ヴェロニカ・ゲンシツカの不思議の世界へ
写真に表されたものはリアルか、否か? 巷にフェイクニュースもあふれかえる昨今にあって、そもそも真実とは何なのか? 新進気鋭のアーティストとして注目を集めるポーランドのヴェロニカ・ゲンシツカ(Weronika Gęsicka)の作品は、そんな疑問を私たちに投げかけているようだ。(「ヌメロ・トウキョウ」2019年4月号掲載)
『Traces』では“家族”や“カップル”といったキーワードで検索してヒットしたアメリカの50〜60年代の画像を50枚ほどを使いました。その当時独特の雰囲気、パーフェクトすぎるともいえる幸福感は今あらためて見るとどこか奇妙にも映ります。というのも、写真の中の人物は本物の家族なのか、それとも俳優やモデルが演じたものなのかは、今となってはわからないから」
——家族やカップルにとって幸せとは何か?といった価値基準も、当時と現代とでは変わっていますね。
「当時のヴィジュアルには圧倒的な男女格差、女性蔑視的な表現も多く見受けられます。『Traces』では、私が画像に手を加えることによって、女性たちをよりパワフルに描き直しています」
——なぜアメリカのアーカイヴを使ったのでしょうか?
「(ポーランドが共産主義から民主主義へ移り変わった)90年代に思春期を過ごした私にとって、アメリカという存在はずっと輝いていた。『雨に唄えば』(1952年公開)など、50年代のミュージカル映画が好きで、アメリカ文化に憧れ続けていたんです。このシリーズを制作する1年ほど前に約1カ月間、アメリカのさまざまな場所を旅する中で、LAの映画製作所も訪れることができました。50年代のミュージカルに使われたカラフルなセットは、ファサードだけは美しいけれど、実際は中身が空っぽだった。リアリティは表面にしかなかったって、ある意味がっかりもしたの。その体験がこの『Traces』を制作するきっかけにもなっています」
——日常の中のリアリティという意味では、いま私たちが日々インスタグラムにあげているような、いわゆる“リア充”的な写真も作為性が強いといっていい。フィルターやリタッチのアプリもますます手軽になって、誰もが幸福度100%みたいな写真をインスタにあげることができる。その意味では「Traces」のもとになった50年代アメリカのポートレート並みの過度な完璧さに通じる部分もあるような気がします。
「『Traces』の中にも人形と顔をスワップした作品があるけれど、いま取り組んでいる新しいシリーズは、まさにインスタグラム的なポートレートの加工をテーマにしています。みんなインスタにあげるのはその日に撮ったベストな自分。そしてさまざまなアプリでリアリティは加工されているから、インターネットに流されるイメージは全てフィクション、ともいえるかもしれないですよね」
——最近では、「Collection」のシリーズなど彫刻的な作品にも取り組まれていますね。くしやゴム手袋、ほうきなどの生活雑貨をモチーフとした作品などですが。
「私はいつも日常のリアリティに関心があるから、そういった日々のオブジェを使って作品づくりをしています。3Dの作品は写真と違ってどの方向からも見ることができる。より作品自体に近づくことができるという特徴があると思います」
——KYOTOGRAPHIEではヴィンテージの家具を使ったインスタレーションを計画しているとか。写真作品とのマッチングも楽しみです。
「50年代のアメリカ製の家具を使いながら、当時の家を彷彿させる設定です。私はもともと人の記憶について興味があります。記憶とは過去と現在が混在しているもので、私自身、新しいニュースもさることながら、古い事象にも出合いたいと思っています。今回の展示では京都という歴史ある街の古い酒蔵を会場にしながら、現代の写真作品を見せるということで、そのミックス感が見どころの一つになるかとも考えています。私の作品自体、古さと新しさが交じり合い、またファニーさの中に批判性も共存した多様性のあるものだから」
Interview & Text : Akiko Ichikawa Edit: Michie Mito