青年の孤独を通して、社会問題と向き合う。映画『ニトラム/NITRAM』 | Numero TOKYO
Culture / Post

青年の孤独を通して、社会問題と向き合う。映画『ニトラム/NITRAM』

1996年、オーストラリアのタスマニア島、世界遺産の観光地で起こった史上最悪の悲劇「ポート・アーサー事件」。何より「普通」の人生を求めていた20代の青年は、なぜ銃を求め、いかに入手し、犯行に至ったのか……。このオーストラリア史上最も暗く、不可解な事件を真正面から描き切ったのは鬼才ジャスティン・カーゼル。そして、ジャームッシュやコーエン兄弟ら現代の名匠たちの作品への出演が相次ぐ注目度No. 1 俳優ケイレブ・ランドリー・ジョーンズが主人公マーティンを演じる。

実在の事件を映画化。オーストラリア史上最悪の犯罪者と呼ばれた青年の素顔とは──。 カンヌ国際映画祭で主演男優賞を受賞。ケイレブ・ランドリー・ジョーンズの鮮烈な名演に圧倒される傑作

アメリカを震撼させた若者による惨劇として今もよく語られるのが、1999年4月20日にコロラド州デンバー郊外で発生した、コロンバイン高校での銃乱射事件だ。同校でイジメを受けていたふたりの男子生徒が校内で散弾銃を無差別に発砲し、12名の生徒と1名の教師を射殺したあと、両名は自殺。マイケル・ムーア監督はこの事件に触発されて、銃社会の問題に迫るドキュメンタリー映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』(2002年)を発表。ガス・ヴァン・サント監督はオレゴン州ポートランドを舞台に、本件をモデルにしたフィクション映画として『エレファント』(2003年)を撮った。 しかし同事件の3年前。オーストラリアで、コロンバインよりもさらに多くの犠牲者を出した無差別銃乱射事件が起こっていたことをご存じだろうか。 1996年4月28日、日曜日。その午後から翌29日朝にかけて、世界遺産にも登録されているタスマニア島の観光地ポート・アーサー流刑場跡で事件が発生した。死者35人、負傷者15人。銃規制の必要性を全世界に問いかける先駆けとなった事件とも言われている。

犯行に及んだのは当時28歳の青年、マーティン・ブライアント(1967年5月7日生まれ)。この「ボート・アーサー事件」を題材に、徹底したリサーチを重ね、破壊的な行動へと至る経緯を映画的に再構築したのが鬼才監督、ジャスティン・カーゼル(1974年生まれ)だ。これまで16歳の少年による実際の猟奇殺人事件を扱った『スノータウン』(2013年)や、伝説の反逆者ネッド・ケリーの青春をパンキッシュに描いた『トゥルー・ヒストリー・オブ・ザ・ケリー・ギャング』(2019年)など、オーストラリア史に残る実際の事件や犯罪者に関する映画を、脚本家ショーン・グラントとのタッグで作っている。

主人公のマーティン・ブライアント――周囲から本名のマーティン(MARTIN)を逆さ読みした蔑称“ニトラム(NITRAM)”と呼ばれている青年(NITはシラミの卵を指す。つまり「シラミ野郎」くらいの意味か)を演じたのは、ハリウッドでも熱い注目を浴びている気鋭の俳優、ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ(1989年生まれ)。極端な不器用さゆえに社会から疎外され、内面の闇を深めていくさまを迫真の演技で体現し、2021年のカンヌ国際映画祭、シッチェス・カタロニア国際映画祭などで主演男優賞を獲得した。作品自体もオーストラリア・アカデミー賞で最多8冠、作品賞ほか主要部門を総ナメにするなど、国内外で極めて高い評価を得ている。

映画の冒頭では1979年、花火で遊んでいて事故を起こした入院中の少年の映像が映される。彼こそが幼い日のニトラムことマーティンだ。90年代半ば、20代の青年に成長したマーティンは、タスマニア島の実家で両親と暮らしている。子どもの頃から好きだった花火遊びをいまだやめられず、近所からは厄介者扱いされる彼の存在を、両親はさすがに持て余している。母親(ジュディ・デイヴィス)は半ば強制的に抗うつ剤をマーティンに与えているが、どれくらい効き目があるのかよくわからない。無邪気な気持ちで危ないイタズラを衝動的に繰り返す息子の行動は、優しい父親(アンソニー・ラパリア)もかばいきれない様子だ。

