仕切れ』って無茶ぶりしたら『いや~皆さん! 父のためにありがとうございます』って、一秒で対応して盛り上げてさ。彼は段取りできるヤツだから、アナウンサーになって正解」

F「僕はテレビ局を受けたいなら、表舞台じゃなく裏側の職種を勧めたの。だけど、ノリちゃんが『ダメだ、表に出ろ! アナウンサーに行け』って。ホント、あなたのせいだから」

K「フミヤの倅(せがれ)だって知られたことで、すでにマイナス1000くらいからのスタートでしょ。でも、そういう経験をして立派に育っていくと思うよ」

F「まぁ、赤いふんどし身に着けてやれるアナウンサーは、あいつくらいだろうね(笑)」

T「今さらですけど、家族の話が意外というか。お二人ともプライベートを感じさせずに長年お仕事してきたのがホントにすごいなって、さっきから思ってて──」

F「悦ちゃんこそ、プライベート感を見せないタイプでしょ。バラエティなどに出てこなかったのはどうして?」

T「自分がテレビに出るほどの人間じゃないっていうのが根本的にずっとあって──。それに、役者がバラエティとか出るとゲストとして気を使われたりするでしょ。それも居心地が悪いんです」

F「舞台はやらないの? 結構、役者さんって舞台好きな人多くない?」

T「みんなやりますね。僕は、劇団時代で終わったかな。舞台は麻薬みたいなところがあって、またやりたくなるのも分かる。だけど、僕は1カ月間、毎日毎日、同じことをやるっていうのがちょっと──。上手くいってもいかなくても、撮影が終わったら終わりっていう刹那的な感じが好きなのかも」

K「このスタイルだからこそ、豊川悦司。そういう美学はカッコいいし、それが芝居にも表れてると思う。たださ、仕事すればいいというスタンスとは違う。お見事です!」

T「もう主役をやることはなくなってきてるから──。役者って生花なんですよ。50代なら50代の役。30代も80代も無理」

K「それは、僕もフミヤも同じだと思うよ。逆に、年を重ねた今だからこそ、思うことってある?」

T「今は、嫌な一日やしんどい日もあるけど『どんな一日も自分次第』って言葉が好きですね」

F「そうだね。この年になると、何も起きないのがいちばん幸せって思わない? 時々何かが起こるのは自分が起こすのではなくて自分以外のものが起こしたりするから。『そうきたか!』って」

K「悩みにしても、悩みって思うかどうかだよね。『うわうわ、出ましたね! 急に』って言っていれば『さぁいったん落ち着きましょう』ってなるじゃない?」

F「ノリちゃんらしいわ」

K「ここからどう楽しむかだよね。もちろん家族のことも含め、自分自身としてもどんだけいいもの見たり、生活のスタイルを楽しむかってことが人生の半分以上になってきてる」

F「悦ちゃんは、人生最終地はなんとなく決めてるの?」

T「それはまだ決めてない。よく『俳優は天職ですか?』って聞かれるけど言い切る自信はないんだよね、今は」

K「その違いだよね。今分かったこがすべてという人と、これからもっと楽しいことが待ってるから──っていう」

T「どこかの王国の王女様と結婚するかもしれないし(笑)」

K「あはは。いいね、悦ちゃん! でも、その続きは飲みの場にしよう。取材だと悦ちゃん照れるから、そろそろ3人で場所を変えますかね(笑)」

豊川悦司(Etsushi Toyokawa)
1962年3月18日生まれ、大阪府出身。俳優。92年から放映されたドラマ『NIGHT HEAD』で注目を浴び、以来立て続けにドラマに出演。同年の映画『きらきらひかる』で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。95年に主演したドラマ『愛していると言ってくれ』、97年『青い鳥』がに大ヒットし、名実ともに日本を代表する俳優へ。テレビドラマの演出や脚本も手がけ、活躍の幅を広げる。

木梨憲武(Noritake Kinashi)
1962年3月9日生まれ、東京都出身。80年『お笑いスター誕生!!』に石橋貴明とのコンビで出場。82年に同番組にて10週勝ち抜きグランプリを獲得。以降、『オールナイトフジ』『夕やけニャンニャン』に出演し、若者のカリスマ的存在に。2014 〜16年、創作活動20周年を記念した個展『木梨憲武展×20years INSPIRATION-瞬間の好奇心』を全国8カ所で開催し、40万人以上を動員した。

藤井フミヤ(Fumiya Fujii)
1962年7月11日生まれ、福岡県出身。83年にチェッカーズとしてデビュー、数多くのヒットを飛ばす。93年以降はソロアーティストとして活動。「TRUE LOVE」や「Another Orion」などミリオンヒットを世に送り出す。歌手活動のほか個展を開催したり、愛・地球博の名古屋パビリオン「大地の塔」をプロデュースしたりと、幅広く活躍。今年はF-BLOOD結成20周年を記念し、全国ライブツアーを決行。

 

Photos : Sasu Tei Text : Takako Tsuriya Produce : Maki Konikson Edit : Hisako Yamazaki

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