『サブスタンス』と対をなすルッキズムを主題としたA24発の傑作!『顔を捨てた男』 | Numero TOKYO
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『サブスタンス』と対をなすルッキズムを主題としたA24発の傑作!『顔を捨てた男』

ルッキズムとアイデンティティ。このテーマを扱った衝撃の傑作としては、デミ・ムーア主演の『サブスタンス』(2024年/監督:コラリー・ファルジャ)が公開されたばかり。あちらが外の社会の既存的な在り方に攻撃を仕掛けていくパワータイプなのに対し、こちらは真逆。同様の主題系の周りに渦巻いている多様な問題を丁寧に見据え、個人の複雑な内面を掘っていく。それが2023年のアメリカ映画『顔を捨てた男』だ。

当代きっての演技派、セバスチャン・スタン主演。“顔”をめぐり私たちの心を深くえぐる哲学的な寓話

自己肯定感と他者評価、あるいは当事者性と演技、もしくは倫理と暴力など……。しかもこういった問題が単純な二元論ではなく、皮肉な反転や意外な衝突を繰り返す。答えの出ない問いを手放さず、哲学的な重みを備える寓話的なドラマに仕立てた。監督・脚本はこれが長編3作目となるアーロン・シンバーグ。製作はA24。主演は当代きっての演技派として注目を集めるセバスチャン・スタン(1982年生まれ)。マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)のウィンター・ソルジャー役で広く知られ、『アプレンティス:ドナルド・トランプの創り方』(2024年/監督:アリ・アッバシ)で第97回アカデミー賞主演男優賞にノミネート。今作では第74回ベルリン国際映画祭の主演俳優賞(銀熊賞)や第82回ゴールデングローブ賞(ミュージカル/コメディ部門)の主演男優賞を受賞した。

舞台はニューヨーク。顔に極度の変形を持つ俳優志望のエドワード(セバスチャン・スタン)は、アパートの隣の部屋に引っ越してきた劇作家志望の女性イングリッド(レナーテ・レインスヴェ)に一瞬で心を奪われる。日々親しく接してくる彼女への恋心は増すばかりだが、まともな恋愛経験のないエドワードは自分の気持ちを奥に閉じ込めていた。しかしある日、彼は外見を劇的に変える過激な治療を受け、念願の“新しい顔”を手に入れる。そして“ガイ”と名乗り、別人としての人生を歩み出すのだが……。

原題は“A Different Man(別の男)”。『ア・ディファレント・マン』というこのタイトルは、デヴィッド・リンチ監督の『エレファント・マン』(1980年)をすぐに連想させる。19世紀のロンドンに実在した生まれつき特異な外見を持つ青年ジョン・メリックの境遇に、『顔を捨てた男』の主人公エドワードを重ね合わせているのだろう。シンバーグ監督は影響を受けた他の作品に『ワンダー 君は太陽』(2017年/監督:スティーヴン・チョボスキー)なども挙げているが、彼自身が口唇口蓋裂を持って生まれ、それが顔のコンプレックスや障害についての物語に引き寄せられる理由だと公言している。今作でのセバスチャン・スタンは特殊メイクを施してエドワードに扮し、ガイという名前の“別の男”になってからは素顔で演じるという、転倒的なアプローチで主人公の実存に迫った。

だが果たして、顔を変えたことで本当にエドワードは“別の男”になれたのか? この問い自体、複雑なレイヤーを含んでいるが、『顔を捨てた男』ではNYのオフ・ブロードウェイ(あるいはオフ・オフ・ブロードウェイ)という演劇の世界を舞台にすることで、“表現”の問題が鋭く絡んでくる。エドワードが恋する隣人のイングリッドは、彼と交流しながら劇作家・演出家として、秘かにエドワードをモデルにした戯曲を書き進めていた。もし恋愛物語としてのみ展開するなら、エドワードの葛藤は外見の美醜やモテ/非モテの領域にとどまっていたかもしれない。だがそこからアートやクリエイションの世界に入ると、“個性”など別軸の序列が介在し、ルッキズムとアイデンティティをめぐる問い掛けは激しく重層化していく。

そして顔を変えたエドワード/ガイの前に脅威の存在として登場するのが、オズワルドという人物だ。演じるアダム・ピアソンは神経線維腫症1型の当事者で、障害者の権利向上に取り組む活動家としても知られる人気俳優。アーロン・シンバーグ監督の第2作『Chained For Life』(2018年)では主演を務めている。顔のハンディキャップを抱えたオズワルドは、“ガイになったエドワード”が隠している真実の鏡のように登場するが、いつも堂々として自信たっぷり。明るく快活な性格で、非常に個性的なカリスマとして周囲を魅了する。内面のエネルギーで外面の問題を圧倒的に乗り越えているオズワルドは、エドワードの強靭なアルターエゴであり、『ファイト・クラブ』(1999年/監督:デヴィッド・フィンチャー)で言うなら気弱な“僕”に対するタイラー・ダーデンに当たる存在だ。

もしエドワードがシンバーグ監督の拡大的な自画像だとしたら、オズワルドはある種理想化された“もうひとりの私”であり、『わたしは最悪。』(2021年/監督:ヨアキム・トリアー)の主演でも知られるレナーテ・レインスヴェ演じるイングリッドは、クリエイターとしてのシンバーグ監督の自意識を託した人物だと整理できるだろうか。

時代設定は意図的にボカしているが、スーパー16mmフィルムで撮影されたニューヨークの街は、ジュリアーニ市長による治安回復以前の同都市──1980年代頃の陰鬱や荒廃が伝わってくる。その意味で“80年代NYの陰画”としてのゴッサムシティを舞台にした『ジョーカー』(2019年/監督:トッド・フィリップス)と並べることも可能だろう。心優しいアーサー・フレックは、最狂のスーパーヴィランに変貌してしまったわけだが──不条理な運命に翻弄されるエドワードの人生と尊厳の行方を見届けてほしい。イタリア出身の鬼才ウンベルト・スメリッリによる妖しげで美的なサウンドデザインも最高だ。

『顔を捨てた男』

監督・脚本/アーロン・シンバーグ
出演/セバスチャン・スタン、レナーテ・レインスヴェ、アダム・ピアソン
ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国公開中
https://happinet-phantom.com/different-man/
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Text:Naoto Mori Edit:Sayaka Ito

Profile

森 直人 Naoto Mori 映画評論家、ライター。著書に『シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~』(フィルムアート社)、編著に『ゼロ年代+の映画』(河出書房新社)ほか。『週刊文春』『朝日新聞』『TV Bros.』『シネマトゥデイ』などでも定期的に執筆中。 YouTube配信番組『活弁シネマ倶楽部』でMC担当中。
 

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