痛みをさらけ出すアーティスト、トレイシー・エミンが語るアートという自己表現
イギリス人アーティスト、トレイシー・エミン(Tracey Emin)の個展が、2019年4月7日(日)までロンドンのホワイト・キューブギャラリーで開催中。自身のトラウマとも言える壮絶な体験を作品で表現してきた彼女に、その創作の根源についてインタビュー。
──「不眠症」の部屋に展示されている写真はとてもパワフルです。あなたがこれを取り上げた理由は?
「おそらく私が深刻な不眠症にかかってすでに10年。でも10歳とか12歳とかそれぐらい若い頃から不眠症を患っていたと思います。でも20歳ごろ、まだ私がアートスクールの学生だったとき、当時はそれが最高だった。いつでも起きていられる。なんでもできるような錯覚に陥ったわ。でもここ最近の10年は、とても苦痛で、ただ横になっているだけ。ラジオ3のワールドサービスや、なんでもいいけれど、歴史番組を録画したり、いろんなことをしたけれど結局何にも集中できない。なぜなら、私の精神がまるで霧がかかったように曇っていて、身体が動かなかった。とても疲れているのに眠れない。だから、4年前から写真を撮り始めたの。自分がどういう姿をしているのかを捉えるために。きっとひどい姿になっていると思ったけれど、実際、思っていたよりは悪くなかったわ。でも、もちろんひどい姿もある。まるで氷を薄く一枚一枚削り取るように様々な状況を捉えています。
これはすべてiPhoneで撮っています。プロのフォトグラファーはどんなカメラで撮ったのか聞くけれど、いつも私はただのiPhoneを使っている。その前はポラロイドで何年も何年もセルフィーを撮っていたわ。特に人に見せたことはないけれど。なので、セルフィーで自分を写真におさめるということ自体は別に新しいことではないの。新しいのは不自由で不愉快さをこの写真のフォーマットで表現していること。恐れることなしに。これはそこ(不眠症)にある早すぎる死。不眠症で辛い思いをしている人たち全てが感じるその苦しさを表現しています」
──かなり暗く、辛そうに見えますね。
「そうね、かなり暗い。でも、少しはユーモアのセンスもあるのよ。全てが破滅的で陰鬱なわけではないわ。これは特にショッキングなものを見せたいとか、そういう訳ではないの。私がここで表現したかったのは、制限された感覚、感情を提示すること。写真のなかには、とても感情的なものもある。例えば、一枚の写真は絶対に夜に撮られたもので、それは母が死ぬんだとわかったとき。私の人生にある様々な瞬間、幸せを噛み締めている時、泣いている時、色々ある。そして別の一枚はフランスで朝の11時にパン屋に行こうと思って階段から落ちて泣いている写真。ハチに刺されて唇が腫れている写真。全ての写真にはそれぞれ違う瞬間、ムード、感情が表現されている。これらの写真は、不眠症だけれどその上にさらに様々なことが起きている事象を重ねて表現しています」
──あなた自身のパーソナルな経験を、見る人にさらけ出し共有することを難しいと感じることはないですか?
「私が若かったころ、これは自分自身をレイプする最悪のやり方だと言いました。そしてようやくある日目覚めて、気がついた。私は自分自身のことをおしゃべりしすぎて自分をレイプしているんだと。これに気付かされたのが、BBC3の番組に出演した時。精神科の先生と話をするという内容で、私は自分の感情をさらけ出し、共有することは何も怖くない、と話していた。そしたら先生が番組の本来の意図と変わって、私のキャラクターに関連することに触れるようになった。そして最後に『トレイシー、君はそんなに問題がないじゃないか』って言ったの。そのとき、ちょうどボーイフレンドとその1週間前に別れたときで、2〜3日前には私の父が亡くなった。『お願いだから私とか、この地球上全てで何の問題もないなんて言わないでください』と言って、そのあと大泣きしたの。これがファッキン・ウイルス感染よ。テレビはもちろん、メディア、新聞、すベてに紹介された。これが私が受けたレイプ。私はこの取材を受けるべきではなかった。
他の質問でいつも受けたのは『これでアートを作れるから、わざと自分自身をこんなひどい状況にしているんだろう?』。本当に頭にきて、殴ろうかと思ったくらい。
今は『#MeToo』運動が起きて、多くの女性がどういう気持ちなのか声を上げられる状況になった。でも実際にはこういう質問をする人々は、人生を前面に押し出している私、またはそういう女性を非難したいのだと思う。私は自分のことや自分に起こった経験を話す。それは、14歳や16歳で私と同じような経験をした女の子たちを助けるため。私は長いこと勘違いされ続けたわ。なぜならみんな私をいじめ、それに同調し続けたから。私の問題提起には誰も行動を起こすことはなかった。それがレイプであっても、中絶であっても、いじめ、自殺、自尊心を失うこと、なんでも。不眠症の話を始めた時も、みんな『また彼女次のことを始めた』と思っている人が多いけれど、これは不眠症に苦しむ人たちのためだけではない。レイプを受けた13歳の女子のためだけではない。中絶で死にかけた人たちのためだけでもない。それは全て間違い。これらの女性の問題は、全ての人のクオリティライフに繋がるの。これらのことを話すことによって問題を提起できる。そして討論や会話によってこれらの問題が明るみに、前面に出ることが大切。
私はこの問題提起をアート活動を通して30年以上続けているの。今回同時に紹介している1996年に作られたビデオで中絶に関連した話をしているけれど、私は13歳でレイプされたことをたくさん作品にしている。いつも女性たちにはお願いしているの。このことを話してくれるように。女性たちに話しているのよ、私がレイプされたことを」
──エキシビションのタイトルについて。なぜ「涙の2週間」というタイトルを付けたのですか?
