古市憲寿×鈴木康広が読み解く「フォンダシオン ルイ・ヴィトン」アートの定義とは? | Numero TOKYO - Part 2
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古市憲寿×鈴木康広が読み解く「フォンダシオン ルイ・ヴィトン」アートの定義とは?

制作段階で『ぐちゃ』としているのは自然?

S「展覧会というのは、ある意味いつでもできるものなんです。でもそれが実現するときって、背景に、見る側には分からない意味があって。それを、じゃあ何で今フランク・ゲーリー展をやっているのかなって、その意味がまず気になりました」

F「それは大きいテーマですね。僕は実は、大学に入ってすぐに建築の授業を取っていたことがあります」

S「なぜですか?」

F「…建築模型を作れたらかっこいいじゃないですか(笑)。というのもありますが、社会学と建築って実は近いところがあると思っているんです。建築って、ある種の社会課題とまではいかないけど、何かしらの問題の上にある。クライアントからの要求や土地の性質など、様々な“あらかじめ与えられた条件”を元に試行錯誤された提案ですよね。僕の場合は連立方程式みたいに、今の社会に存在する問題を把握した上で社会に有用な提案ができればと思っているんです。フランク・ゲーリーの作ったものにもそういう問題定義みたいなものがある気がして、興味があります。ぱっと見た目は『ぐちゃっ』としているじゃないですか。どういう意識で作られたのかを知りたい。僕には分からないのですが、どうですか?」

S「古市さんの独特な表現なのか、みんなが使っているのか分からないですがフランク・ゲーリーが作ったものは『ぐちゃ』としていますか?」

F「デッサンの線や、模型の中の紙を含む全体が『ぐちゃ』としていて、捉えどころがない。いわゆる建築模型って、スチレンボードとかで整頓されているイメージ。かっちりとしたものが多いと思うのですが、フランク・ゲーリーのものはあまりかっちりしていない。何かを作るための明らかに途上。それを途中段階にして建築物を作っているっていうのがすごく面白いなと思ったんです」

S「その通りだと思いますね。フランク・ゲーリーの一番重要なところというか。今回の『フォンダシオン ルイ・ヴィトン』も、そもそも形にならないはずのもの。解説の中に雲や船という表現がありますが、そういった自然現象に例えられるように、建築って空気の中にあるひとつの現象だと僕も思っていて。個々がどのくらいの時間のスケールで捉えるかによるのだけど、建築が地球上のそこにあるということ自体、一瞬ではないけど実は短い時間。そう考えると、建築家はどこかで一回固定をしなければいけないんですよ。だから、ぐちゃっとしているということは、実際そこで起こることを孕んでいるとも考えられる」

F「なるほど。建築家は最終的には何か確かなものを作らなくちゃいけないけど、自然や人によって変わる環境の中でそのどこか一瞬を固定する作業だから、制作段階で『ぐちゃ』としているのはある種、自然ということか」

S「自然を捉えようとした結果なんじゃないでしょうか。例えばある一種の彫刻的な捉え方をしてみてもいいですか。彫刻的というのは、目に見えるものだけを作品とするのではなくて、風景や空気などその視野に現れてしまうもの全体を含んだ考え方。フランク・ゲーリーは、建築の中にそういう考え方を取り入れても許されるという立場を作った人なんだと思います」

F「『ぐちゃ』とした模型を作ってきたら受け入れてもらえないと思う人の方が多いですもんね」

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