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森高千里の本音「歌手というより、ピンクレディーになりたかったんです(笑)」

Numero TOKYO 83号/きっかけは“コレ”でした vol.56 指原莉乃
Numero TOKYO 83号/きっかけは“コレ”でした vol.56 指原莉乃

──そうしたキャリアの中、大きな転機、きっかけになった出来事は?

「初めて作詞を担当した『ミーハー』(88年)は、転機になった曲の一つだと思います。そこでチャレンジしなければ、その後、歌詞を書くこともなかったでしょうし。歌手・森高千里も今とは違ったものになったと思います。アルバムでは『ペパーランド』(92年)もそう。できうる限り一人ですべての楽器を演奏して歌ったんですけど、それが自信にもつながりました」

──作詞、作曲、楽器演奏。いわゆるアイドルというカテゴリーを超えた先駆者ではないかと思います。

「自分で『こうなりたい』という思いはなかったんですよ。ただ気持ちを伝えたいと。例えば『非実力派宣言』(89年)の歌詞も、自分は実力がないのに実力のある人たちと比べられたりしたので、“私は、実力うんぬんには興味がないです”と伝えたかっただけで。そんな私の思いを聴いてくれる、いい意味で私で遊んでくれる大人が周りにいたことに感謝したいですね」

──「私がオバさんになっても」(92年)の歌詞も非常に画期的なものでした。

「当時、スタッフの間で『女盛りは19歳』という話題がのぼって。そのとき、私は21歳でしたが“そんなはずはない!”ていう(笑)。男の人って若い女の子が好きじゃないですか? でも、二人で年を重ねて、オバさんになってもどこかに連れてってね、という未来の願望も込めて」

──当時は、音楽よりミニスカートばかりフィーチャーされることに戸惑いや抵抗があったとか?

「ミニは自分が好きで普段からはいていただけなのに、思った以上にそこばかり注目されて。曲によっては違う衣装の場合もあるのに『今日はミニじゃないんですか?』とガッカリされると『音楽を聴いてほしい』という思いも。でも同時に、それを払しょくするくらい頑張らなきゃいけないなと思っていました」

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