ボー・バーナム監督インタビュー「これは他の誰かじゃなく自分のことだと思ってもらえたらうれしい」 | Numero TOKYO
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ボー・バーナム監督インタビュー「これは他の誰かじゃなく自分のことだと思ってもらえたらうれしい」

SNSとともに生きる“ジェネレーションZ”の成長、恋愛、青春をリアルに描き、アメリカで社会現象を巻き起こした映画『エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ』が公開中だ。『レディ・バード』の制作陣と『ムーンライト』『ルーム』のスタジオ「A24」が手がけた、この話題作のメガホンをとったのは、ユーチューバーとしてキャリアをスタートさせたボー・バーナム。初監督作である今回の映画のこと、思春期の通過儀礼やインターネットについて、自身の思いを率直に語ってくれた。

二度と戻りたくはない“中2”時代を振り返る

──アメリカでは8年生(エイス・グレード)は高校進学を控えた、中学最後の13歳の年齢ですが、日本では、“中2病”というネットスラングがあって、ほぼアメリカの8年生にあたる思春期を指す言葉なんです。 「それって本当? 知らなかったです!」 ──いくつになっても中学2年生のような思春期を引きずってしまうことは、世界規模で普遍的なテーマなんだなと思いました。 「『成人期は褪せていくけれど、思春期は永遠に続く』というフレーズを聞いたことがあるんですが、あの年代の自分は一生ついて回ると僕は思っています。残りの人生きっとこうやっていくんだろうなという自分の型を得るというか、そうやって振る舞うことができるようになる特定の時期なので。大人になると、その頃に決めた自分として振る舞うことが少しうまくできている気がするけど、あの時代を振り返る度に、僕は今の自分が完全に透けて見えるんです。自分が何者になろうとしているのかが。何者かのフリはうまくなったかもしれないけど、それは僕じゃないと気づかされる」 ──振り返りはしても、戻りたくはない時期ですよね。 「戻りたくないですね、絶対に(笑)。そもそも、アメリカの映画って、高校生モノの特に14から18歳という特定の時期を描いているものは大量にあるんです。それはみんながその時期に戻りたがっているからなんだけど、17歳に戻りたいとは思っても、13歳に戻りたいとは思わない。それが、この映画をつくった理由のひとつでもあって」


──それだけ8年生が、最低な日々だからですか?

「そうですね。身体的にも精神的にも落ち着かない時期だし、僕が覚えている感覚は、常に不快で体が痛くて汗をかいていて、脇毛が生えないってことを気にし過ぎてたっていうこと(笑)。男子はみんなそうだったと思うけど。一生に一度しかない時期だし、その頃クールに見えていた部類の子たちだって、同じように悲惨だったんじゃないかな」

──確かに、自分だけが悲惨と思っていたけれど、振り返れば大差ないという(笑)。

「この映画の役者たちは、実際に13歳なんです。13歳であるということは、居心地が悪くて退屈なことじゃないですか。それに慣れてくると、文句を言えるようになる。『学校マジ退屈』とか、『僕の人生は終わってる』とか『仕事がガチでつまらない』とかね。だから、8年生の時期に、退屈さをリアルに実感することがすごく大事だと僕は思っているんです。残念ながら、その状況は変わることなく一生続くから(笑)」

──退屈な時代を、今後絶望しないように噛み締めておけと。

「そういうことです(笑)。それに、あの年代の学校という場所は、後の社会生活で出合うことがないくらいおかしい環境だと思うんです。仕事場ともオフィスとも違う。最も傷つきやすい年代に、最も極端な社会環境に置かれるって、おかしい話じゃないですか。でも、自分が渦中にいるときは、当たり前だと思ってしまうものなので」

オープンでありパーソナルなSNS

──ネット上では簡単に演出ができるからこそ、デジタルネイティブ世代の子どもたちは、「本当の自分って何?」ということをいち早く真剣に考えなきゃならないのかなと本作を観て思いました。

「今回、僕はただ人がどうやってインターネットの中に存在しているか、という映画をつくりたかったんです。インターネットはすごく新しいメディアだからこそ、僕はどうやって取り組むべきものなのか、その答えを若い人たちに見いだしてるところがあって。子どもたちのほうが、大人よりもうまく使ってるように見えるというか。たとえば、ネットで大人の行動を見るにつけ、『中学生じゃないんだから』と恥ずかしくなることは実際よくあるし(笑)。僕には、インターネット上にいる誰もが13歳みたいに行動しているように見えるんですよね」

──確かに、SNS自体が定着したのがちょうど13年前くらいですし、自意識過剰な行動をネットではしがちですもんね。

「そうなんですよね。たとえば、若い人にまつわる映画を観ていると、大人が世界の見方を押し付けたり、教訓めいたものもありますが、僕は何も押し付けたくなくて。僕だって、世界で何が起こってるかわからないから。脚本を書き始めたとき、YouTubeで子どものつくったVlogを見漁っていたんです。そうしたら、『正直でありたい』とか、『ありのままでありたい』と話している子たちがいたんです。だから、子どもたちがこの映画を観て、これは他の誰かじゃなく自分のことだと思ってもらえたらうれしいですね」

