フー・ボー監督、生涯ただ一つの映画『象は静かに座っている』
2018年2月、第68回ベルリン国際映画祭のフォーラム部門では中国の新人監督の作品が大きな存在感を放っていた。この時の上映がワールドプレミアとなった『象は静かに座っている』だ。
デビュー作にして遺作。世界を圧倒する29歳の新人監督フー・ボー、最初で最後の鮮烈な才能のきらめき
234分という長尺ながら途切れぬ強度と緊張感で観る者を虜にし、国際批評家連盟賞と最優秀新人監督賞をW受賞。しかしそこに若き映画監督の姿はなかった。1988年生まれのフー・ボー監督は、デビュー作を完成させた後、2017年10月12日に自らこの世を去っていたのだ。享年29歳。この映画は、作家でもあったフー・ボーが2017年に発表した著作『大裂』の中の短編をもとにしている。
舞台は中国・河北省の小さな町。家庭にも学校にも居場所がなく、不良の同級生を誤って階段から突き落としたことで追い詰められていく少年ブー(ポン・ユーチャン)。その不良の兄で、痴情のもつれが原因で親友を自殺させてしまった男チェン(チャン・ユー)。母親との折り合いが悪く、教師と不倫関係を持ってしまう少女リン(ワン・ユーウェン)。孫娘の進学費用のために娘夫婦から施設行きを要求されつつ、愛犬を失って途方に暮れる老人ジン(リー・ツォンシー)。
この四人と彼らを取り巻く者たちの波乱の“ある一日”が描かれていく。
彼らが生きているのは陰鬱で荒んだ日常だ。登場人物たちは「生きてるなんてロクなもんじゃない。死ぬまで苦痛が続くんだぞ」「俺の人生はゴミだ」「この世界、ヘドが出る」など厭世の言葉を吐き、エゴや寂しさで互いを傷つけ合い、誰かといても孤独を痛感する。
この苛立ちの中に光はあるのか? そんな彼らのぎりぎりの希望のシンボルとなるのが、遙か遠いロシアとの国境近くの満州里の動物園にいる、一日中ただ座り続けているという奇妙な一頭の象の存在――。
ひりひりしたリアルな痛みと寓話の輪郭。有機的に連関する人間の生態と風景を、フー・ボー監督は驚異的な長回しのカメラで捉えていく。
それは彼の師匠筋に当たるハンガリーの鬼才監督、タル・ベーラ(『サタンタンゴ』『ニーチェの馬』)を彷彿させるし、同じ中国の先達で言えば、ジャ・ジャンクー監督のデビュー作『一瞬の夢』の再来のようでもある。あるいは42歳でピストル自殺したフランスの伝説の映画作家、ジャン・ユスターシュ監督の『ママと娼婦』を連想する向きもあるだろう。いずれにせよ、この映画に込められているのは儚くも鮮烈な才能のきらめきだ。
また北京を拠点とするロックバンド、ホァ・ルンのディストーションギターを主体とした音楽が殺伐とした世界にどこか勇猛なニュアンスも与える。少女リンが衝動的に握る鉄バットのように。
現在、中国映画界は“第二のハリウッド”を志向して自国産のエンタテインメント大作が華盛りの傾向にある。そんな中、これだけ硬質な“作家映画”が生まれたことは嬉しい驚きだし、同時に新たな命脈が断たれたことは激しく無念だ。この孤高の魂の果たされなかった未来に想いを馳せたい。
『象は静かに座っている』
監督・脚本・編集/フー・ボー
出演/チャン・ユー、ポン・ユーチャン、ワン・ユーウェン、リー・ツォンシー
2019年11月2日㈯より、シアター・イメージフォーラム他にて順次公開
bitters.co.jp/elephant/
© Ms. CHU Yanhua and Mr. HU Yongzhen
Text:Naoto Mori Edit:Sayaka Ito