岸井ゆきの、三宅唱インタビュー「小さな違和感を無視しないというかっこよさ」 | Numero TOKYO
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岸井ゆきの、三宅唱インタビュー「小さな違和感を無視しないというかっこよさ」

『きみの鳥はうたえる』の三宅唱監督が元プロボクサー、小笠原恵子の生き方から着想を得て新たな物語を生み出した。映画『ケイコ 目を澄ませて』で耳が聞こえないプロボクサー、ケイコを演じるのは岸井ゆきの。16mmフィルムで一人の女性の生きる姿を丁寧に描いた本作で、二人は何を思い、何を伝えたいと思ったのか。

ちょっとしたモヤモヤにも向き合う姿勢

──今回、聴覚障害のあるプロボクサー・小笠原恵子さんの自伝『負けないで!』(創出版)を原案としてはいるものの、小笠原さんの自伝から引用した物語ではなく、ケイコという異なる主人公の新しい物語としています。小笠原さんという実際の人物の人生を消費してしまう可能性を回避する目的からそう設定されたんでしょうか?

三宅唱(以下、三宅)「実在の人物をモデルにした映画で成功する作品もあれば、しないものもあると思いますが、今おっしゃってくださったような、小笠原恵子さん自身の今も続く人生に対して敬意を払うためでもありますし、また、岸井ゆきのさんという俳優に対して敬意を払うためにも、まったく新しい物語であるとしたほうが力強い表現ができるだろうと信じて、そういう設定にすることを選択しました」

岸井ゆきの(以下、岸井)「私も、小笠原恵子さんの真似をするわけではないですし、彼女の意思であったり、生き方を元に私が演じる新しいケイコっていうものが表現できたらいいなと思っていました」

三宅「『負けないで!』という本を徹底的に読み込むというところが準備のひとつだったんですが、幸運だったのは、僕がそこから受け取った、シンプルに言うと小笠原さんのかっこよさ、憧れてしまうような、感銘を受けるようなかっこよさと何か似たものを、岸井さん本人が持っているなとボクシングの練習を通じて感じたんですね。そういう部分から、ケイコという新しい人物ができていったんじゃないかと思います」

──お二人のどういうところにかっこよさを感じましたか。

三宅「生きていると、小さな違和感を感じる瞬間ってあると思うんですが、いちいちそういうものに引っかかっているのはよくない、我慢したり忘れたほうがいいといった考えも浮かんだりして、誤魔化すこともできてしまう。プロボクサーになって第2戦に勝利した小笠原さんも、全身で喜ぶべきところで、たぶん、ボクシングに対して何か違和感が芽生えたんじゃないかなと。それを隠したっていいし、取り繕ってもいいのに、小笠原さんはその違和感をすごく真剣に扱い、モヤモヤをなかったことにしないんです。岸井さんも、ちょっとした小さな石のつまずきを無視せず、率直に伝えてくれる。それは勇気がいることだと思うんです。場合によっては、僕がそれをないがしろにしてしまう可能性も大いにある中でそれができるって、すごくかっこいいなと」

岸井「ちっちゃい石につまずくんですよ、私」

三宅「あ、つまずきたくてそうしているわけではないとは思ってます」

岸井「いや、そういうふうに言ってくださってありがたいです。お芝居を続けていると、こういう流れなので、こういうていで、みたいなことを飲み込まねばいけないような場面が多くなってくると思うんです。でも、そここそ丁寧に扱わなければならないところだと思うし、私はそこを見逃せなくて。地盤がしっかりあるからこそ、その上で自由になれるはずだけれど、そこがグラグラしていると、役の言動ひとつひとつに疑問が生まれてしまって、もうジェンガになっていってしまう。だから、そこはきちんと確認しておきたいんですよね」

ケイコという一人の女性の物語を撮りたかった

三宅「今回、一緒に仕事をして思ったのは、岸井さんは、ご飯がおいしいとか、何かきれいなものを見つけたとか、パンチがうまくいったとか、小さな喜びも同じぐらい見つけて、言葉にしてシェアしてくれてるんですよ。小さな違和感にも注意深く歩きつつ、下だけ向くんじゃなくて、一緒に散歩している風景も楽しめるというか」

