知っておくべき映画監督ホン・サンスの新作『逃げた女』公開。猫の名演技にも注目! | Numero TOKYO
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知っておくべき映画監督ホン・サンスの新作『逃げた女』公開。猫の名演技にも注目!

世界的に注目を集める韓国映画において、ひときわ特異な存在感を放ち続ける映画作家、ホン・サンス。第70回ベルリン国際映画祭で初の銀熊賞(監督賞)を受賞した新作『逃げた女』が日本でもいよいよ公開される。

シネフィル熱狂! 韓国の異能映画作家、ホン・サンス。
フェミニズム色を帯びた今作は監督のひとつの極点を示す

『パラサイト 半地下の家族』(2019年/監督:ポン・ジュノ)や『はちどり』(2018年/監督:キム・ボラ)など、最近特に質的充実の際立つ韓国で、悠々とわが道を往く映画作家がいる。その名は、ホン・サンス。いま世界のシネフィル(映画狂)から最も熱烈に愛されている現役監督のひとりだ。

彼が2020年に発表した『逃げた女』は、わずか77分の小品ながら、なぜこんな映画が成立可能なのだろう? と、観る者を呆然・唖然とさせる破格の傑作だ(今回は監督・脚本・編集に加えて、音楽もホン・サンス自ら担当)。

第70回ベルリン国際映画祭で銀熊賞(監督賞)を受賞したが、すでにホン・サンスは今年(2021年)の第71回同映画祭において、新作『INTRODUCTION』で銀熊賞(脚本賞)を受賞している。ちなみにフランスの映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』の2020年度ベストテンでは、『逃げた女』が第2位で、ホン・サンスの前作『川沿いのホテル』(2019年)が第6位に選出。この監督、ものすごい多作なのだ。1996年のデビュー作『豚が井戸に落ちた日』から、現在まで計25作。つまり年に一作以上のハイペース。まるで呼吸するように映画を撮っている。しかも各々の作品はサーガのごとく、連続性や共通項でゆるやかにつながっているようにも見える。

さて、長編第24作に当たる『逃げた女』も、お話の枠組み自体は極めてシンプルだ。主演はキム・ミニで、ホン・サンス監督の公私のパートナーでもある(タッグ作はこれで7本目)。彼女演じる結婚5年目の主人公ガミが、夫の出張中にソウルの郊外に住む3人の旧友を訪ねていく――それだけの内容。ミニマリズムの極地みたいな構成である。

その3人の旧友とは、元夫との泥沼関係を断ち切り、女性のルームメイトと一緒に暮らす先輩ヨンスン(ソ・ヨンファ)。ピラティスのインストラクター業を営む独身女性の先輩スヨン(ソン・ソンミ)。ミニシアターが併設されたカルチャーセンターで働く同世代のウジン(キム・セビョク。『はちどり』のヨンジ先生役の好演で知られる)。

言わば三話オムニバス構成だが、特に大きな事件が起こるわけでもない。女たちは部屋でしゃべり、食べ、帰りには雨が降っていたりする。それをホン・サンスは、昆虫の生態でも観察するような簡素なタッチで淡々と捉えていく。またカットを割らずに、ズーム機能でずいっと人物に寄っていくカメラワークが、ある時期からホン・サンスのトレードマーク的文体になっているのだが、この手法などまるでスマホで盗撮しているようなユーモラスなノリ。

ここから浮かび上がるのは「反復と差異」だ。われわれの人生あるいは日常は、すべて同じことの繰り返しと、ほんの些細な違いやアクシデントの積み重ねだけでできているのではないか、とでもそっと囁いてくるような……。

一見すると「スケッチ風」とか「ドキュメンタリー風」の映像世界だが、作品組成としてはコントに近いフィクションである。ホン・サンスの映画には、ほぼ毎度のパターンとして、女好きで浮気者の男性が登場する。しかし今回の『逃げた女』では、主人公たちの世界から男たちは閉め出されている。突然、異物や不審者のようにやってくる男たちは、防犯カメラやインターホンのモニター画面の中に押し込められる。「愛する人とは一緒にいるべきだ」と妻ガミに常々諭している彼女の夫は、一切姿を現わさず、職業が翻訳家であることも随分時間が経ってからようやく告げられる。また最後にちょろっと、いかにもホン・サンスらしい「先生」と呼ばれる中年男性が登場するが、もう彼すら「女たちの世界」に浮上することはない――。

今までのホン・サンス作品に比べても、『逃げた女』にはフェミニズムの色彩が強めに認められることは間違いないだろう。彼がリスペクトする仏ヌーヴェル・ヴァーグの映画作家、エリック・ロメール(1920年生~2010年没)の「六つの教訓話」シリーズや「喜劇と格言劇」シリーズなどのスタイルを受け継ぎつつ、21世紀のデジタルシネマにおけるさらなる進化形として、徹底した「軽み」から、人生の宿業を奥底まで静かに凝視する唯一無二の「凄み」がにじみ出る。ひとりスクリーンの海を静かに見つめるガミの姿を目にして、これはホン・サンス流儀の、そして現代映画のひとつの極点ではないかと思った。

また『逃げた女』公開記念として、ホン・サンス特集上映「HONG SANGSOO RETROSPECTIVE 12色のホン・サンス」が5/14(金)から6/10(木)まで開催中(ヒューマントラストシネマ有楽町、アップリンク吉祥寺にて)。さらに6/12(土)から特集上映「作家主義 ホン・サンス」が開催され、貴重な初期2本『カンウォンドのチカラ』(1998年)と『オー!スジョン』(2000年)が連続上映される。

フランスなどヨーロッパの圧倒的人気に比べて、まだまだ日本では認知度が足りない気がする。史上最強にクセになる映画作家、ホン・サンス祭りにぜひご参加いただきたい!

『逃げた女』

監督・脚本・編集・音楽/ホン・サンス
出演/キム・ミニ、ソ・ヨンファ、ソン・ソンミ、キム・セビョク、イ・ユンミ、クォン・ヘヒョ、シン・ソクホ、ハ・ソングク
6/11(金)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開
nigetaonna-movie.com

© 2019 Jeonwonsa Film Co. All Rights Reserved
配給/ミモザフィルムズ

Text:Naoto Mori Edit:Sayaka Ito

Profile

森 直人Naoto Mori 映画評論家、ライター。1971年、和歌山県生まれ。著書に『シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~』(フィルムアート社)、編著に『ゼロ年代+の映画』(河出書房新社)ほか。『週刊文春』『朝日新聞』『TV Bros.』『シネマトゥデイ』などでも定期的に執筆中。 YouTube配信番組『活弁シネマ倶楽部』でMC担当中。

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