──誰かになりたい自分と本来の自分の間で正直になりたいと悩むことを公にしていいんだ、というネットというツールの強みについても描いていますね。

「僕も衝動的な不安に苦しんだけれど、その対処法の決まり文句って、それについて触れないこととか、声に出して言わないことなんですが、僕は正反対の意見だったので。インターネットは危険で晒したくない恥部が晒されることもあるけれど、物事をオープンに表現する伝達手段でもある。ケイラのYouTubeの映像が100万人に見られるようになるかを気にする人もいるけど、そこは重要じゃない。大事なのは、ネットが彼女に声を与えていること。彼女の年齢だけじゃなく、どの世代の人たちにとっても自分について話すことができるツールなので。一人で頭の中で思考していると、こんがらがって閉じこもってしまうから、外に向けて話すことに意味があるんですよね。ケイラの映像なんて、ほとんど祈りみたいなものじゃないですか。自分の中のごく私的なことを表現してる」

──ちょっと、教会の懺悔室みたいですよね。

「まさにそうで、公の場でみんなに公開しているにも関わらず、神様やカウンセラーへの告白のような話をしている。商業的なのに、ものすごくパーソナル。子どもたちのVlogを観たときに、そこがすごくおもしろいと思ったんです」

──だから、本作もオープンでありながらものすごくパーソナルなものになっているんですね。

「僕は、映画の中に矛盾があってもいいと思っているので。『結局、インターネットは彼女にとって善なの? 悪なの?』と聞かれますけど、『どちらでもある』としか答えられない。僕がYouTubeで配信を始めたのは2006年だけれど、その頃のインターネットと今は全く違うものになっています。僕自身、ネットに関してはすごく矛盾した気持ちを抱えていて、イライラして逃れたいと思うこともあれば、最高だと思うこともあったので。実際インターネットがなかったら僕は今ここにいないし、僕に人生を与えてくれたものでもある。長らく困惑して、悪戦苦闘していたんですよね、13歳みたいに。だから、そういうインターネットに対して感じていることを正直に表現したかった。今世界は、特にアメリカはものすごく混乱している時期でもあって、僕自身何が起こってるのかわからないし、だから、困惑しておびえている誰かを通じてしか、世界について語る方法はないと感じたんです」

──だから、主人公が13歳の少女なんですね。コメディアン、ミュージシャン、俳優でもあり、脚本・監督でもあるご自身は、映画をどういう表現メディアとして捉えていますか?

「映画のほうが好きですね。僕が出なくていいから。もう自分の顔が出てくることにうんざりしちゃって」

──スタンドアップコメディを辞めたのもそれが理由ですか?

「自分の顔が出ていることで、自分がつくったものを純粋に楽しめなくなってしまったんですよね。ただただ自分という題材に辟易していて。別の監督のもとで演技をすることは大好きですけど、自分の監督作に出るのは無理ですね。だから、映画というメディアの最も素晴らしいところは、自分が出なくてもいいところ(笑)。映画の美しさは、自分ではない誰かとつながれたり、完全な他人の中に自分を見いだせたりするところだと思うんです。個人的なつながりを感じられる映画って、自分とは完全に別人の物語だったりする。背が高くてこれみよがしな嫌な白人が出てきたら、『そんな映画観たくない!』ってなるんで(笑)」

──それはちょっとわかります。夜、ケイラが自分の部屋でiPhoneの画面をスクロールしていて、ブルーライトが顔に当たってニキビが際立つシーンが、すごくリアルで映画的で印象的だったのですが。

「夜にiPhoneを見ている表情って、ほかにはない異様さがあるんですよね。たとえば、ガールフレンドが夜中にiPhoneを見つめているときって、表情は虚ろなのに目は微かに素早く振動していて、すごく変わった感じに見えるんです。なので、映画の中でもケイラは本物のiPhoneの画面を見ていて、フリはしていません。この映画ではインターネットもひとつの登場人物というか、シーンのパートナーのようなものなので、ちゃんと存在してもらわなきゃいけなかったから。ニキビに関しては、その時代って肌が荒れていて当たり前だし、それ込みで美しいと僕は思うんです。世間は映画に求められる多様性について語るし、それ自体すごくいいことだけど、実際には美しさの多様性は映画界に存在していないですよね。いろんな肌の色の、見たことないような豪華絢爛な人々の群れでしかない。完全に左右対称ではない美しさも、取り入れるべきだと僕は思います」

──若者向けのドラマや映画は、設定よりも年齢が上のできあがった役者が演じることが主流ですもんね。

「若者向けの映画の傾向でちょっと問題視しているのは、リアルで共感できそうに見せておきながら、出演者全員が完全に容姿端麗なところ。ダサ男役だって、メガネを外せばかっこいいじゃないですか。子どもたちは実際に自分自身をスクリーンに投影するので、実際にカメラの前に出る準備はできてなくても、その主人公と同じ価値があると感じてしまうわけで、その映画における美しさの基準の高い壁に現実でぶつかったときに、すごくダメージが大きいですよね。映画に出ている全ての人が美しいってことは問題だし、すごく変だと思う。あまりそれを熱弁するとこの映画に出てるこたちが美しくない言ってるみたいだけど、全くそういう意味じゃなくて、リアルな美しさを感じてほしかったから」