「おそらくこのタイトルは、すでに15年間くらい頭にずっとあったと思う。でも一度も使わなかった。そして母が2年前に亡くなったとき、2週間泣き続けた。私の人生の中で一番長く泣き続けたときだと思うわ。そして泣き続けた後、ちょうど2週間後にぴったりと涙が止まったの。もう泣くことができなくなった。それはとても不思議な感覚。私はいつも泣いて、泣いて、泣いて、泣きまくって、泣くのを止めることができなかった。どれくらい泣けばいいのかと思うくらいに。それでその前はいつ泣いたのかと考えていたら、それはもしかしたら交際関係が終わったときだった。20代の頃、6年間一緒に住んだ人。それで、なぜにこんなに泣いたのかと思うと、それは私にとって子供を産み、未来を築く最後のチャンスだったのかもしれないと気づいたの。そのとき私は未来を失った。そして母が亡くなったとき、泣いたの。それは私は過去を失ったから。その二つの時はとても不思議だった。だから、次のエキジビションのタイトルはこれにしようと決めたの。道理にかなっていると思ったから。みんなどれくらい泣けるのか。きっと永遠ね。でも私にとっては2週間だった」
──あなたの“深い悲しみ”は、これらのペインティングによって救われるものがある?
「若い頃、だいたい20年前。自分のカタルシスに関して少し恥ずかしいと思ったことがあるの。もっと洗練されて、もっと賢くて、もっとコントロールできるようになりたいと思った。今は、20代に戻って、今のように自分をさらけ出したいと思う。心から全て。そして今気がついたけれど、私はパーティガールと言われることが多いのよ。でもほんと? という感じ。私はもう今やそんなに出歩いたり、あまり社交的ではないの。どちらかというと一対一で向き合うタイプ。週末はほとんどいつもスタジオにこもって仕事をしている、週末の夜も。私が一番好きなことは自分を表現すること。これによって心の浄化がされて、自分自身を理解できる。どうやって考えているのかなぜ私はそれをしているのか。以前は、私が若かった頃はもっとクールなやり方がいいと思っていた。今は全て自分に関することだと言える。以前は私のことを”懺悔アーティスト”とか”自分のことばかり”とか言われたけれど、今はそのときよりも1000倍も自分のことを表現している。なぜなら、それ以外に自分の人生にはないから。仕事に私の人生を全て取られたみたい。そして全てを捧げている」
──多くのペンティングはあなたの辛い状況を表現しています。これらを振り返ったとき今でもその痛みを感じますか?
