何ともうれしい引退宣言撤回! カウリスマキ監督から届いた新作『枯れ葉』 | Numero TOKYO
Culture / Post

何ともうれしい引退宣言撤回! カウリスマキ監督から届いた新作『枯れ葉』

国連のSDSNが発表する「世界幸福度ランキング」において、最新2023年版でもトップとなり、なんと6年連続の第1位に輝いた国、北欧フィンランド(ちなみに日本は第47位)。同国を代表する映画監督といえば、親日家としても知られるアキ・カウリスマキ監督(1957年生まれ)である。しかし実は2017年、『希望のかなた』(本作は2021年の日本映画『花束みたいな恋をした』の劇中で有村架純と菅田将暉演じるカップルが一緒に観に行く映画でもある)のプロモーション中にカウリスマキは突然の監督引退宣言を行ない、世界中のファンを驚愕させていた。

北欧フィンランドから名匠アキ・カウリスマキ監督が6年ぶりに届ける、至上の愛と優しさが詰まった名作

しかしあれから6年、あっけなくも最高にうれしい前言撤回。まさしくカウリスマキにしか作れない純度100%の名作を届けてくれた。それが最新作『枯れ葉』だ。もともとはフランス映画『夜の門』(1946年/監督:マルセル・カルネ)でイヴ・モンタンが歌う挿入歌として用いられたシャンソンであり、いまではジャズのスタンダードナンバーとして知られる名曲をタイトルに持つこの映画は、本国で動員20万人を突破し(フィンランドの人口は約550万人)、カウリスマキ作品の中で最大の興行成績を記録。さらにフランスやドイツなど各国で会心のヒットを飛ばしている。81分のコンパクトな尺の中に、至上の愛と優しさが詰まった珠玉のヒューマン・ラブストーリーだ。

映画の舞台はもちろんヘルシンキ。スーパーマーケットで働く女性、アンサ(アルマ・ポウスティ)は賞味期限切れの商品をめぐるトラブルで理不尽にも解雇処分となる。まもなく小さなネットカフェで求人募集を探し、場末のパブに厨房助手として再就職。そんな仕事の帰り道、市電の停留所で酔い潰れている男を見かける。彼は少し前の夜、カラオケバーで出会った肉体労働者のホラッパ(ユッシ・ヴァタネン)だった。後日、ある不祥事が発覚したパブのオーナーが警察に逮捕されている場に、突然ホラッパが現われてアンサにこう告げる。「コーヒーでもどうかな? もし時間があれば」──。

こうやって決して若くない不器用な男女の、じれったくも微笑ましい恋の次第が描かれてゆく。互いの名前も知らないまま惹かれ合い、連絡先を知らせても不運な偶然に襲われ、再会することすらままならない。小さな街の片隅で、ささやかな幸福を求めるふたりの恋は成就するのだろうか?

おそらく多くの観客は、まったくいつもと変わらぬカウリスマキ節に心をほっこりさせるだろう。定番的なボーイ・ミーツ・ガールの図式を、美男美女や若者の特権から解放するような男女の出会い。また現在のフィンランドは「ヨーロッパのシリコンバレー」とも呼ばれるIT先進国でもあるが、カウリスマキは古いジュークボックスなどアナログな機器に愛着を示し、時代から取り残されたような光景にカメラを向け、主流や先端から外れた庶民の哀歓を綴ってゆく。

しかも同時に『枯れ葉』は完全に「いまの時代」の物語でもある。手狭な部屋で食事を取り、ゆっくり恋を育んでいくふたりの傍らでは、旧型のラジオからロシアのウクライナ侵攻のニュースが流れ続ける。その悲痛さに「ひどい戦争!」と思わず激昂してしまうアンサ。彼女にしても、酒への依存に悩みながら工事現場で働くホラッパにしても、大きな権力や資本のシステムに抑圧される側であり、華々しい冨や名声とは無縁である。しかし人間としての尊厳を失わず、生きる歓びを慎ましい日々の中で追い求める。本作はカウリスマキ初期の「プロレタリアート(労働者)三部作」──『パラダイスの夕暮れ』(1986年)『真夜中の虹』(1988年)『マッチ工場の少女』(1989年)に連なる新たな物語として作られたが、同時に『浮き雲』(1996年)以降の大らかな楽天主義と、小さな市井の日常を祝福する穏やかな肯定性に包まれている。幸福は「ここ」にあるんだ、とでも言うような──。

