伊藤万理華インタビュー「お芝居をすることと何かを作ること。どちらか一つじゃダメ」
乃木坂46を卒業して以降は役者の活動と並行して、ファッション、音楽、映像、ラジオなどに関する作品を発表し続け、クリエイターとしての存在感を増しているカルチャーアイコン・伊藤万理華。その”東京”でのライフスタイルに迫る。(『Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)』2022年10月号掲載)
主演映画を劇場で見たことがきっかけ
──2021年8月に公開された主演映画「サマーフィルムにのって」を見に行ったことがきっかけとなり、下高井戸シネマが思い出の場所になったそうですね。
「『サマーフィルムにのって』で私が演じたハダシという役は、行きつけの小さな映画館に一人で行っては大好きな時代劇を見るというルーティーンをしている高校3年生。ふらっと一人で下高井戸シネマに行き、映画を見てるそのときの自分とハダシがすごくリンクしました。そう思えたのは、下高井戸シネマの空気感もその理由の一つです。チケットは手売り、劇場が開くまで待っているワクワクした表情の人たち。あと、上映作品のラインナップもすごく素敵です。映画を見に行くのが以前から好きで、東京で思い入れのある場所といえば、絶対に映画館は入れたかったです。下高井戸シネマで『サマーフィルムにのって』を見れたことは私にとって本当に大切な思い出です」
──そもそも映像作品がお好きだということですが、初めての映像作品は乃木坂時代のショートフィルム『ナイフ』。
「撮影現場で響いていた機材の音や匂いを未だに覚えています。実際に自分が映像作品に出演してみて、『映像表現の可能性は無限だ』と感じました。1本の映像作品がこんなにもたくさんの人の価値観を変えることがある。そう感じて、芝居経験のない私は15歳ながら、『ずっと映像のお仕事をやっていくんだろうな』と思ったことをはっきりと覚えています。その感覚をずっと持ちながら、『サマーフィルムにのって』で映画作りに没頭するハダシを演じることができて、『辞めないでよかったな』と、10代の自分が救われた気がする。と、下高井戸シネマで実際に作品を見ながら感じました」
さまざまなリンクを感じた作品
──「サマーフィルムにのって」はコロナ禍で撮影が中断されたり、公開が延期になったこともありました。
「そうですね。いろいろなことのあった作品でした。でも、映画のなかのハダシたちが諦めずに映画を作ろうと頑張っていて、それで私も頑張らなきゃいけないと思いました。さまざまなリンクを感じた作品です」
──映像作品への想いは乃木坂時代と比べて、どう変化していきましたか?
「グループで活動をする中で、ライブやファンの方との交流も楽しかったけれど、6年間アイドルをやってこれた一番の理由は映像作品というものに魅了されたから。他のメンバーが出演している個人PVをチェックして、『この監督いいなあ』『次はこういう映像をやりたいな』と思ったり。そうやっていろいろと想像することが趣味でした。映像を作る人も好きだし、映像の撮影現場が好きですし、できる限りそこにいたいと思う。その気持ちが今につながっている。だから、いま自分がいくつもの映像作品に溶け込めているのがすごくうれしいです」
二つの役に勇気をもらった
──「サマーフィルムにのって」の公開時期に放送されていたのが、テレビドラマ「お耳に合いましたら。」です。ポッドキャストでチェーン店のグルメ愛を語る美園を演じ、ハダシに続き、再び“好き”を原動力に突き進む役を演じていました。
「連続してゼロから何かを作り出す女の子を演じたことで、『もともと私はそういう人間なんだろうな』と思いました。その二つの役に勇気をもらい、それが自分の創作意欲へつながる感覚を強く感じました。映像作品でお芝居をすることと、自分で何かを作ることは私の中で大事な二つ。どちらか一つじゃダメ。今は時代的にも、マルチにいろいろなことに挑戦する方が多いので、自分も挑戦しやすいですし、楽しく活動ができていると思っています」
──10月に公開を控えているのが、異能の劇作家・根本宗子原作脚本、数々のMVやCMのディレクションを手がける山岸聖太が監督を務めた「もっと超越した所へ。」です。
「山岸さんは乃木坂メンバーの個人PVを撮られていて、当時、私もショートフィルムやMVを撮っていただいたことがあり、そこから何年か経ちこうして映画で再会できるなんて、当時の自分に『夢は叶うよ』と言ってあげたいです。根本さんの作品も好きで、2019年の舞台『月刊「根本宗子」』で初めてご一緒できて、そこから何度かお仕事させていただいています。あらためて作品との出合いに感謝をしています」
アトリエでの日々
ストリート感覚のもの作り
──GEEK OUT STOREとの出合いは?
「2020年12月に原宿のkit galleryで行われていたポップアップショップに友人に誘われて出かけたのがきっかけでした。そこでは今日着ているような、ヴィンテージのSTONE ISLANDやC.P. COMPANYの服が販売されていて。そこでオーナーのちょっかんさんにアーカイブが載ってる本を見せていただいたのですが、マッシモ・オスティがデザインした、私の知らないメンズの服がたくさん載っていて衝撃を受けました。軍服ということもあって、ポケットがたくさんあっていろいろな物が入れられたり、生地の色が変わったり、その一藩が秘密基地みたいな印象で、感動してすぐに本を買いました。その出合いに触発されてZINEとステッカーを作り、周りの人に渡すようになった。それを見たちょっかんさんが面白がってくださり、このアトリエに足しげく通うようになりました」
──このアトリエでは、ちょっかんさん所有の資料を見たり、今後のビジョンをざっくばらんに話しているそうですが、最近ではシルクスクリーンをやられているそうですね。
「型を作るところから本気でシルクスクリーンに挑戦したくなって、ここで10時間ひたすらその作業をやってたこともあります(笑)。私もそうですが、ちょっかんさんの周りの人はみなさん売るためではなく、ただ面白いからものを作っている感じ。だからこそ生まれる価値があると思っています」
──もの作りの価値観にはどんな影響がありましたか?
「ものを作ることはずっと好きで、個展を開催したこともありましたが、これまではゼロから作るというより、『このクリエイターさんとコラボしたらどうなるかな?』と発想で、脳みそを使いキュレーションをしていた感じ。でも今はもっとストリート感覚で、インクを混ぜるところからものを作っています。アイドル時代には想像もつかなかった距離感でもの作りをやっている感覚があります」
──人間関係の構築の仕方にも影響があったんですね。
「『作りたいなら今やろうよ』とか『じゃあ明日集まる?』のようなやり取りが繰り広げられていることがすごく新鮮でこういう瞬発力を私は求めていたんだなと思いました。以前はもの作りのことを気軽に相談できる相手がいなかったんです。どうしても相手をクリエイターさん、アーティストさんというふうに見てしまっていたので。でも、今は対等な目線で気軽にやり取りができる仲間ができた。私のことを『この子は単純にものを作りたい子なんだ』と思って受け入れてくれたこともうれしい。自分がゼロから作ったものを見せることによって、自分のことをすごく理解してもらえている気がしました。それで勢いづいてしまい、1号目は40冊だったZINEを、ただいろんな人に配りたいからという理由で200冊も作っちゃいました(笑)」
──最後に東京という街はどんな場所ですか。
「いろいろな人がいて、いろいろな刺激を受けたことで、自信を持って『私はこれが好きです』と言えるようになった街です」
Photos:Houmi Sakata Styling:Halna Aka Hair&Make up:Miki Tanaka Interview&Text:Kaori Komatsu Edit:Saki Shibata