鬱屈と閉塞を募らせる毎日の中、マーティンはサーフボードを買う資金を貯めるため、芝刈りの訪問営業を始める。そんななか、彼はヘレン(エッシー・デイヴィス)という50歳の女性と出会う。資産家で、大きな邸宅にたくさんのペットの犬と暮らす彼女は、マーティンと波長が合い、孤独な変わり者同士の心の交流を深めていった。
しかしやがて、皮肉な運命や悲劇が立て続けにマーティンを襲う。彼の精神はついに大きく狂い出し、破滅に向かって突き進んでいく……。

脚本のグラントいわく「作品意図としては犯人の心情を暴くことではなく、問題点を明らかにすること」。マーティンはメンタルヘルスの問題を抱え、本人はどこかに帰属したいと思っているが、どこにも受け入れてもらえない。「ママも僕を“ニトラム”と呼ぶ連中と同じさ」との台詞が示すように、肉親すら信用できなくなる。その極限的な孤立が、彼を「無敵の人」(もはや失うものがなく、他人を巻き込んだ凶悪犯罪を起こすことに躊躇がなくなった者)の状態へと追い詰めていく。

本作は先述したガス・ヴァン・サント監督の傑作『エレファント』からの影響も大きいだろう。事件現場よりも、犯行に至るプロセスをじっくり静かに描いていくこと。淡々とした日常描写の中で、ぎりぎりの平穏が決壊していくまでのリアルな実感を劇展開に染み込ませていくこと。またヨレヨレのオーバーサイズのニットを無造作に着用するケイレブ・ランドリー・ジョーンズの姿は、時折あのカート・コバーンに似て見える。実はマーティンとコバーンは共に1967年生まれ。周知の通り、コバーンは1994年に27歳で自死に至ったわけだが、カーゼル監督は映画の中のマーティンに、同じ時代を生きた孤独な青年のアイコニックなイメージをどこか重ね合わせたのかもしれない。

そう、この映画は決して犯人への共感をいたずらに誘発するものではないが、もちろん彼を異常な怪物として断罪するわけでもない。誰よりも「普通の人生」を求め、周囲の理解や愛を素朴に求めていた彼は、なぜ銃を求め、いかに入手し、犯行に至ったのか。タブーな事件の真実に迫るため、カーゼル監督(数年前から家族でタスマニアに住んでいるらしい)は、何より等身大のマーティンを見据えて丁寧に追っていくのだ。そこから浮き上がるのは、世間一般になじめない生き難き者の哀しみと、その暗い精神が、暴力の連鎖と接続されてしまう社会システムの怖さである。カーゼル監督はこう語る。「銃の法律が最も弱くて危険な立場の者に簡単に利用されてしまうのです」──。

ケイレブ・ランドリー・ジョーンズの演技は圧巻だが、周りを固めるベテラン名優陣とのアンサンブルも素晴らしい。カーゼル監督作の常連であるエッシー・デイヴィス扮するヘレンが、テレビで古いハリウッド映画『スタア誕生』(1937年)を観ているシーンなどさりげなく印象的で、マーティンが「ヘレンと一緒にファーストクラスでLAに行く予定だった」と話すシーンが切ない。カーゼル監督も自身の最高傑作だと自負する一本である。

『ニトラム/NITRAM』

監督/ジャスティン・カーゼル
出演/ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ、ジュディ・デイヴィス、エッシー・デイヴィス、ショーン・キーナン
3月25日(金)より、新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷、ヒューマントラストシネマ有楽町、アップリンク吉祥寺ほか全国公開
cetera.co.jp/nitram/

© 2021 Good Thing Productions Company Pty Ltd, Filmfest Limited

映画レビューをもっと見る

Text:Naoto Mori Edit:Sayaka Ito

Profile

森 直人Naoto Mori 映画評論家、ライター。1971年、和歌山県生まれ。著書に『シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~』(フィルムアート社)、編著に『ゼロ年代+の映画』(河出書房新社)ほか。『週刊文春』『朝日新聞』『TV Bros.』『シネマトゥデイ』などでも定期的に執筆中。 YouTube配信番組『活弁シネマ倶楽部』でMC担当中。

Magazine

DECEMBER 2024 N°182

2024.10.28 発売

Gift of Giving

ギフトの悦び

オンライン書店で購入する