亡きゴダールのバトンを受け継ぐ、極私的で刺激的なセルフポートレート『IT‘S NOT ME イッツ・ノット・ミー』
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亡きゴダールのバトンを受け継ぐ、極私的で刺激的なセルフポートレート『IT‘S NOT ME イッツ・ノット・ミー』

フランスの鬼才、レオス・カラックス監督の『アネット』(2021年)に続く最新作は42分の短編(もしくは中編)として届けられた。もともとはパリの現代美術館ポンピドゥー・センターからの委任で構想していた展覧会が、予算が膨らみすぎたために頓挫し、代わりの企画として撮られたというもの。「レオス・カラックスの現在地は?」というポンピドゥー・センターからの問いかけを受け、カラックスの思考が動き出す。それが「僕じゃない(原題:C’est pas moi)」という反語的なタイトルを冠した映画による自画像──セルフポートレートの『IT’S NOT ME イッツ・ノット・ミー』だ。

鬼才レオス・カラックスの思考が渦を巻く42分のイメージと音の奔流!

今回は彼が初めて自らひとりで編集を手がけたもので、不眠症のカラックスによる“ベッドルームシネマ”とでも言えるかもしれない。スタイルはまるで『ゴダールの映画史』(1988~98年)のバトンを受け継ぐような、イメージと音、膨大なテキストの引用の奔流。この極めてパーソナルで特異なシネエッセイは、2024年5月、第77回カンヌ国際映画祭カンヌ・プレミア部門でワールドプレミア上映され、以来世界中で熱狂を巻き起こしている。

エルンスト・ルビッチの『結婚哲学』(1924年)やジガ・ヴェルトフの『カメラを持った男』(1929年)、キング・ヴィダーの『群衆』(1928年)から、アルフレッド・ヒッチコックの『めまい』(1958年)、ジョルジュ・メリエスの『月世界旅行』(1902年)に、リュミエール兄弟の『ラ・シオタ駅への列車の到着』(1895年/初公開は翌96年)などなど、過去の映画群も多数サンプリングされるが、とりわけ目立つのはカラックスの自作の引用である。

彼が20歳で監督した短編『Strangulation blues(絞殺のブルース)』(1980年)から、『ボーイ・ミーツ・ガール』(1983年)、『汚れた血』(1986年)、『ポンヌフの恋人』(1991年)、『ポーラX』(1999年)、『メルド』(2008年)、『ホーリー・モーターズ』(2012年)、そして『アネット』まで──。カラックスは自身の映画=人生の記憶を参照し、そこで愛用してきたデヴィッド・ボウイの楽曲たちを再召喚しながら、決して過去や郷愁と戯れるのではなく、むしろ未知の領域へと果敢にダイブしていく。

例えば『アネット』を受け継ぐトキシック・マスキュリニティ(有害な男らしさ)の批評的考察と、カラックス当人も含めた「前世紀の男たち」の断罪。特にロマン・ポランスキーへの言及は苛烈だ。そして1939年、マディソン・スクエア・ガーデンで反ナチスの抗議活動に乗り出した米ブルックリン出身の当時26歳のユダヤ人配管工、イサドール・グリーンバウムの記録映像からつながる、バッシャール・アル=アサド、イスマーイール・ハニーヤ(2024年7月31日死去)、ベンヤミン・ネタニヤフ、ドナルド・トランプ、マリーヌ・ル・ペン、金正恩、習近平といった現代の指導者たちの写真のコラージュ。カラックスはこうコメントする。「彼らは憎しみが叫ぶ日を夢見ている」──。

『IT’S NOT ME イッツ・ノット・ミー』は2022年9月13日に91歳で逝去したジャン=リュック・ゴダールへのオマージュとして編まれたのは間違いないが、しかしこの映画に脈打つマルセル・プルースト的な「意識の流れ」は、あくまでもカラックス固有の“生”を映し出すものだ。彼自身の内面的な探究と、映画というメディアにまつわる現在的もしくは未来的な考察の絡み合い。音楽や言語、そして沈黙が交錯しながら、カラックス特有の映画の詩が織り上げられていく。自己のアイデンティティ、存在の意味、そして映画そのものへの問いかけ。“IT’S NOT ME”というフレーズは、監督自身が抱える矛盾や葛藤を象徴しているのかもしれない。

この映画は、カラックスのファンにとってはもちろん、彼の作品に触れたことがない人にとっても刺激的かつ稀有な映画体験となるだろう。『IT’S NOT ME』は映画が単なるアートフォームを超え、哲学的な探究の場となり得ることを示している。カラックスが描く「僕じゃない」とは何なのか。その問いは観客に委ねられるが、それこそがカラックスシネマの真骨頂であり、我々の思考を永遠のような長い射程で挑発し続けるはずだ。

『IT‘S NOT ME イッツ・ノット・ミー』

監督/レオス・カラックス
出演/ドニ・ラヴァン、カテリーナ・ウスピナ、ナースチャ・ゴルベワ・カラックス
2025年4月26日(土)より、ユーロスペースほか全国公開
eurospace.co.jp/itsnotme

©Jean-Baptiste-Lhomeau
© 2024 CG CINÉMA • THÉO FILMS • ARTE FRANCE CINÉMA

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Text:Naoto Mori Edit:Sayaka Ito

Profile

森 直人 Naoto Mori 映画評論家、ライター。著書に『シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~』(フィルムアート社)、編著に『ゼロ年代+の映画』(河出書房新社)ほか。『週刊文春』『朝日新聞』『TV Bros.』『シネマトゥデイ』などでも定期的に執筆中。 YouTube配信番組『活弁シネマ倶楽部』でMC担当中。

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