社会現象を巻き起こしたベストセラー小説が映画に。『82年生まれ、キム・ジヨン』 | Numero TOKYO
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社会現象を巻き起こしたベストセラー小説が映画に。『82年生まれ、キム・ジヨン』

2016年に韓国で出版され、韓国のフェミニズム文学を牽引する存在となった小説『82年生まれ、キム・ジヨン』。日本でもベストセラーとなり、社会現象を巻き起こした。映画化の決定からずっと待ち望まれていた映画版『82年生まれ、キム・ジヨン』の公開。”全世界の女性たちが共感”した作品を、映画評論家の森直人はどう見たのか。

韓国フェミニズム文学のシンボルとなったベストセラー小説が待望の映画化! 「キム・ジヨン世代」の女性の生きづらさは、あらためていかに描出されたか?

この原作に関しては今や説明不要だろう。2016年秋に韓国で出版され、社会現象を巻き起こしたチョ・ナムジュのベストセラー小説『82年生まれ、キム・ジヨン』。日本でも翻訳版(訳:斎藤真理子/筑摩書房刊)が2018年12月に刊行されて大ヒット。世界中に広がった#MeTooムーヴメントともリンクしながら、新しい韓国フェミニズム文学の潮流の発火点となったシンボルとして、歴史的にもエポックな位置に置かれている重要な一冊である。 キム・ジヨンというのは、韓国の1982年生まれの女性で最も多い名前。平均的な量産型――つまりひとつの世代を象徴する一般女性の肖像を主人公に配しながら、男性優位が根深く続く社会慣習の中で、ずっと見過ごされてきた女性の生きづらさに焦点を当てる内容だ。キム・ジヨンは、ある“心の病”からカウンセリングを受けており、小説全体が担当の精神科医が書いた患者のカルテというユニークな形式を取っている。

平たく言えば“人気小説の映画化”だが、これは本来非常に難しい企画だと思う。榎本マリコの装画による日本版の表紙は、主人公キム・ジヨンの顔が描かれていない。つまり彼女は「あなた」自身、ある種の匿名性に包まれた交換可能なテンプレートである、ということ。こういった観念的なコンセプトを実写の具象に移植する作業からして、相当に慎重な変換が必要だろう。

おそらく製作陣は、その難しさを厳密に踏まえて臨んだのに違いない。実にバランス良く、一段引いた視座から原作を対象化し、柔らかく平易に咀嚼しながら、随所にアップデートまで施した好映画化となった。韓国では興収チャートで初登場No.1の大ヒットを記録している。

ヒロインのキム・ジヨンを演じるのは、チョン・ユミ。ジヨンの夫チョン・デヒョン役には、コン・ユ。『トガニ 幼き瞳の告発』(2011年)や『新感染 ファイナル・エクスプレス』(2016年)でもタッグを組んだ実力派の二人が、三度目の共演にして初の夫婦役を演じる。監督は演劇俳優としての活動を経て映画界に入り、本作が長編デビュー作となったキム・ドヨン。

お話の基本ラインは原作を忠実に踏まえている。1982年4月1日生まれのキム・ジヨン(チョン・ユミ)は、大学の先輩に当たる夫のデヒョン(コン・ユ)と、2歳になる幼い娘アヨンとソウル郊外で三人暮らし。妊娠・出産を機に勤めていた広告代理店を退職し、現在は専業主婦として家事と育児に追われる日々を過ごしている。
正月には例年通り、釜山にある夫の自宅に帰省。だがジヨンは義母への気遣いやご飯作りの手伝いで、心身共に休む暇もない。
そのストレスが静かに限界を突破したのか、台所に立っていたジヨンがふと奇妙なことを口に出す。
「奥さん、うちのジヨンを実家に帰してください。私も娘に会いたい。義姉の料理まで用意させて、ジヨンが気の毒です」――その口調は、彼女の母親ミスクにそっくりだった。

すなわち、憑依状態。ジヨンに別人が乗り移って、自分(ジヨン)が言ってほしい言葉を自分で言う。そんな心の崩壊を食い止めるための自己防衛の症状が出始めたのだ。心配になったデヒョンは、「憑依」のことは告げずに、ジヨンにカウンセリングに行くようにさりげなく勧めるのだが……。

自らも「キム・ジヨン世代」である主演のチョン・ユミ(1983年1月生まれ)は、繊細かつ丁寧な演技で等身大の空虚や葛藤を体現する。ひとりの人格の内に積まれた多層性を示すように、就職活動中の大学生時代(高校時代はキム・イジョンが扮する)や、社会人時代も見事に演じ分ける。回想シーンのスムーズな導入など、洗練された語り口も彼女の安定した芝居の力に負うところが大きい。

ある意味、ヒロイン以上のポイントになるのは、コン・ユが演じる夫のデヒョンの存在だろう。彼は子育てにも積極的で、会社の同僚の無神経な発言にも秘かに不快感を示す、今どきの進歩的な「理解ある夫」の領域に居る優しい男性である。それでもジヨンに与える抑圧の数々に、無意識のうちに加担しているわけだ。つまり男性側が、従来の価値体系を更新したつもりで示す「理解」の、もうワンレベル深いレイヤーを突いてくる――これは原作と映画に共通する卓越だ。

ただしこの映画版は、原作よりも口当たりや感触が丸くなり、全体の視点がニュートラルに調整されている。原作では登場する女性たちには名前があるが、デヒョン以外の男性キャラクターには名前が与えられていなかった。しかし映画では男性側の視点も立体的に活かされている。
これはまさしく原作が発表された2016年からの、社会の認識変化の反映だろう。マッチョな男性優位社会の歪みや軋みを受けるのは、決して女性ばかりではない。ジェンダーやセクシュアリティを超えて、古い価値観の押しつけや世間からの同調圧力に、多くの者たちが苦しみ悩んでいる。原作と映画版のニュアンスの違いは、そのまま社会の成熟の証と言えるのかもしれない。

原作から映画版への“進歩”を象徴するのは、まさしく結末の付け方だろう。詳しく明かすのは控えるが、映画版は前向きで爽やかな後味を確実に得ることができる。今年は背景となる問題意識や世代性など、本作と多くの共通項を持つ韓国映画『はちどり』(2018年/監督:キム・ボラ)が日本でもヒットした。映画版『82年生まれ、キム・ジヨン』も多くの観客に届くことを願いたい。

『82年生まれ、キム・ジヨン』

監督/キム・ドヨン
出演/チョン・ユミ、コン・ユ、キム・ミギョン 
原作:『82年生まれ、キム・ジヨン』 チョ・ナムジュ/著 斎藤真理子/訳(筑摩書房刊)
10月9日(金)より、新宿ピカデリーほか全国公開
klockworx-asia.com/kimjiyoung1982/

© 2020 LOTTE ENTERTAINMENT All Rights Reserved.
配給:クロックワークス

Text:Naoto Mori Edit:Sayaka Ito

Profile

森 直人Naoto Mori 映画評論家、ライター。1971年、和歌山県生まれ。著書に『シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~』(フィルムアート社)、編著に『ゼロ年代+の映画』(河出書房新社)ほか。「週刊文春」「朝日新聞」「TV Bros.」「シネマトゥデイ」などでも定期的に執筆中。 YouTube配信番組『活弁シネマクラブ』でMC担当中。

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