岸井「私は生活がすごく好きなんです。これ、なんかおいしいぞとか、あ、見たことない花がある、誰か植えたなとか。そういう発見でしか満たされないものがあるんですよ。この映画を『音の映画だ』と言ってくださる方も多いですが、 もともと環境音もすごく好きで。生活が好きで目を向けているからこそ、小さな石にも気づいちゃうんですよね」

三宅「知人の写真家が、“history”という大文字の歴史、大きな物語がある一方で、私はそれぞれの“her story”を撮りたい、と言っているのを聞いて、そういう考え方があるんだと思ったの同時に、今回自分たちが作った映画も、ケイコという個人を撮ろうと考えていたことを思い出しました。岸井さんの言葉を借りると『生活の中にある1日1日の積み重ね』を撮るということが僕らの役割だとは思っていましたね」

──監督が映画の準備として、主演俳優と3カ月一緒にボクシングする必要性というのは、すごく理解できるんですけど、よく聞く話ではないと思うんですが、どうでしょう。

三宅「他の人のことはわかりませんが、今回の準備期間は貴重な経験になりました。もちろん今までの映画でも、長い時間をかけて準備をしたことはありますが、ボクシングは自分が知らないスポーツだったので、自分でも経験しないことにはリングの外からNGだのOKだの好き勝手言うわけにはいかないなと。でも、実際やってみたら楽しくて。岸井さんとやるのも楽しかったし、あ、今日は自分調子いいなとか、今日は全然集中できてないなとか状態がわかってくるのも面白かったし」

岸井「わかります。自分の体の状態がよくわかるんですよね」

三宅「うん。それに、トレーナー役の松浦慎一郎さんがボクシング指導をしてくれていて、彼が本当に最高な方だったので、松浦さんに会いたい!と思って行くんだけれど、行く前に正直ちょっと面倒臭いなと思うこともありました(笑)。しんどいですもん。でも、ちょっとでも誤魔化そうとすると、(岸井さんに視線を送りながら)厳しいんで」

岸井「『え? なんで今日腹筋してないんですかね?』とかツッコミますからね(笑)」

三宅「『今は映画のことじゃなくて、ボクシングのことを考える時間ですよね、練習しないと上手くなりませんよ』っていう圧はありました。僕、映画には出ないんですけどね(笑)。でも、たぶん、そうやって過ごしたことによって、いろいろ話せるようになったんだと思います」

──練習をする前は、どんな感じでコミュニケーションを取っていらしたんですか?

三宅「そもそもそんなにしゃべってなかったですよね」

岸井「言葉でコミュニケーションを取ることはあまりしなかったですね。当たり前ですけど、最初はまだ知らない人ですし、私は体が小さいけど三宅さんは体が大きいし、ちょっと怖いかも?と思っちゃったところは正直あったかもしれません(笑)。だから、最初は言葉を使わずにボクシングの練習を通じてコミュニケーションを取ることから始まって、『今のパンチよかったよね』とか、そこで起きたことを徐々に言葉にするようになって。練習の帰り、三宅さんはプロデューサーの方と1時間とか平気で歩くんですよ」

三宅「散歩好きだからね」

岸井「私も散歩するのが大好きで、いくらでも歩けるので、3人で歩きながら映画オタクみたいな話をしたりして。そうすることで、関係性を築いていけたのはありがたかったですね」

“音”を意識させるためのサウンドデザイン

──今回、聞こえない世界をすごく想像させられるようなサウンドデザインになっていましたが、どういう思いでその音をつくりあげていったのでしょうか?

三宅「映画の取材を通して、さまざまな聴覚障害のある方にお会いしたのですが、初めて、自分は聞こえるということを意識したわけです。恥ずかしながら、普段そんなことは全く意識しないで生きてきたことに気がつきました。僕のスタンスとしては、まずは、目の前にいる人がどれほど聞こえていないかすらわからない、耳の聞こえる聴者として、自分がこの映画の監督している、というところを出発点にすべきだと思っていました。なので、そういうことを意識させるようなサウンドのデザインをしたいなと」

──自分が聴者であることを改めて自覚したときの感覚を蘇らせるような?