──ブルーライトを浴びるケイラがリアルだからこそ、彼女が見つめる先の、オンライン上のケイラは美フィルターがかかっている感じを受けました。

「彼女がオンラインで見せようとしている姿って、映画に出てくる人たちみたいなんですよね。人々がネット上でたどり着こうとする美の基準を、映画が定めてしまっているから。自分がどう見えなきゃいけないとかを気にしながら生きるって、すごく大変だし、すごく惨めなことだと僕は感じるんですよね。エルシー・フィッシャー本人が言ってたんですが、彼女は自分がオーディションでキャスティングされるとは思っていなんです。完璧なビジュアルの13歳じゃないと思っているから」

子どもたちのリアルと、インターネットの物語

──ここ日本でも同じ現象が起こっていると思います。

「ここ10年で、もっと窮屈になっている気がします。既にすごく美しい人たちがフィルターを使ってさらに美しい自分をネットにアップしていくとしたら、どれだけ美人であっても手に負えなくなると思います。僕の知っている数人の美しい人たちも、ネット上では、なんだか悲しそうに見えてしまうし」

──劇中音楽もザッピングしているみたいにあちこちに飛んでいくケイラの感情とシンクロしていて、ある意味大げさで安っぽいというか、SNS的で面白いと思いました。

「全ては作曲家アンナ・メレディスのおかげなんですが、彼女はデジタルっぽい、iPhoneから出てくるようなサウンドを生み出す天才なんです。子どもがパソコンでつくったみたいな、ある種チープでローファイな音を劇中に使いたかったので。13歳の毎日は、不安定でドラマティックだから。すごくハッピーだと思った瞬間、めちゃくちゃイライラしてたり、すごく退屈してたり。彼女自身とっちらかってるし、映画自体もとっちらかってます(笑)。ティーンものなら愛らしい音楽がついてくるのが主流かもしれないけれど、彼女の人生は、彼女にとってかわいくも愛らしくないんですよね。僕ら大人は、『そんな些細なことで悩んで、なんてかわいいんだ!』と思うけど、彼女にとっては壮大な問題なわけだから」


──確かに、それが8年生のリアルですね。バーナムさんは、フィルムメーカーについて大事なことってなんだと考えていますか?

「僕はまだ一作しか作っていないので、偉そうなことは何も言えないですが、僕らの仕事は、生を適応させることだと考えています。僕は、人生のできごとから一番影響を受けていると思いたいし、そこから引き出したものを描きたい。もちろん、たくさんの素晴らしい映画に影響は受けているけれど、一方で『映画業界の人を参考資料にした、映画の世界の映画』と感じさせられる映画も多いので。フィルムメーカーとして、実際の世界に生きて、人に会うことは重要だと思っています。そこに一番興味があるし、ハリウッド映画の一部であることや大物と会話することには興味がない。この映画が何にインスパイアされているかって、実際にオンラインで自分たちについて投稿している子どもたちなので。僕は、それを映画にしただけなんです」

──最後に、次回作の構想について、聞かせていただければと。

「まさに今ナイトメアの最中という感じなんですが、次もインターネットにまつわる映画を考えています。僕的には今作もものすごくインターネットの物語だと思っているんですが、意外とそうは受け取られなかったりしたし、これはある種、すべてについての物語でもあったりするので。次の作品は、確実にインターネットをテーマにした話になると思います」

『エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ』

監督・脚本/ボー・バーナム
出演/エルシー・フィッシャー、ジョシュ・ハミルトン、エミリー・ロビンソン、ジェイク・ライアン ほか
製作/A24/2018年/アメリカ/英語/93分
原題/EIGHTH GRADE
配給/トランスフォーマー
© 2018 A24 DISTRIBUTION, LLC
ヒューマントラストシネマ有楽町ほか公開中
www.transformer.co.jp/m/eighthgrade

Photo:Houmi Text:Tomoko Ogawa Edit:Chiho Inoue

Profile

ボー・バーナムBo Burnham 1990年、マサチューセッツ州ハミルトン生まれ。2006年にユーチューバーとしてキャリアをスタートさせ、現在はコメディアン、ミュージシャン、俳優、監督として活躍中。彼のビデオは2008年までに3億回近く再生され、レコード会社と契約。2009年にデビューEPアルバムをリリースし、翌2010年にはセカンド・アルバムを発売。初のライブコメディーショー「Words Words Words」がエディンバラ・フェスティバル・フリンジにて、エディンバラコメディー賞を受賞。2つ目のコメディーショー「what.」をNetflixとYouTubeで、3作目「Make Happy」をNetflixプロデュースで配信。俳優としての出演作に『ラフ・ナイト 史上最悪!? の独身さよならパーティー<未> 』『ビッグ・シック ぼくたちの大いなる目覚め<未>』など。MTVのテレビシリーズ「Zach Stone Is Gonna Be Famous(原題)」では主演・製作・脚本をつとめている。

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