「私は、自分の経験を話して痛みを感じる。例えば、私の母の死とか。それは話すべきではないかもしれない。でも母は私をとても誇りに思ってくれていると思う。私の”深い悲しみ”は浄化されてどこか違うところへ行くの。私は今、母はどう感じているんだろうと想像するの。それは彼女がまるでそばにいてくれるような、私を励ましてくれる最高の方法になっている。実際に母が見えたり、何かが見えるわけではないけれど。彼女は本当に辛い死に方をしたわ。彼女は本当に死にたくなかったの。そして彼女は、神を信じていなかった。死ぬ直前、彼女は私に聞いたわ。『トレイシー、私はどこに行くの?』私は言ったの。『それは言えない。わからないの』。それで医者は彼女はあと2〜4時間で息を引き取るだろう、と言った。そして彼女はそのあと4日間生きたわ。彼女はずっと私の手をとっていた。そして母はこう言ったの『行きたくない。あなたを置いて行きたくない』。自分のことを誰よりも愛してくれる人のそんな姿。彼女は本当に戦っていた。彼女は死に抗うために戦い、苦しんでいたわ。父は逆にとても平穏に逝った。とても不思議。そしていつも物事は私の中で自然消滅していくの。だからたとえ、母に会ったことがない人でも、母を大嫌いな人でも、その母が死ぬ瞬間は、何かを感じることができると思う。なぜなら、自分が生まれて来た場所が消滅するから。それはとても不思議な感覚。そして私はいかに影響が与えられているか気付かなかった。なぜなら、母はいつも私のそばにいたわけではないから。人は誰でも母と父の死、このふたつの大きな問題に向き合わなければいけない。でも、私はだからと言って聖堂のようなところに行くつもりはないけれど。ただ母の死は本当に耐えられなくて、誰か聞いてもらえる人に全て自分の感情を吐き出したわ」
──スピリチュアリズムのような言葉が出ました。神を信じますか?
「心霊主義にハマったことはないわ。でもこれはみんな知っていることだけれど、私は本当に、本当に、本当に霊的なことを信じてる。神を信じるとかではなくて。もっと自分に、自分がいつもやってきたことを信じている。以前、良く言われたのが、『あなたの作品はいつもセックスに関することだね』と。私は『違うわ』と言ったの。『作品は愛についてよ。わからない? 時には神についても描いているわ』。それは絶対にスピリチュアルなこと。そして今、私は年を取って、もっと正直になった。そして先日このことを書いたことがあるわ。『このショー(エキシビション)は私の“恥”から自分を解放するためのもの。そしてこれは若い頃に様々な状況で受けた多くの恥によって受けた苦痛がこのショーによって無くしてくれる。
そう“恥”を殺した。それはスピリチュアリズムと同じ。私は何も恥じることはない。魂を信じていることは恥ずかしいことじゃない。死後の世界を信じることは恥ずかしいことじゃない。これが私の信念。私の家族、母、祖母はウイジャ盤(降霊術のために用いる文字盤)で育ったの。これは私の人生のキャラクターの一部。でも…あ、そうだわ。灰の部屋にあるウイジャ盤は私が1996年に作ったもの。そこにはEとRの文字が抜けてる。これがまた興味深いんだけれど。とにかくそこには魂と神のスピリチュアリズムがあるの。それに私はとても満足している。特に年を取ってきて、自分の人生に対してとても満足しているし、1人の場合は、なにかが必要だと思う。1人じゃないんだって感じる何かが。それはあなたに幸せになるように、そして死ぬことを恐れないことを伝えてる」
──あなたの作品にはエゴン・シーレやデ・クーニング、サイ・トゥオンブリーなどが見えますが、インスピレーションは?
「ウィリアム・デ・クーニング、トゥオンブリー、ジョーン・ミッチェル。私にとってこの3人が好きな画家です。私がまだロイヤルカレッジオブアートに通っていたとき、1987年だと思うわ。教授がテート(モダン)に行くといいよ、と教えてくれた。『そこにサイ・トゥオンブリーという画家のペインティングがあるから、きっと好きだと思う。あなたの作品にとても共通するものがある』って。それで早速テートに行ったわ。それで一つだけだったけれど、作品があったの。それは本当に素晴しかった。その後、教授に会ったとき『見に行った? どうだった?』と聞かれて『彼女の作品はとても美しかった』と言ったわ。教授は『彼女? 本当にサイ・トゥオンブリーを見に行った?』と懐疑的だった。サイという名前が男性なのか女性なのかわからなかったのよ。でもきっと女性だと思ったの。作品はとてもフェミニンだと思ったから。それが初めてのサイ・トゥオンブリーの作品との出会い。