主人公のふたりを演じるのは、カウリスマキ映画初出演となる名優たち。アンサ役には『TOVE/トーベ』(2020年/監督:ザイダ・バリルート)でムーミンの原作者、トーベ・ヤンソンを熱演して世界的に大きな注目を集めたフィンランドの国民的女優、アルマ・ポウスティ(1981年生まれ)。ホラッパ役には、フィンランドで史上最高の興収を記録した『アンノウン・ソルジャー 英雄なき戦場』(2017年/監督:アク・ロウヒミエス)で高い評価を得たユッシ・ヴァタネン(1978年生まれ)。また、それぞれの友人役として、カウリスマキ組再登場のヤンネ・ヒューティアイネン(『街のあかり』『希望のかなた』)、ヌップ・コイブ(『希望のかなた』)が出演している。

すべてがシンプル&ミニマム。語りが簡素で無駄がないという意味では削ぎ落とされた映画だが、しかし決してキリキリと痩せた作風ではなく、むしろ随所に豊かなトッピングがまぶされている。その主な彩りが映画愛だ。例えばアンサとホラッパが初めてのデートで観に行く映画は、カウリスマキの盟友であるジム・ジャームッシュ監督のゾンビ映画『デッド・ドント・ダイ』(2019年)! 上映後、映画館から出てきたシネフィルの男性ふたりが「名画だ。ロベール・ブレッソンの『田舎司祭の日記』(1951年)を思わせる」「ジャン=リュック・ゴダールの『はなればなれに』(1964年)だよ」と語って、反対方向にそれぞれ歩いていくのが可笑しい。このミニシアターは、なかなか会うことができないアンサとホラッパが互いを「待つ」ための場所ともなり、『逢びき』(1945年/監督:デヴィッド・リーン)など数多くの名画のポスターが見える。また別のバーの壁に貼ってある『若者のすべて』(1960年/監督:ルキノ・ヴィスコンティ)のポスターや、アンサの愛犬の名前(映画をご覧になって確認されたし!)など、遊び心あふれる引用・言及がいっぱい!

カウリスマキは公式コメントでこう語っている。

「この映画では、我が家の神様、ブレッソン、小津、チャップリンへ、私のいささか小さな帽子を脱いでささやかな敬意を捧げてみました。しかしそれが無残にも失敗したのは全てが私の責任です」

「無残に失敗」なんて自虐的ユーモアを飛ばしているが(これも独特のカウリスマキ節!)、本作『枯れ葉』は第76回カンヌ国際映画祭審査員賞を受賞。2023年国際批評家連盟賞年間グランプリにも選ばれ、先ごろアカデミー賞国際長篇映画賞部門のフィンランド代表にも選出された。また、来年6月には、『枯れ葉』の日本での公開を記念し、カウリスマキ監督が共同オーナーを務めている映画館「キノ・ライカ」への訪問やヘルシンキ近郊の撮影スポットめぐりなどを盛り込んだ「キノ・ライカとアキ・カウリスマキの世界スペシャルツアー」が実施される予定だ。まずはこの映画作家の真骨頂であり、代表作のひとつとして愛され続けていくであろう『枯れ葉』の素晴らしさに酔い痴れていただきたい。

『枯れ葉』

監督・脚本/アキ・カウリスマキ/撮影:ティモ・サルミネン
出演/アルマ・ポウスティ、ユッシ・ヴァタネン、ヤンネ・フーティアイネン、ヌップ・コイヴ
12月15日(金)よりユーロスペースほか全国公開
https://kareha-movie.com/

© Sputnik
Photo: Malla Hukkanen

映画レビューをもっと見る

Text:Naoto Mori Edit:Sayaka Ito

Profile

森 直人Naoto Mori 映画評論家、ライター。著書に『シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~』(フィルムアート社)、編著に『ゼロ年代+の映画』(河出書房新社)ほか。『週刊文春』『朝日新聞』『TV Bros.』『シネマトゥデイ』などでも定期的に執筆中。 YouTube配信番組『活弁シネマ倶楽部』でMC担当中。

Magazine

JUNE 2024 N°177

2024.4.26 発売

One and Only

私のとっておき

オンライン書店で購入する