三宅「そうですね。映画館という空間は、本当にいろんなことを感じられる場所なので、その特性を利用して、 観に来てくれた人たちが、普段とはちょっと違う聞こえ方、見え方を通じて、少しずつ自然とケイコさんという人と一緒に時間を過ごすことができればいいなと思っていました」

──岸井さん自身は聞こえる状態なわけですが、音が聞こえないケイコの世界にどうやってご自身を寄せていったのでしょうか。

岸井「ケイコはアトム級(~46kg)という階級でボクサーをやっているのですが、私は体重が足りなかったんです。なので、増量しながら、体を大きく見せるための糖出質制限を同時にやっていました。 脳は糖で回ってるので、糖質制限をすると全く頭が回らないんですね。で、見えてる世界も、見たいものしか見えない、聞きたい話しか聞こえなくなってくる。ただ、周りのスタッフの方々の動きや声を感じることはできるんです。でも、自分が意識してない声は聞こえなかったりする。結構ストイックな状態で撮影に挑んでいましたし、私はケイコとしていることだけに、フィルムの音だけを聞くことに集中していました」

三宅「岸井さんが今言ってくれたような状態でいてくれたうえに、今回、東京都聴覚障害者連盟の越智大輔さんや堀康子さん、手話あいらんどの南瑠霞さんが手話監修、指導をしてくださっていたので、僕はすごく安心感がありました。特に、ケイコ担当として、手話する場面以外の振る舞いも監修というかたちで現場に常にいてくれた堀さんの感覚が鋭く、それこそ小さな違和感を見逃さない方だったんですね。僕は残念ながら手話ができないので、『堀さん、今のオッケーだよね?』ってアイコンタクトをすると、優しく頷いてくれたりというやりとりがあって。岸井さんが引っ張っていく中でも、当然、そういう方々の活躍もありましたね」

岸井「本当にそうなんです。クランクインする前から、手話の練習をしながら、堀さんにどんな生活をしてるのかとかいろいろお話を聞いて、本当に助けてもらいながら、あ、こういうふうに感じるんだっていうことを知っていって。それこそ堀さんも、小さな違和感、ちっさな石ころに気づくんですよ!」

三宅「僕は、双方がお互いにそんな小さなことに気づくんだ!と驚き合ってるのが面白かったです。僕は僕でその二人を見て驚いてるみたいな。それがちょっと楽しいというか、不思議と似たような生き方をしてる人がもしかしたら集まったのかもしれないです」

壁にぶつかったら映画館で映画を観る

──ケイコのように逃げたい気持ちもあるけれど、諦めたくない、という壁にぶつかることは人生で何度もあると思うんですが、そういうとき、お二人はどうやって解決してきました?

岸井「映画館に行きます」

三宅「おー。映画館に行く以前にもっと関門ない? ベッドから出るとか、部屋のドアを開けるとか」

岸井「いや、もうとにかく行く」

三宅「なるほど。素晴らしい」

岸井「映画館にいる私、絶対バレないという自信があります。もう髪とかボサボサなんで(笑)。それで、スクリーンを前に生き返っていく。もうそこにあるのは、私の人生じゃないですからね」

三宅「今年の年明けに、『どうしてもこの映画を見てほしい! できれば早々にお願いします』と連絡をいただいて。金曜の夜中で、すごく遅い時間だけどな……と思いながら、一人で観に行ったんです。そうしたら、爆泣きしちゃってね。教えてもらえたことで、何かを突破できるきっかけになりましたね」

──何の映画だったんですか?