抽象表現主義は、若いときの私にとってただ単にそれは絵画で、そこに主題があるとか、そこに潜むものまでわからなかった。実際に長い間絵を描いている人だけがわかる、その絵を描くというアクション。もしかしたら、私が長い間絵を描いているということを知らないかもしれないけれど。私はロイヤル・カレッジ・オブ・アートの修士を卒業したけれど、絵を描かなかったのはほんの短い期間だけ。中絶したあと。私がなぜ中絶をした後、絵を描かなかったかというと、妊娠中は、あのオイルペイントの匂いに耐えられなくて、絵が描けなかった。そして中絶後は、私の心、身体、私の全てを失くしたと感じて絵を描くことができなかなった。全てを失くしたことに罪悪感を感じて描けなかった。そしてまた絵を描き始めた。でもちょっと隠れて描いていたわ。それでもまだしばらくは罪悪感を感じていたの。
だからこそ、私にはこのショーがとても大切だと思った。長年、中絶に罪悪感を感じていた。でも、自分にとって正しいことをしたと知っていた。他に選択がなかったことも。私は苦しんで罪を償った。もし産んでいて、いい母親になったかもしれないし、そうではないかもしれない。中絶したことで、ここ10年間犠牲になったと感じているわ。でも自身の成功もあって今はもう立ち直った。とても不思議。魂を信じている事実、スピリチュアルを信じている事実ね。
もしすでに聞きたいことを知っていれば占いに行かないと思うの。私はもしすでに描いてあるものがあれば、絵を描かない。描く時は、何か新しい感情、新しい感覚がある。それは若い時はわからなかった。でも今、私はわかるの。何をしているのか。そしてそこにはパワーがあることが。うちに秘めた感情。それは小さな爆発物みたいなもの。いつもペインティングを始める時、私は何が起こるか怖い。何を私に伝えてくるのか。潜在意識にあるものが出てきて伝えてくるの。だから、30年前に始めた時と今のペインティングは全く違う。それが今は理解ができるようになったわ。作家の人たちにとっては3部作みたいなもの。第1章、第2章、そして第3章。私は今最後の章に入ったわ。だから、たとえそれが正しいことではなくても、もう少し正直になろうと思う。これはゲームじゃない。私が20代、30代の若かったころはまた違う、楽しく生きることしか考えていなかった。でもそうなるべきよ。若い頃は生きることを考える。でも今の私は生きることを考えるけれど、死ぬことも理解している。そこに向かっているの。だから時間がないわ。それは誰にとってもそうだと思う。それはもしかしたら20年かもしれないし、30年からもしれない。誰もわからない。でも今は最終章を迎えて活動している。今の私は本当に幸せ。なぜなら、私は正しいことをしてきたと思えるから」
──あなたの作品の中には、ゴーストが見え隠れするものも多くありますね。
「2006年に描いたある作品だと思うけど、それは何度も何度もペイントを重ねたもの。なぜなら、時には、それはただ単に良くなかったり、気に入らなくてペイントを重ねる。なのでゴーストが積み重なってしまうの。でも、時々、ベッドで男といるときの自分自身を描くことがあるわ。それで気がつくのその男がゴーストだと。それを描いているのね。もしかしたらそれは自分の記憶から来ているものかもしれない。もしかしたら誰かが自分の中に入ってきたのかもしれない。だから彼はいなくなる。誰もわからないわ。
時々ほんの小さいところを変えただけで全てをダメにする場合もあるわ。それで全部変えたりするの。全て黒に塗って、やめて、白にして、またなんでこんなことしてるんだろうと思ったり。時々とてもアグレッシブになったりするし。でも、自分の絵を見た時、技術的なものが見える作品は好きではないの。実際に体から発したものからのリアクションだったり反応したものが好き。
マーゲイトにできた私の新しいスタジオは30000スクエアフィートもある大きなスタジオ。ここではボイラースーツを着て、まるで8歳児みたいに好きなようにやりたい放題に絵を描いているわ。まるでマラソンを走ってるみたい。最後にはそれが私のスピリットだとわかるわ。私はフリーダ・カーロみたいに病院でコルセットをつけて座って自分の絵を描いて終わる人生は過ごしたくない。私はもっとフィジカルに活動したいのよ」
──今、あなたを幸せにすることは?
「スタジオで週末絵を描くこと。自分自身のことを楽しんでいる。ただ単に楽しんでいるわけではなくて、そんなシンプルなものではないの、カタストロフィのことに戻るけど。絵を描いているととても気分が良くなるの。これが10年前に知っていたらとよかったのに、といつも思う」
Tracey Emin
A Fortnight of Tears
会期/2019年2月6日(水)〜4月7日(日)
場所/White Cube Bermondsey
住所/144 – 152 Bermondsey Street London SE1 3TQ
URL/whitecube.com/
Text: Chise Taguchi Edit: Yukiko Shinto