岸井&三宅「『スパイダーマン(ノー・ウェイ・ホーム)』です!」

──それはちょっと意外ですね(笑)。

三宅「僕、バカみたい泣いてしまって。夜中の回に観ちゃったからすぐに感想を送ることもできず、翌日に連絡させてもらいました」

──この作品はケイコの表情も素晴らしかったですし、彼女を取り巻く風景を前にして、いつも見ているはずの東京ってこんなにきれいだったんだと気づかされるような場面がたくさんありました。しかも、16ミリフィルムで撮影されているので、データにはない粒子感がまたその美しさを引き立てていて。

三宅「最高ですよね。いやまあ、僕も驚きましたね。やっぱりこれが映画だなーっていうことを、ただただ僕は堪能させてもらいました」

岸井「本当にそうですよね。だって、あれ、光の加減を焼いてるんですもんね」

三宅「宇宙を撮ってるんだよね。太陽があって、光があって、それがあなたに当たってやっとフィルムに焼きつけられて、それ以外は影になってるんだよ。すごくない?」

岸井「すごい。それが規則正しく24コマも焼きつけられるなんて」

──余白とも言えるんですけど、見えない部分、足りていない部分が、全体を強く浮かび上がらせる感じがありました。

三宅「そうですね。世界丸ごと捉えられるなっていう気がして。まあ、どうせ全部は映らないんですけどね。キャメラにはフレームがあるので。あらゆる絵画とかもすべてそうだと思いますが、限定されたものからどれだけ広く想像させてもらえるかというときに、フィルムのその粒子感やタッチが五感をくすぐって、マッサージしてくれたり、目を洗ってくれたりする。そうすることによって、以前とはちょっと違う感覚になって、わ、何か見えてなかったものが見えた!となる、そんな感じがしますよね」

『ケイコ 目を澄ませて』

嘘がつけず愛想笑いが苦手なケイコは、生まれつきの聴覚障害で、両耳とも聞こえない。再開発が進む下町の小さなボクシングジムで鍛錬を重ね、プロボクサーとしてリングに立ち続ける。言葉にできない思いが心の中に溜まっていく中、ジムの会長宛に「一度、お休みしたいです」と書き留めた手紙を綴るも、出すことができない。そんなある日、ケイコはジムが閉鎖されることを知って──。

監督・脚本/三宅唱
出演/岸井ゆきの、三浦友和、三浦誠己、松浦慎一郎、佐藤緋美、中島ひろ子、仙道敦子
12月16日(金)より、テアトル新宿ほか全国公開
https://happinet-phantom.com/keiko-movie/

©2022 映画「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/COMME DES CINÉMAS

Photos:Ayako Masunaga Interview & Text:Tomoko Ogawa Edit:Sayaka Ito

Profile

岸井ゆきのYukino Kishii 1992年生まれ、神奈川県出身。2009年、女優デビュー。その後、映画、舞台、テレビドラマなど幅広く活躍。2016年、NHK大河ドラマ『真田丸』で主人公・真田信繁の側室・たかを演じ、2017年、『おじいちゃん、死んじゃったって。』(森ガキ侑大監督)で映画初主演を務め、第39回ヨコハマ映画祭最優秀新人賞を受賞するなど注目を集める。2019年『愛がなんだ』(今泉力哉監督)では、第11回TAMA映画祭最優秀新進女優賞ならびに第43回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。その他の近年の主な映画出演作に、『空に住む』(2020/青山真治監督)、『ホムンクルス』(2021/清水祟監督)、『バイプレイヤーズ~もしも100人の名脇役が映画を作ったら~』(2021/松井大悟監督)、『やがて海へと届く』(2022/中川龍太郎監督)、『大河への道』(2022/中西健二監督)、『犬も食わねどチャーリーは笑う』(2022/市井昌秀監督)などがある。
三宅 唱Sho Miyake 1984年生まれ、北海道出身。一橋大学社会学部卒業、映画美学校・フィクションコース初等科修了。主な監督作品に、『THE COCKPIT』(2014)、『きみの鳥はうたえる』(2018) 、『ワイルドツアー』(2019)などがある。『Playback』(2012)では、ロカルノ国際映画祭のコンペティション部門に正式出品され、第22回日本映画プロフェッショナル大賞新人監督賞を受賞。『呪怨:呪いの家(全6 話)』(2020)がNetflix のJホラー第1 弾として世界190カ国以上で同時配信され、話題となった。その他、星野源のMV「折り合い」なども手がけている。

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